リアリティーと説得力
ある女性会社員の一日を書いた小説があったとします。
朝起きてご飯を食べて出勤し、仕事で苦労し、いやな上司に叱られ、帰宅して一人で食事をして風呂に入り、お酒を飲みながらテレビを見て寝ました。
これを細かく語ったら、面白い小説になるでしょうか。
よほど工夫を凝らし、上手な文章で書いたとしても、読み応えのある小説に仕上げるのは難しいでしょう。
では、こういうのはどうでしょうか。
朝、寝坊して慌てて駅へ向かう途中、かっこいい外国人男性にぶつかりました。男性は倒れてスーツが泥だらけになり、女性会社員は責任を感じて近所のスーパーに連れて行きました。
着替えると、彼は観光したい、今日しか時間がないと言います。彼女は有給休暇をとって案内することにしました。
男性はお金持ちで面白い人でした。二人で町を回るのは楽しく、豪華な夕食の後、自宅まで送ってくれた男性に別れを告げるのがつらいほどでした。
翌朝、彼女はいつも通りに出勤しました。急に休んだことで上司に嫌味を言われ、たまった仕事を必死で片付けてくたくたになり、お昼休みにコンビニ弁当をつつきながらネットのニュースをのぞくと、外国の俳優のインタビューが掲載されていました。
「昨日、素晴らしい女性に出会いました。日本を大好きになりました」
彼女は涙をこぼし、机に突っ伏しました。
そこへ、同僚が騒ぐ声がしました。
「花束を持った外国人が訪ねてきているよ!」
その場でプロポーズされ、一緒に外国へ渡りました。
このお話はリアルでしょうか。
町でぶつかった人が外国の富豪の俳優である確率はとても小さいです。
会社員の平凡な日常の方がずっとリアルです。
ですが、富豪と出会う方が物語として何倍も面白いはずです。
リアルなことが面白いことではないのです。
こんな反論をする人がいるかも知れません。
飛行機のパイロットの一日や弁護士の一日は面白いですよと。
ですが、これは知らないことを知る楽しさであって、物語の面白さではありません。
情報としては興味を引かれますが、ストーリーとしてハラハラ・ドキドキしたり、感動したりするのとは違います。
もし、そういう感情が起こったとしたら、そうなるように物語を作ってあるのです。
単に事実を並べただけでは面白くなりません。
事実であることが多くの人の興味を引き付ける場合もあります。
厳しい環境の国で人々の命を守るために奮闘する医師といったお話は感動を呼びます。
史実だからこそ説得力があり面白い逸話もあります。
それでも、全く加工や編集をせずに物語として面白いことはまれです。
それに、世界の仰天ニュースといったテレビ番組で見るような事件を創作小説で書いても大抵はあまり面白くありません。
例えば、プールで幼い子供が飛び込みの選手のような華麗な回転を披露したら驚きます。
そんなことが現実に起こるはずがないと思っているからびっくりするのです。
しかし、小説の場合、そういうことを幼い子供がしても読者は驚かないかも知れません。
それどころか、そんな馬鹿げたことを書いた作者に呆れる可能性があります。
創作物語ではどんなことでも起こせるため、読者は簡単にはびっくりしません。
ストーリーの流れや読者の予想を制御し、次はこうなるだろう、こんな事件が起きそうだ、こういう出来事はないはずだという思い込みを作らせ、それを効果的に打ち破る必要があります。
計画的に技巧で面白くしないといけないのです。
物語の面白さとは創り出すものです。
つまり、うそを書くのです。
多くの場合、うその方が事実より面白いのです。
だからこそ、多くの創作物語が古来作られてきたのです。
例えば、推理小説を書くとします。
次のどちらを選びますか。
再現可能だが驚きの少ない現実的なトリック。
実際にはなかなかその通りに行かないだろうが、読者がびっくりすること間違いなしの奇想天外なトリック。
私なら後者を選びます。
小説は面白さが命です。
読者が楽しめなくては意味がありません。
これは史実に基づくはずの歴史小説ですら同じです。
後世書かれた軍記物にある驚くべき逸話を、信用できる史料では確認できなくても、面白いから採用することは珍しくありません。
物語では、しばしば現実的かどうかよりも面白さが優先されるのです。
ところで、リアリティーという言葉があります。
物語を面白くするには不可欠な要素です。
創作物語について使う場合は、説得力、納得できること、といった意味です。
上記の女性会社員のお話で考えましょう。
出会った人物は俳優です。しかも富豪です。
ですから、彼の行動は俳優らしく、富豪らしくなければなりません。
例えば、道端で泣いている幼い女の子がいたとします。
俳優は女性会社員を相手にその場でダンスを踊ってみせて泣き止ませ、サングラスをかけてテレビで流行っている名探偵に
俳優が富士山を見たいと言い出し、彼女は高いビルの上からでないと難しいと答えます。
すると彼は超高級ホテルに入っていって最上階のスイートルームを借り、「ここでランチにしよう」とこともなげに言って豪華な料理を次々に運ばせます。
こういう「らしさ」がリアリティーです。
本物の俳優はダンスや探偵のふりなんてしないかも知れません。
大金持ちでも、ランチのためだけにスイートルームを借りることはあまりないでしょう。
そういう意味では、リアルではありません。
でも、俳優らしく、富豪らしいと思いませんか。
それに、面白いでしょう。
こういう言動や逸話によって、富豪の俳優という設定に説得力が生まれます。
うそを積み上げることで、架空の人物が魅力的に見え、読者が彼を好きになるのです。
このように、創作された物語と現実は違います。
現実において正しいことが、物語の世界でも正しいとは限りません。
例えば、無茶苦茶な命令を出した指揮官に軍人である主人公が殴りかかったとします。
しかし、敵が攻めてくると、主人公は大した罰も受けずに許されて戦闘に復帰します。
現実的に考えるなら、軍人が上官に殴りかかるなんてありえません。
でも、彼の性格からすれば黙って引き下がってはいけませんでした。
現実性より、その人物らしい行動をさせるという物語上の都合を優先したのです。
また、『目黒のさんま』という落語があります。
世間知らずのお殿様は目黒で食べたさんまのおいしさを恋しがって、「やっぱりさんまは目黒に限る」と言います。
さんまが海の魚であること、海岸から遠い目黒で獲れるはずがないことくらい現実のお殿様は分かるでしょうから、明らかに誇張です。
ですが、そう言わせた方が面白く、作品でやりたいことがはっきりします。
登場人物を描く際、性質の一部分だけを取り出したり、特徴を誇張したり、分かりやすい要素を付与したりすることは、古くから行われてきました。
これは現実的な等身大の人物を書くより簡単なことでも文学性で劣ることでもありません。
どちらにも面白さがあり、書くには違った難しさがあります。
作品ごとに、ふさわしい方を選べばよいのです。
このように、作られた物語は不正確なことが非常に多いです。
それでよいのです。
その方が面白いのならば、ですが。
つまり、物語上の言動や設定について、リアリティーがあるかどうかを判断する基準は、現実に即しているかどうかではありません。
それによって物語が面白くなっているかどうかです。
現実と同じにするとつまらなくなるなら、うその方が正解なのです。
展開やトリックについても、読んでいる途中でなければ、本当にその通りになるのか疑問を持つ人がいてもよいのです。
最後までページをめくる手を止めさせずに楽しませることができたのなら、作者の勝ちです。
そのあとで問題点に気付いて考察するのも、小説の楽しみ方の一つでしょう。
創られた物語だからこそ可能なことをどんどん盛り込んで、現実では味わえない面白さを実現することが、作者の仕事だと思います。
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