オリジナリティーとは

 日本で一番すぐれた小説家は誰だと思いますか。

 この問いに、あなたはどんな名前をげるでしょうか。


 私は紫式部だと思います。

 死後一千年もたっているのに、代表作の題名・作者名・主人公の名前を日本人のほとんどが知っているからです。

 そんな作品が他にありますか。


 現在書店に並んでいる数万冊の本のうち、一年後も棚にあるのはどれほどでしょうか。

 小説だけに限っても、半年もたたずに棚から消えてしまう本のなんと多いことでしょう。

 そう考えると『源氏物語』のすごさが分かります。

 戦国武将の伊達だて政宗も読んでいたようですし、江戸時代に絵巻物は大名家の姫君への贈り物として人気があったそうです。

 明治以降も谷崎潤一郎が現代語訳するなど、小説や漫画に大きな影響を与えています。


 『源氏物語』ほどではなくても、書かれて百年以上たつのに読まれ続けている小説もあります。

 夏目漱石そうせきや森鴎外おうがいや芥川龍之介などの作品です。

 海外にも文豪と呼ばれる作家がたくさんいて、多くの国の言葉に翻訳されて愛され続けています。


 そうした作品はなぜ時代を超えて生き残ることができたのでしょうか。

 理由はただ一つ、その作品にしかない魅力や面白さがあったからだと思います。

 古語で書かれたものや外国の小説をわざわざ翻訳してまで読むのは、その作品を読まなければ味わえないもの、他の人が同じような作品を書いたとしても決してまねのできない何かがあるからです。

 大同だいどう小異しょういの内容なら、自分と同じ時代に生きる作者が今の世相せそうや風俗に合ったように書いたものの方が読みやすく理解しやすいはずです。

 『源氏物語』は紫式部がふと思い付いて書いたものが宮中で話題となったのだそうですが、作者と身分や暮らしぶりが近い人々の興味を引くだけの内容であったなら、流行が過ぎ時代が移れば忘れ去られていたでしょう。


 他の作品にはない、その作品だけの面白さや味わい。

 その作者にしか書けない、他の誰にもまねできないもの。

 そういう魅力を、私たちはオリジナリティーと呼んでいます。

 小説を面白くし、作品や作者のファンを生み出す最も重要な要素です。



 では、オリジナリティーのある作品を書くにはどうしたらよいのでしょうか。

 一言で述べますと、ひねることです。


 オリジナリティーはひねりから生まれます。

 よくあるもの、ありふれたものをそのまま書いてはいけないのです。

 文体の癖のように自然と表れる個性もありますが、意図的にオリジナリティーを与えようとするなら、ひねりが必要です。

 具体的には四種類あります。

 表現のひねり、ストーリーのひねり、題材のひねり、テーマのひねりです。


 まず、一つ目の表現のひねりです。

 これは文章表現の面での工夫のことです。

 二つの短歌を例にあげましょう。


  逢ひあい見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思ざりけり


 百人一首の一つです。

 後朝きぬぎぬの歌と呼ばれるもので、初めて女性の屋敷を訪れて一晩過ごした男性が、翌朝女性に送った歌です。


 大意たいいはこうです。

 「お会いする前もあなたを恋しく思っていましたが、一夜を共にした今朝は、昨日までの気持ちは恋とは言えない程度だったなあと思うのです。(それくらい、あなたを好きな気持ちがずっとずっと強くなりました。)」


 もう一つ、百人一首から別な短歌を紹介します。


  君がため しからざりし 命さ 長くもがなと 思けるかな


 大意はこうです。

 「昨日まではあなたにお会いできるなら命なんて惜しくないと思うくらい恋焦こいこがれていましたが、一夜を共にした今朝は、あなたとずっと一緒にいたいからこの命が長くあってほしいなあと思うようになりました。(それくらい、あなたを好きな気持ちがずっとずっと強くなりました。)」


 この二つの歌は要するに、「あなたは素晴らしい女性でした。一晩一緒に過ごしてあなたのことをますます好きになりました」と女性をほめているのです。

 どちらも言いたいことは同じなのに、発想や言い回しの違いでそれぞれの面白さがあります。

 文芸作品は言いたいことをそのままの言葉で直接述べずに婉曲えんきょくな表現をしますが、そこに作者の工夫と個性が表れます。

 内容が似ていても、他の誰にも思い付かない表現をすればオリジナリティーが出るのです。


 そもそも、一から十まで斬新ざんしんな作品はなく、登場人物の多くがどこかで見たような類型であったり、既視感きしかんがある設定やストーリー展開が含まれていたりするものです。

 エンターテインメントの物語には、あつい友情は美しいとか恋は素晴らしいといったありふれた内容のエピソードがよく見られますが、違う作者が異なる登場人物やストーリーや舞台と、小説なら文体、漫画なら絵柄で表現すれば、別な面白さの作品になります。

