第5話 菅原楓の一日

ブラック・ドット・ダイアリー


BDD 二●一三年五月二十九日(水)

 菅原楓すがわらかえでの一日


 区立加賀見台中学────。

 二年C組の朝は席替えから始まる。


 楓は昨日まで座っていた窓側の席を離れ、通称「奴隷席どれいせき」へ移動した。

 今日の「お世話係」は女子が二名、男子も二名。

 楓に係が回ってきたのは十日ぶりだった。

 教室の中央に一つ机がある。

 それを中心に正五角形を描くように五つの机が置かれている。

 他の机は教室の隅に大きく円を描くように置かれ、奴隷席は日によって数は違うが、五角形と外側の円の間に点々と置かれることになる。

 楓は五角形の真ん中に座っている女子の前におずおずと歩み寄った。

「あ、赤神様あかがみさま。何かご用はございますか?」

 女子は目をつむって、頬杖ほおづえをついていた。

 長い睫毛まつげと白い肌の少女は周りの生徒たちより大人びていて、クラスに一人だけ高校生が混じっているようだ。

「菅原さんね」女子は目を閉じたまま言った。「いいえ、今は何もないわ」

 そうですか、と楓が下がろうとすると、

「ちょっと、誰が帰っていいと言った?」五角形の一人が呼び止めた。

「じゃあ、あたしの手をマッサージしてよ。スマホいじりすぎて凝っちゃった」

 楓は言われるままに、差し出された今井江里加いまいえりかの手をみ始めた。

「もっと、強く」

「は、はい」

 楓は指先に力をこめて江里加の手のひらを押した。

「痛い。ちょっと、誰がそんなに強く押せって言った?」

「ご、ごめんなさい」

 楓以外のお世話係も、それぞれ仕事に励んでいた。もう一人の女子も五人組の一人に肩を揉まされていた。

 男子は宿題をやらされていた。

 もう一人の男子は忘れ物を取りに行かされて、もう朝のホームルームには間に合いそうもない。

「菅原」

「はい?」

「あんた、前髪で隠してるんじゃないの?」

 江里加に指摘され、楓はビクッとした。揉んでいた手が止まった。

「隠してるんでしょう? どういうことなのよ」

 今朝、鏡を見て楓は(ああ、来たか……)と思った。

 家族にわからないように前髪をしっかりと下ろしてそれを隠していた。

 気持ちが落ち込んだまま登校して髪を直すのをすっかり忘れていた。

懲罰ちょうばつものだぞ、こら」

「ごめんなさい」

 楓はたちまち五人組に囲まれてしまった。

 江里加が楓の髪を乱暴にき上げ額を露出させると、眉間みけんの上に五百円玉くらいの黒いあざが浮かんでいた。

「ドットがそんなに恥ずかしいかよ。裸でグランド十週させるぞ、こら」

 五角形に責められ、楓は泣きそうになった。

 円は静まり返って見て見ぬふりをしていた。

 だが、円周の中の一点、唇を噛みしめていた土山三千代つちやまみちよが我慢できなくなって立ち上がろうとした。

 止めたのは眼鏡に七三分けのクラス委員、沖村肇おきむらはじめ

 円周のさざ波を押さえること。

 二Cのクラス委員の役割はそれに尽きた。

「痣は恥ずかしいものだわ」

「赤神様」五人が同時に頬杖をついた少女のほうを向いた。

「それに、痣はみにくい。黒痣くろあざをいくら『ブラック・ドット』と言い換えても、醜いものは醜い。そうよね、菅原さん?」

「え……」

「痣なんて、本当は誰にも見せたくはないものよね」赤神晴海あかがみはるみがゆっくりと立ち上がって目を開けた。

 頬杖をついた状態から隠したままの右頬から手を離すと、白い肌の上にひと際くっきりと映える黒く大きな痣が姿を現した。

「あなたは、正直な人だわ。菅原さん」

 冷たい目で真っすぐに見つめられて、楓は身震いした。

 終わりだ、わたし、終わりだ、と思って観念したが、赤神晴海はふっと目をそらすと席に座ってまた頬杖をついて目を閉じてしまった。

 五人組は気勢きせいがれてしまったようで、ばつの悪い顔でそれぞれの席に戻っていった。

 命拾いした楓。

 手のマッサージを再開しようとしたが、「ちょっと、いつまでやってるのよ!」と江里加に逆切れされてしまった。

 ぷいっと横を向いた江里加の右頬には赤神晴海と同じ位置に黒い痣が刻まれていた。

 しかし、これはマジックで描いたものだ。

 江里加たち五人は、赤神への忠誠のしるしに右頬に黒い痣を描いていた。

 五人組は、赤神晴海の親衛隊しんえいたい「BDG(ブラック・ドット・ガールズ)」と名乗っていた。

 BDGに守られた赤神の机の上には、常に二枚の紙と一本のペンが置かれていた。

 一枚は複写用のトレーシングペーパー。

 もう一枚は、あるサイトからプリントアウトした太陽の衛星写真。

 ペンはカラスの羽根でできた漆黒しっこくの羽根ペンだった。

(つづく)

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