第4話 黒いダイアリー

「この世に、不変、不動の事実=真実などない」

 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの「万物は流転する」と少し似ているが、これがぼくの哲学だった。

 真実を求めながら、真実はない、というのは矛盾しているが、そこに人間という要素がある限り「真実」はないのだ。

 もし真実を語るやつがいたら詐欺師か宗教家なので、そう思ってつき合えばいい。

 真実はないが人間の数だけ事実がある。

 事実と事実を無限に突き合せてもいっても出てくるのは事実だけ。

 それが真実なき世界の真実なのかもしれない。

 だから事実はいくらでもひっくり返るし、ひっくり返すことも可能だ。

 そんな世界に絶望するか、希望を持つか、いずれにしろ、そこに人間が生きる意味がある。

 13歳の頭でたどり着いた地点がこの辺りだった。


 自宅の部屋に閉じこもったぼくの前に、ツキモト先輩から借りた(押し付けられた)数学の教科書が置かれていた。

 教科書の表紙をめくると、黒革の本物の表紙が現れる。

 日本陸上界が注目する未来のスター選手から託された謎の小冊子。

 その名も────ブラック・ドット・ダイアリー。

 さぞかし興奮してむさぼるように読むだろうというのは当たらず、ぼくは極めて冷静だった。

 ぼくの哲学を実践するように、事実が何度もひっくり返ったせいで不感症になっているのだろうか。

 この中に驚くようなことが書かれていたとしても、もう驚かないかもしれない。 

 まあ、いい。

 ともかく、読み進めることにしよう。

「ダイアリー」というからには、誰かの日記なのだろうか。

 ぼくは雑念を払うと、黒革の表紙を開き、1ページ目をあらわにさせた。

 そこには、ツキモト先輩の繊細な字とは似ても似つかない、太いサインペンで書かれた角ばった文字が並んでいた。



「西暦二●一三年。

 太陽系第三惑星・地球。

 この星の食物連鎖の頂点は人間で、一番下は植物プランクトンだという。

 植物プランクトンは光合成をしているのだから、あの顕微鏡で見える緑色のごちゃごちゃしたやつらは、光の粒子を食べて生活しているわけである。

 つまり、食物連鎖の最底辺は〝太陽〟ということにならないだろうか。

 太陽は水素を核融合でヘリウムに変え、そのとき発生する大量のエネルギーで光り輝いている。地球上の生物はそのエネルギーで光合成をしたり、太陽光発電をしたり、布団を干したりしている。

 そんなふうに恵みを与えるだけの、食われっぱなしの太陽にむかって、ありがたいのか、うしろめたいのか、人間はわざわざ元日に山の頂まで登って拝んだりしている。

 しかし太陽は五十億年後、膨張をはじめ、やがて水星も金星もこの地球までもぺろっと飲みこんでしまうらしい。お日様は、今まさに鉄板の上の焼肉のように、アオミドロやらナナホシテントウやら道端三姉妹やらを育てているまっ最中なのだ。


 これは、地球に先駆けて太陽に飲みこまれてしまったぼくらが、巨大な炎の球を食い破ろうとあがき続けた闘いの記録である。」




 ────ここまでが、前書きのようだった。

 

 一読してぼくは、ちょっとびっくりした。

 まるで自分が書いたかのような文章だった。

 いわゆる中二病特有の自意識過剰な理屈っぽい文体というやつだ。

「道端三姉妹」というのはよくわからないが、これが書かれた時代の何かなのだろう。

 内容は、日記というよりは小説に近いようだ


 下の階からぼくを呼ぶ母の声がした。

 そういえば、夕食の時刻である。

「あとで食うから!」ぼくは大声で答えていた。

 かんあたわずというほどでもないが、切りのいいところまで読まないと、気がすまない気はした。

(つづく)

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