 内容が平凡でも、独自の言葉で表現すれば新鮮に感じさせることができるのです。


 新しい観点や思想から世の中を切り取った文豪もいますが、そういった作品にも刺激的で分かりやすい表現の工夫は必要です。

 独自の表現で驚きやおかしみを加えると、読むことが楽しく喜びを得られるものになり、それが興味と理解と共感を生んで、伝えたいことを読者の心に刻み込むことができます。

 それがなければ、どれほど内容が興味深いものであったとしても、読みにくくつまらないと見なされて、広く愛されることはなかったでしょう。


 文章がうまい人、筆力が高い人が書くと、同じあらすじでも面白くなります。

 下手な人が書くと、名作をなぞっても薄味で退屈に感じられます。

 それぞれの場面には書き方が無数にあり、誰の視点で描くか、どれほどの長さ・文章量にするか、どういう雰囲気にするかなど、表現の仕方に書き手の技量と感性が表れます。

 同じ人物をモデルにして肖像しょうぞうを作っても、油彩画か、水彩画か、版画か、写真か、彫刻か、コンピューターグラフィックかによって、印象は随分変わるでしょう。

 何を描いたか以上に、どのように描いたかが重要なのです。

 ゴッホのひまわりの絵は有名ですが、珍しい花だから人気があるわけではありません。

 ゴッホの表現が特別で唯一無二ゆいいつむになのです。


 ただ、ありふれたことを面白く感動を呼ぶように表現するのは簡単ではありません。

 旅番組などで料理の味を伝えようとする人は、大抵同じような言葉で似た内容を言います。

 そういう表現がよい、分かりやすいと思っていることもあるでしょうが、それ以上に他の人と違うことを言えないのが理由です。

 料理の味を的確に伝えられてしかも面白い表現を見付けられないのでしょう。

 例に挙げた二首の短歌も、誰にでも思い付ける表現ではないからこそ、すぐれた作品と見なされているのです。

 他の人をびっくりさせる斬新な言い回しが頭に浮かぶ人は、表現の才能があるのに加え、その分野についていつもいろいろ考えているに違いありません。


 文芸作品では、その作者にしかできない独自の表現をする力は何よりも大切なものです。

 物語とは、要約すれば一言ですんでしまう内容やテーマをさまざまな表現を駆使くしして面白く読ませるものなのです。

 オリジナリティーの基本は表現のひねりにあると言ってよいでしょう。



 次に、二つ目のストーリーのひねりです。

 これは物語の構造や組み立ての面での工夫のことです。


 例として、O(オー)・ヘンリーの短編小説『賢者けんじゃの贈り物』を挙げましょう。

 この作品は貧しい若い夫婦のクリスマスのお話で、夫が妻に、妻が夫に、こっそり贈り物を用意します。

 二人はそれぞれ自分の一番大切なものを売ってそのお金を作るのですが、贈ったものが相手の一番大切なものに関係するものだったため、もらっても役に立たなくなってしまいました。

