第3話 ザ・フェイク

 職員室での一件を機に、ぼくが学校のヒーローになったかといえば、そんなことには全然ならなかった。

 むしろ、逆だ。

 ぼくは以前にもまして校内で距離を置かれる存在になってしまった。

 あのタカハシでさえ、ぼくを遠巻きにする始末だった。

 いつの時代も真実を追求する者は孤独なのだと、ぼくは身をもって知ることになった。


 教師たちは教師たちで立場上ぼくを無視するわけにもいかず、変に意識しているせいか、とても見ていられなかった。

 教師たちは授業中、ぼくと視線が合うと、急に目が泳ぎだしたり、嘘くさい笑顔を作るが、その目はしっかりおびえていたり……。

 担任の北畠先生などは特にひどくて、ぼくがちょっと話しかけると────

「何にぃぃかしらぁぁ、西堀さぁぁぁん……」

 引きつった顔で、オペラ歌手みたいに声が裏返ってしまうのだ。

 

 新聞部がぼくのところへ取材に来るという話も、何だかよくわからない理由で立ち消えになってしまった。

 たぶん教師たちが手を回したのだろう。

 アンケート結果をビラにしてまいたり、壁新聞を作って職員室の前に貼ってやろうかとも思ったが、やめにした。

 これ以上、騒ぎを大きくしてどうなる。

 ぼくは、抗議活動や学生運動をしたいわけではない。

 ただ、真実が知りたいだけなのだ。

 * * *

 放課後の図書室で、ぼくは読書に励んでいた。

 モートン・ルーという人が書いた『ザ・ウェーブ』という小説だった。

 この小説に出てくる「実験的授業」と同じようなことが、10年前、この学校の2年C組でも行われたという。

 ぼくは、ある三年生のアンケートでそれを知った。

 また、噂では実験を行ったのは「アメリカ人」の英語助手だという話だったが、その三年生によると、それは間違いで、本当は「イギリス人」の「マクスウェル先生」だったというのだ。

 

 アンケート用紙は基本、無記名だったが、それとなくつけておいたマークで、どの学年に配ったものかはわかるようになっていた。

 この細く整ったきれいな字の三年生は、加賀見台中事件についてかなり知っていそうだ。

 このアンケートの三年生を探し出して話を聞いてみたいが、いろいろやらかしたあとである。

 今は表立った行動は控えておきたい。


 とりあえず、ヒントとなる情報はもらった。

 ぼくは小説『ザ・ウェーブ』を、よく行く区立図書館で借りるつもりだった。

 その前に学校の図書室も一応チェックしておこうと立ち寄ると、何のことはない。

 あっけなく見つけることができた。


 小説の内容はこうだった。

 カリフォルニアの高校の歴史の授業で、ナチスがドイツの民衆をどのように支配していったのか、教師が学生たちにじかに体験させようと社会実験を始める。

 教師はクラスで独裁的な指導者のようにふるまい、学生たちを全体主義国家の国民のように規律正しく管理していった。すると、学生たちは次第に個人の自由よりクラス全体のために行動するようになり、やがてその中から狂信的な学生グループが現れ、教師もコントロールできなくなるほど暴走を始める……という筋だった。

 解説のよれば、実話をもとにした小説だという。

 普通におもしろかった。

 まさか、こんな「実験的授業」が、うちの学校でも行われたというのか。

 小説は一応ハッピーエンドを迎えたが、加賀見台中事件の結末はどうだったのだろう。

 2-Cが閉鎖されたままということは、何かヤバいことが起きてしまったのではないのか。

 そこへぼくが興味本位で首を突っ込んできたから、先生たちは慌てているのではないのか。


 ぼくは『ザ・ウェーブ』のページをめくって、読み返していた。

 ふと、気づいた。

 あれ?

 この本には、図書カードがついてない。

 図書室所蔵の本には表紙の裏に封筒が貼りつけられていて、貸し出しの日付が記録されたカードが、それぞれ一枚ずつ入っているはずなのだが。

 それだけではなかった。

 よく見ると、この本には分類の記号が記されたシールさえついていなかった。


 そのときカタっと小さな音がして、空席だった隣の椅子に誰かが座るのを感じた。

 何気なく横顔を見ると、ショートカットの女子生徒が座っていた。

 知っている人だった。

 確か、名前は「ツキモト先輩」だったと思う。

 陸上部で、走り幅跳びの、区だったか都だったか、記録を塗り替えたとかで、全校集会で表彰されるのを見たことがある。

 クラスの女子がきゃーきゃー騒いでいたので覚えているのだ。

 先輩は、カバンから数学の教科書を取り出して、これから宿題でも始めるのだろうか。

 部活の時間だが、三年生は中体連が終わり半分引退したようなものだろう。

 先輩はデスクにリーフノートを広げて、何か書き始めた。


 しかし、変だ。

 誰も席についていないデスクもあるのに、先輩はなぜ、わざわざぼくの横に座るのだ?


 すると、先輩はリーフノートから一枚、パチッと外した。

 ノートが一枚、ぼくの前に、すーっと滑るようにやって来た。

   

  [ その本は fake  ]

  

 紙には、そう書かれていた。

 fake?

 フェイク?

 嘘?

 インチキ?

 え、どういうこと?


 いや、

 それよりも、

 この字。


 見覚えがある。


 この細くてきれいな文字は、

 あのアンケートの字に非常に似ている。


 先輩の長い腕が、ぼくのそばまで伸びてきて、すっと紙を引き戻した。

 先輩が何か書いて、紙がまた、ぼくの前に滑るように返ってきた。


  [ こちらが rial ]


 小説は嘘で、

 こちらが本当?


 何のことやら、

 さっぱりわからない。

 

 先輩はまた紙を戻して、何か書き足した。

 今度は、ぼくの前に、紙と一緒に数学の教科書が滑ってきた。


  [ 返却は一週間後 同じ時間に ここで ]


 先輩が席を立った。

「あ」

 長い腕が、またすーっと伸びて、デスクの上から『ザ・ウェーブ』を持ち去っていった。


 時間にして、ほんの2、3分の出来事だった。

 ツキモト先輩は、最初から最後まで一言もしゃべらず、一度もぼくのほうを見なかった。


 何だったのだろう。

 先輩が消えたあとには、謎の言葉が書かれた紙と数学の教科書が残された。

 

 これを、読めと?

 教科書は三年生のものだ。

 どういう意味?

 

 ぼくは呆然としながら、先輩が置いていった教科書を手に取った。

 パラパラめくると、数学は表紙だけで、中身は別の本だった。

 

『Black Dot Diary』

 

 ブラック・ドット・ダイアリー。

 それが、この黒い小冊子のタイトルらしかった。

(つづく)

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