 でも二人は、相手が自分のために一番大切なものを犠牲ぎせいにしてくれたことを知って、うれしく思ったのでした。


 多分、O・ヘンリーは贈り物をし合う仲の良い夫婦の話を書こうとしたのでしょう。

 単にお互いに欲しかったものをもらって喜んだだけでは当たり前で面白くありません。

 そこで、ひねりを加え、贈り物はもらっても使えなくなったことにしたのです。


 この夫婦は馬鹿なことをしたようにも受け取れますが、読者の心に残るのは滑稽こっけいさやあきれの感情ではありません。

 二人は貧しいけれど、相手への愛は互いに贈り合うことができたのです。

 贈り物で最も大切なのは相手を喜ばせたい気持ちだというテーマが、使えなくなったことで強調されます。

 クリスマスに贈り物をするというありふれたお話を、O・ヘンリーはとてもオリジナリティーにあふれた名作に変えてみせました。


 こうしたひねりが上手にできると、小説はぐっと面白くなり、唯一ゆいいつ無二むにの作品になります。

 ストーリーは先が読めてしまうと面白さが半減します。

 既視感きしかんのあるストーリーをそのまま書いては駄目なのです。

 語る順番を変えたり意外な展開にしたりすることで、ありふれた物語を新鮮に感じさせることができます。


 小野おの不由美ふゆみ氏のファンタジー「十二国記じゅうにこくき」シリーズの『つきかげ かげうみ』は、文庫本では上下の二冊です。

 主人公の陽子ようこが異世界に行って逃げ続けるのですが、上巻ではどういう世界なのか、彼女がなぜねらわれるのかよく分かりません。

 陽子はひどい目にばかりあい、読者の頭は疑問でいっぱいになります。

 下巻に入ると、膨大ぼうだいで複雑な設定が、人に会ったり町に立ち寄ったりするたびに少しずつ開示されます。

 明らかになる驚愕きょうがくの事実や十二国世界の不思議さに読者は引き付けられ、ページをめくる手が止まらなくなり、多くの人が大満足で読み終えるでしょう。 

 つまり、上巻は謎をばらまく部分で、下巻は解決編・たねあかしになっているのです。


 また、同じ「十二国記」シリーズの『かぜ万里ばんり 黎明れいめいそら』は、三人主人公の形式をとっています。

 ある地方で起こった動乱を異なる事情を持つ三人の少女の視点で描いています。

 この小説の主人公が一人だけだったら、随分と違う味わいになったことでしょう。


 アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』も構成が見事です。

 名探偵ポワロたちの活動の間に、時々怪しい人物の行動が挟まれますが、それが読者を惑わせ、犯人を誤解させ、トリックに驚嘆きょうたんさせるのです。


 このように、物語の組み立て方や語る順番を工夫すれば、より面白く感じさせることができます。

 物語を印象的で興味深いものにし、読者を引き込むために、ストーリーのひねりは大変重要なのです。



 三つめは、題材のひねりです。

 これはありふれたテーマや物語の舞台の世界や登場人物を新しく見せる工夫のことです。


 オリジナリティーのある小説と聞いて、どのようなものを思い浮かべますか。

 誰も見たことも聞いたこともないような全く新しい作品でしょうか。

 私が真っ先に思い出すのは次のようなものです。


 まず、夏目漱石の『吾輩わがはいは猫である』です。

 主人の教師など人間という生き物と当時の社会を、猫の視点から鋭く観察し風刺ふうししています。

 現在では動物が主人公の作品は、とりわけ童話や漫画では珍しくありませんが、当時は新しかったでしょう。

 人間が語るのではなく猫の視点にしたことで、より興味深くおかしみを感じさせる物語となっています。


 また、『ポルトガルぶみ』という十七世紀に書かれたフランスの小説があります。

 ポルトガルの修道院の若い尼僧にそうがフランスから来た駐在武官ちゅうざいぶかんの若者と恋に落ちますが、若者は命令が来て帰国してしまいます。

 それを知った尼僧が若者に送った五通の手紙という形式の作品です。

 男女が出会って恋に落ちて結ばれるお話は世にあふれていますが、この作品は違います。

 男に捨てられたあとの乙女の恋心とあきらめるまでの気持ちの移り変わりを活写かっしゃしているのです。


 コンスタンの『アドルフ』も同じくフランス文学です。

 全十章の作品で、大学を出たアドルフ青年は恋をしてみたいと思い、遊学先で十歳上の女性エレノールを口説き、三章で結ばれます。

 四章で故郷の父のもとへ帰る期限が来ますが、熱烈に愛し愛されたのが初めてだったエレノールは夫と子供を捨てて家を飛び出してすがってきます。

 アドルフは自分の愛情が既に冷めていることを自覚しつつ、彼女が世間の評判の落ちるのもかまわず多額の財産を断ってまで追いかけてくるため、別れをなかなか切り出せず、ずるずると関係を続けてしまい、やがて悲劇が訪れます。

 口説き落としたがもう飽きた女との関係を同情で清算できない男の心理を克明こくめいに描いた小説なのです。


 目新しい題材とは、奇想天外なものではありません。

 ありそうでなかったもののことです。

 ありふれた題材でも、ちょっと視点や切り口を変えるだけで、斬新な作品が生まれるのです。


 この時、しばしば使われるのは新しい要素を持ち込むという手法です。

 既存きそんのものに別な要素をくっつけるのです。


 田中芳樹よしき氏の『銀河英雄伝説』は、『三国志演義』のような歴史物語にSFの要素を持ち込みました。

 数万隻の宇宙船の大艦隊同士が地上戦のようにさまざまな陣形を組んで激突する戦いを書いた作品はそれまでなかったと思います。

 しかも、名君による独裁と腐敗した共和制の対比、要塞対要塞の戦いでは宇宙空間やワープを前提とした戦いを描くなど、設定に合わせてあれこれ工夫をらして新しい物語に仕上げてあります。

 単に舞台を未来の宇宙にしただけでなく、そこから想像を広げて壮大な世界を細部まで作り込んだからこそ、面白い作品になったのです。


 似たような状況であっても、変わった性格や特徴の主人公を置いてやると、まだ誰も書いていない物語が生まれます。

 同じ登場人物であっても、変わった状況に投げ込んでやると新たな魅力を引き出せます。

 表現やストーリーやテーマもそうですが、既存のものやありふれたものをそのまま書いても面白くありません。

 一ひねり一工夫をし、新しい要素を盛り込んだり、一部を変化させたりすることで、よくある物語を新しいものに変えることができるのです。



 そして、四つ目はテーマのひねりです。

 物語の着想や切り口の独自性のことです。


 森鴎外に『高瀬舟たかせぶね』という短編があります。

 遠島えんとうの刑に決まった罪人を護送する高瀬舟の中で、監視役の正兵衛という同心どうしんが、喜助という罪人にどんな罪を犯したのかを尋ねます。

 喜助は弟が重い病気で自殺をはかって死にきれないでいるのを発見し、頼まれて首に刺さっていた剃刀かみそりを抜いて死を早めたことで、殺人罪に問われたというのです。


 このあらすじで小説を書こうと思ったら、放っておいても弟は死んだはずなのに喜助の行為が殺人に当たるのかという疑問や、安楽死の是非という問題に焦点しょうてんを当てるのが普通でしょう。

 これらのテーマは現在も議論されていて借りてきたような既視感がある上に、多くの人にはどこか遠い問題です。

 喜助の体験も典型的なもので、それだけなら平凡な小説でした。


 しかし、鴎外はひねりました。

 正兵衛という同心は、これは罪なのかすっきりしなかったけれど、お奉行様が決めたことだからと、考えるのをやめてしまうのです。

 上役の決めたことや権威に無批判に従う凡人の反応を鴎外は浮き彫りにしたのです。

 それによって、「こうした問題に直面しても自分のこととして受け止めようとしない人は多いが、あなたはどうなのか」と、全ての読者が自身の生き方を鋭く問われることになりました。


 この例のように、テーマのひねりとは、物語に新たな視点で光を当てることです。

 『三国志演義』は、実際の歴史をもとにしつつ、義の人劉備が忠義の人関羽などと共に奸悪かんあくの曹操に立ち向かうという切り口で描き、成功しました。

 日本の『平家物語』も、諸行無常しょぎょうむじょうという観点を持ち込んだことで、ただ歴史の事実を並べただけではない深い物語となりました。

 中島なかじまあつしの『山月記さんげつき』は、人が虎になったという怪異譚かいいたんまたは変身譚へんしんたんを、臆病な自尊心と尊大な羞恥心しゅうちしんに負けた男の物語として再構成しました。

 シェイクスピアの『マクベス』は、主君を殺して国王になったが、やがて自分も攻められて死んだというのが史実です。

 それを、魔女の予言を自分に都合よく受け取って大それた野望を持った夫と、実行をそそのかした妻が、罪の意識にさいなまれて滅んでいく姿として描いたのです。


 これらの作品は、テーマや切り口をひねると、ありふれた題材でも斬新で奥深い物語になることを示しています。

 こうしたひねりのためには、他の誰とも違うその作者独自の物事への着眼点、深い洞察や考察、自前の思想や価値観などが必要です。

 そういうものが盛り込まれた作品は、本当の意味で過去に一度も書かれたことがなく誰にもまねのできない作品になります。

 究極のオリジナリティーです。

 だから文豪と呼ばれる人たちは偉大なのです。

 ありそうでなかったものや、ありふれたものをひねっただけなのですが、それが難しいのです。



 ここまで述べた通り、オリジナリティーを生み出すのはひねりです。

 よくあるものをそのまま書いて名作にするのは非常に困難なのです。

 表現のひねりは、感心させ、想像を広げさせ、内容に味わいとおかしみを加えます。

 ストーリーのひねりは、先を読めなくし、驚きと先の展開への期待や読後の満足感をもたらします。

 題材のひねりは、新鮮に感じさせ、それまでなかった新しい物語を生み出します。

 テーマのひねりは、物語を深くし、感動させ考えさせます。

 この四つのひねりのどれかまたは複数が高度な場合、芸術性が高い作品と見なされます。


 ひねり方にこうすればよいといった定式ていしきはありません。

 まっすぐな道をはずして意外な結末にすれば必ず面白くなるわけではないのです。

 型やよく見るやり方はありますが、どのひねり方を採用するかは書き手の判断なのです。


 大切なのは物事や人間に対する作者独自の切り口や視点や感性です。

 そうしたものは他人には決してまねできないため、上手に作品に反映させることができれば書き手の個性や魅力となります。

 逆に、その作者らしい視点やひねりのないエピソードは、どこかで見た物語を模倣もほうしただけのものになってしまいます。


 では、どうしたらそういった視点や思想を得られるのでしょうか。

 答えはただ一つ、多くの経験をし、知識をたくわえ、自分の頭でよく考えることです。

 近道はなく、毎日の生活の中で考えを深めるしかないのです。


 推理小説の作家はなぜ奇抜なトリックを次々に生み出すことができるのだと思いますか。

 トリックを考え出す自分なりの方法や発想法を自力でみ出したからです。

 星新一氏が一千を超えるショートショートを書くことができたのも、自分に合ったアイデアの出し方やストーリーの作り方を会得えとくしたからです。

 そうした方法を誰かから学ぶことはできません。


 小説執筆の指南書しなんしょが役に立たない理由はここにあります。

 小手先こてさきの技術や知っておくべき知識は学べますが、視点は教えられないからです。

 よく勉強したことが分かる上手な小説が書けたとしても、オリジナリティーが備わっていなければ本当の意味で面白くはなりません。


 よく耳にする発想法として、思い付くまま並べたばらばらな要素をくじ引きのように組み合わせる方法がありますが、それで傑作を書くのはかなり難しいでしょう。

 偶然任せである上に、既存きそんの知識や形式や型に頼っているとすぐに限界が来ます。

 驚くべき組み合わせができても、そこから面白いストーリーや登場人物を生み出すのは書き手の視点や技術です。

 少なくとも、言葉を適当に組み合わせる方法では、決して『賢者の贈り物』や『高瀬舟』のような発想はできません。

 こうした作品は、世の中の誰もがそういうものだと思い込んでいることに、本当にそうだろうかと疑問を持ち、その先はどうなるのだろうと想像をふくらませて生み出されたものです。


 結局、一番よいのは小説をたくさん読むことです。

 小説には作者の思考と経験がぎゅっと詰まっています。

 それをどのように料理して物語にしたのかを知ることも勉強になります。

 いろいろ読むうちに、あの作者はこう書いたが自分はこう思う、こうしたい、こっちの方が面白いし好きだというのが出てきて、自分の書きたいものや趣味嗜好、こだわりや越えなければならない壁が見えてきます。


 きれいな文章は、上手な文章をたくさん読まないと書けるようになりません。

 同様に、ひねったストーリーも、さまざまなストーリーを知っているから思い付くのです。

 物語の経験と知識が増えると、表現や題材やテーマのひねりもうまくできるようになります。


 本を選ぶ時は、あまり読んだことがないジャンルにも挑戦しましょう。

 普段小説しか読まない人が漫画を読むと、表現の仕方の違いやストーリーの進め方の工夫を面白く感じます。

 日本人には当たり前のことを、外国人が驚くことは珍しくありません。

 違う視点から眺めることで、ありふれたものにも新しい魅力や欠点を発見することができます。

 同様に、ライトノベルだけを読んでライトノベルを書くのではなく、いろいろな小説や文章や本を読むことで、もっと広い目でライトノベルやその約束事やストーリー展開の型などをながめることができます。

 創作をする人は新しいものを生み出し続けなければなりません。

 視点を広げて新しい刺激を受けることは常に必要なのです。


 お勧めは文学作品です。

 文学を読めば、天才と呼ばれる偉大な文豪たちがどのように人間を、人生を、世の中を、神や自然を見つめていたかを知ることができます。

 さまざまな物語や小説の中で、最上位の傑作が文学と呼ばれる作品群なのです。



 ところで、四つのひねりのうち、表現のひねりとストーリーのひねりと題材のひねりは絶対に必要です。

 加えなければどこかで見たような退屈な物語になってしまいます。

 しかし、テーマのひねりはしなくても面白い物語を書くことができます。

 エンターテインメントの作品はこれをしないのです。

 ひねった作品は「もやもやする」からです。

 テーマのひねりの追求に重きを置いた作品は文学的なものとみなされます。


 物語とはテーマをエピソードの形にしたものです。

 テーマ自体はエンターテインメントの作品にも含まれます。


 例えば、「誠実であることの大切さ」というテーマだとしましょう。

 テーマをひねらない物語ならば、「男性が喧嘩けんかをしたり誘惑を受けたりしても恋人の女性に誠実であり続ける」ストーリーを描きます。

 女性も縁談が来たり違う男性と旅に出たりしますが、二人はお互いだけを愛し続けてあやまちを犯さず、最後に結ばれて幸せになります。


 これに対して、文学的作品はテーマをひねります。

 「男性が恋人に誠実であろうとして、彼女の友人にもかれていることを告白する」といったものにするのです。

 友人の女性に手を出すつもりは一切なく、恋人を裏切るような行動もしたことがありません。

 それでも、うそをつきたくないからと、友人の女性と二人でいると意識してどきどきしてしまうことを隠さずに話します。


 冗談のつもりの問いにそんな答えをもらって、恋人は動揺します。

 「なら、あの人はどう? こっちの人は?」

 尋ねない方がよいと思いつつ、恋人は気になってしまいます。

 男性はどの人も魅力的に見えると正直に答え、それでも愛しているのはあなただけだと言いますが、恋人は次第に不安になっていきます。


 読んだ人はきっと思うでしょう。

 「正直なのはよいこととされるけれど、そんなことまで話す必要があるのか。」

 「いらぬ告白をして恋人を悩ませるのは誠実な態度と言えるのか。うそをついてでも安心させる方が誠実なのではないか。」

 「きっと恋人は友人との関係がぎくしゃくするだろう。恋人を悲しませても正直さを優先するのは誠実なのか。」

 「心の中だけであってもそういう気持ちを感じてしまうのは悪いことなのか。恋人以外の女性をそうした目で見るのは浮気をしているも同然なのか。」

 「誠実とはどういうことか。常に正直であるより時にはずるくなってだます方が、自分も大切な人も幸せになれるものなのか。」


 こうした問題にはさまざまな見方があり、人によって意見が違います。

 「彼はどうするのが正しかったのだろう。」

 「そんな話を恋人に聞かされたら、自分はどう思い、どう反応するだろうか。」

 はっきりした答えがない問いなので、迷い悩むでしょう。

 自分なりの答えはあっても、それが絶対に正しく、みんなもそう考えるべきだと断言はできません。


 ひねっていない物語は、読者が慣れていて好ましく思うこと、意識的にまたは無意識に信じていることや信じたいことを肯定的こうていてきに示すため、あまり頭を悩ますことなく素直に受け止めて気楽に楽しむことができます。

 「誠実であることの大切さ」に疑問を感じる人は少ないからです。

 「こういうのがお好きですよね」と読者が心地よく感じることを提示するのです。

 ある意味びているとも言えます。


 一方、テーマをひねると問いかけの形になります。

 「これについて、あなたはどう思いますか。あなたならどうしますか」と読者は問題を突き付けられ、常識や思い込みや信じていたことが揺らぎ、いろいろ考えさせられます。

 そうした問いは、自分にも無関係でなく、自身の生き方や人生観や人間観が問われます。

 だからこそ、答えが欲しくなり、考えさせられ、もやもやします。


 読み手に新たな視点を提示し、物事や世の中の見方を変えてしまうのがすぐれた文学です。

 考えを深めるきっかけを求めている人には、そのような作品は素晴らしい刺激であり、人間や人生の真実に一歩近付けた気持ちがします。

 長く心に残り、時々頭に浮かんできて繰り返し考えさせられ、生き方や考え方に影響を与えるかも知れません。

 一方で、しばしば重いお話になりがちで、読んだあと暗い気持ちになることも珍しくなく、手軽に楽しめるものにはなりません。


 しかし、そういうものを物語に求めない人も多くいます。

 物語に楽しい時間だけを期待している人々です。

 そういう人にとって物語は、分かりやすくて、痛快で、笑えて、あるいは思い切り泣けて、読み終わったらすっきりした気持ちになれればよいのです。

 答えのない難しい問いなど邪魔で、ましてや自分のこれまでの人生や常識や生き方を振り返って反省することを迫られるようなものは敬遠します。


 ですから、エンターテインメント、つまり娯楽ごらく性に主眼しゅがんを置いた作品は、重いテーマをえて入れないことがよくあります。

 「固い友情は美しい」とか、「若い男女の純粋な恋」といったありふれていて、世の中の評価がある程度定まっている現象を主題しゅだいとします。

 そういうものはテーマといってもひねっておらず、問いかけず考えさせないものであり、一見答えがはっきりしていて悩む必要がありません。

 だから、もやもやしないのです。


 そもそも、物語の面白さとは何でしょうか。

 いろいろな考え方があると思いますが、基本は心を揺り動かされる楽しさだろうと思います。

 人間は笑ったり泣いたり怒ったり興奮したりするなど強い感情を呼び起こされた時に快感や充実感を覚えます。

 それが人間という生き物の本能や本性ほんせいであり、生きている喜びそのものです。

 知的な刺激も、それによって興味やわくわくする気持ちが引き起こされるから面白く感じるのであり、その意味では感情の動きです。

 表現のひねりも、ストーリーや題材のひねりも、このために行われます。


 これは絵画や音楽や大道芸などあらゆる表現活動に共通しています。

 表現するとは、読み手や観客に働きかけ、受け手の心を揺さぶることです。

 とりわけ美しく崇高すうこうな感情を引き起こすものは芸術性が高いと見なされます。


 では、人の心を一番揺り動かすものは何でしょうか。

 それは他人の感情です。

 人は集団生活を送る動物で、仲間たちの感情や考えを常に気にしています。

 自分の生活や、時には生命にも影響することだからです。

 同時に、私がここにいることを知っていてほしい、自分をよく見てほしいと思っています。

 他人から興味の視線や賞賛や愛情、つまり強い関心や好意的な感情を向けられると幸福を感じます。

 他の人の、人たちの、強い感情を感じ取った時、激しい関心や愛情を向けられた人物の心情を追体験した時、人の心は最も震えて、大きな喜びや充実感を覚えるのです。

 ゆえに、すぐれた芸術は感情を表現します。

 人間の内面、思いや願い、苦悩や喜びや愛が、生き生きと迫力を持って伝わってくる作品は、大きな感動を引き起こすのです。


 面白い物語を作ろうと思うなら、読者に何かの感情を引き起こして心を揺さぶらなければなりません。

 エンターテインメントは快い感情を呼び起こすことを目指し、爽快さや痛快さを追求します。

 文学的作品は気付かないでいた現実を突き付けたり答えにくい問いを投げかけたりして知的刺激を与え、自分自身や人生についてあれこれ考え悩むという快楽をもたらします。

 どちらも人の心に働きかけますが、揺さぶり方が違うのです。


 ですから、エンターテインメントと文学的作品を比べて、どちらが高尚こうしょうかといった比較や、低俗だといった批判は無意味です。

 ねらいが違うからです。

 エンターテインメントの物語は、テーマのひねりや深い内容がなくても、読者に楽しい時間を提供できているなら作品として成功なのです。


 どこかで見たようなありふれたストーリーの小説やテレビドラマや映画が作られるのは、これが理由です。

 そういう作品は決まった面白さを約束するエンターテインメントであって、文学のように唯一無二のものや知的な刺激を目指しておらず、方向性や作成動機が違います。

 大枠おおわくは同じストーリーでも、エピソードや発言や行動で登場人物たちの魅力を伝えて好きになってもらうことに成功すれば、彼等の運命や幸福や不幸に読者は驚き喜びあるいは涙し、感情を揺さぶられて面白く感じるのです。

 現実にそういう内容を楽しいと感じる人がいて需要じゅようがあるから、何度も同じような作品が作られ続けます。


 多くの人は既に知っている面白さをまた味わいたくてお金を払います。

 奇抜なやり方、仰天ぎょうてんするような発想、受け手が全く想像しなかったもので感動させ面白がらせるのはとても難しく、それを成し遂げたからこそ文豪たちは偉大なのです。


 ただし、物語は新鮮でなければなりません。

 一番心が動くのは初めて触れるものに出会った時だからです。

 創作者は定番の題材や決まった面白さのものを新しく感じさせる工夫をしなければなりません。

 テーマをひねったものの方が芸術として高く評価されるのはこのためです。

 ひねらないテーマは常識的でどこかで見たような内容であり、新しさや独自性が薄くて他の作者も似たものを書けるため、消費されてすぐに忘れられていく作品となりやすいのです。


 自分が何を望んでいるのか、どうなれば幸せになるのかを分かっている人は実は少ないものです。

 自覚するには言語化して認識しなくてはならないからです。

 例えば誰かに嫉妬しっとした時、何が原因なのかを把握できなければ、根本的な解決法や対処法は分かりません。

 多くの人は酒や異性や娯楽といった快楽や心地よいことに逃げて、一時いっときその不満や不安を忘れようとします。

 これに対して、芸術家は表現することでそれを解消するのです。

 画家は絵で、音楽家は音で、小説家や詩人や哲学者は言葉を使って自分の心や社会の現状に切り込みます。

 ゆえに、小説家には三種類います。

 人間の心や生態を分析して人類普遍の悩みや苦しみや喜びの理由や原因を探り、問題点や自分の考えた答えを読者に投げかける者。

 人々の表面に見える行動の奥に複雑で深い理由や原因があることを察しつつも、それを忘れられる娯楽を作ろうとする者。

 そういう原因や理由の存在に気付かずに、ただ面白おかしいものを作ろうとする者です。


 ですから、エンターテインメントを書きたいのだとしても、文学の傑作がどのようなものかは知っておいた方がよいでしょう。

 テーマをひねった作品を書ける人のひねらない作品と、ひねったものを書けない人の作品は違います。

 作者が過去の名作を知っているかどうかは作品を読めば分かるのです。


 なお、絵画や音楽やダンスなどのパフォーマンスには、何かを感じてくれればよく、意味や受け取り方は見た人にゆだねるというものもあります。

 これに対し、物語や小説は、文字や言葉が意味を伝える手段ということもあり、伝わってきたり読み取ったりする内容が存在することをどうしても期待されます。

 友人が飛ばす冗談は笑わせるのが目的でそれ以上の含意がんいなどないと分かりますが、長々と言葉で語られたら何か言いたいことがあるのだろうと感じるでしょう。

 核となるテーマがあって、それをいかに面白く味わい深く伝えるかが物語の書き手の仕事なのです。

 ただ、文学や名作に触れたことがない人々はあまりそう感じていないかも知れません。


 このように、エンターテインメント作品にはテーマのひねりがありません。

 題材はひねってもテーマはひねらないのです。

 文学的作品に慣れた人からすると、考えさせるものがなく、ただ面白おかしいだけで内容が薄く軽く感じられます。

 しかも、小説の場合、文芸的文章で書かれます。

 小説に慣れている人は無意識のうちに、文章の後ろにほのめかされているものを読み取ろうとします。

 その読み取れる何かが物語の「深さ」と呼ばれているもので、通常は文学的テーマのことです。

 しかし、エンターテインメントは内容のひねりがないため、目新しいものが含まれておらず、肩透かしを食らった感じがします。


 とりわけ、ライトノベルはこれが顕著けんちょです。

 ライトノベル以外の小説は、書き手が文学を読んでいることが多く、読み手も大人を想定しているため、エンターテインメントであっても読み応えを作ろうと、問いかけは薄いけれど笑い飛ばせもしない程度のテーマを設け、表現やストーリーや題材をひねります。

 これに対し、ライトノベルは想定する読者の年齢が低いこともあり、単に笑えるだけで意味がほとんどない会話や行動をさせることが珍しくありません。

 表現やストーリーや題材も分かりやすさを重視して、あまりひねったりったりしない傾向にあります。

 一つ一つの場面でも、一冊全体を通しても、笑わせ驚かせるなど刺激を与えることを最も重視していて、楽しく読めたという感想だけで、心に残るほどの何かは読み取れないことも多いです。

 こうしたことから、ライトノベルはことさらに軽く感じられるのです。


 また、ライトノベルの中でもインターネット上の小説投稿サイトから出版されたものに特有の問題として、技術の未熟な作者の手になる作品が少なくないことがあります。

 そういった作品は文芸的文章や「描写」になっておらず、状況や心理をそのまま「説明」した記述の羅列られつになりがちです。

 「描写」とははっきり書かずに婉曲えんきょくに表現することであり、それこそが表現のひねりであり工夫なのですが、それをしないのです。

 一人称が多く採用され、主人公が置かれた状況や考えていることを直接的な言葉で書いてしまう傾向があることも、それに拍車をかけます。

 その方が書きやすく分かりやすいですが、文章のひねりが薄くなり、ほのめかさないため表現の奥を読み取る楽しさもなく、プロの手によるしっかりした文芸的文章に慣れている人たちには単純で薄っぺらい文体に見えてしまうのです。

 本来、一人称は内心を克明こくめいに描くことによって主人公の性格のゆがみや異常性や偏執へんしつぶりや自己中心的な思考などを読者にさらけ出し、観察させ批判させるような書き方をするものなのです。


 エンターテインメントが主眼の作品で多くの人を笑ったり泣いたりさせたいなら、テーマのひねりは不要です。

 流行を追い、同時代の人々が好むものを取り入れて、痛快で娯楽性の高いものを書けばよいでしょう。

 ただし、一時的に話題になっても忘れ去られるのは早いです。


 考えさせられる文学的作品を書きたいなら、頭をしぼってテーマをひねりましょう。

 うまく書ければ唯一無二の名作となり、時代を超えて読み継がれる可能性があります。

 流行や知識や技術は古くなりますが、人間や人生に関する普遍的テーマは面白さが変わらないからです。


 厳密に言えば、文学的作品にも痛快さや娯楽性はあります。

 エンターテインメント作品にも内容の深みが感じられるものもあります。

 両方の要素を兼ねる作品、つまりテーマのひねりがあり、かつ表現やストーリーや題材を工夫して笑わせたりどきどきさせたりするものが書ければ、傑作と呼ばれるかも知れません。


 クラシックのような芸術性を追求する音楽は素晴らしいです。

 けれど、酔った人たちがしゃがれ声で歌う故郷の懐かしい流行歌にも涙はこぼれます。

 カラオケでみんなで騒ぐ曲、踊りうかれる音楽も、人々を幸せな気持ちにします。

 同様に、どのような小説や詩歌であっても、読んだ人や口ずさむ人が面白く楽しいと感じるのなら、人生を豊かにするのです。


 どの方向を目指すにしても、四つのひねりの技術を向上させることは大切です。

 オリジナリティーは実力あってのものです。

 アイデアがよくても、それを面白くてよくできた物語や小説に仕上げる技術と筆力がなければ、ただちょっと変わった駄作ができるだけです。

 卵焼きを満足に作れない人がオリジナルのレシピを考案したと言われて味に期待するでしょうか。


 四つのひねりを上手くできるようになれば、一千年たっても世界中の人々に愛されて読み継がれる本当にオリジナリティーのある物語を、いつか書けるのかも知れません。



  おまけ


「世界最高の名曲は何だと思う?」

「多分、ベートーヴェンの第九かな?」

「私は『ハッピー・バースデイ・トー・ユー』だと思うの。だって、最も多くの人を幸せにした曲なんだから。歌われる人も、歌う人たちもね」

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