ろくでなしの妻
三鹿ショート
ろくでなしの妻
私の弟は、問題ばかりを起こしていた。
他者に危害を加えることは幼少の時分から変わることはなく、私が弟のために頭を下げた回数はあまりにも多かったために分からなくなっていた。
それに加えて厄介なことに、弟は外見に限れば誰よりも優れているために、近寄る異性は跡を絶たず、その結果、入院した異性を私が何度見舞ったことだろうか。
誰もが口を揃えて、私に罪は無いと告げてくる。
確かに、その通りなのだろう。
それでも、私は弟のために頭を下げ続ける。
何故なら、弟が今度こそ真人間と化すだろうと信じているからだ。
私が代わりに謝罪をすると、弟は必ず私に対して面倒をかけたと頭を下げ、申し訳なさそうな顔をするために、更生の余地が存在していると考えているのだ。
私に対してそのような態度を見せることができるのならば、何時の日か、弟は正しい道を進むことができるに違いないのである。
そのように考えて、どれほどの年月が経過したことだろうか。
今日もまた、私は弟の代わりに頭を下げていた。
***
弟が結婚相手として連れてきた女性を目にしたとき、私は彼女の正気を疑った。
だからこそ、弟が席を外した際に、弟の問題行動を知っているかどうかを確認したのだが、彼女は全てを知った上で、弟の妻と化すことを決めたらしい。
それならば、私が止めようとしたところで意味は無いだろう。
だが、耐えることが不可能と化した際は必ず声をかけてほしいと、私は彼女に告げた。
彼女は口元を緩めて首肯を返したが、その衣服の下には、どれだけの傷が存在しているのだろうか。
***
弟は働くことなく、彼女に生活費を稼がせていた。
そして、疲れ切った彼女を相手に暴言を吐き、暴力を振るっているらしい。
彼女は傷だらけの顔を私に見せながら、その事実だけを語った。
助けを求めることはなく、起きた出来事を淡々と口にするだけだった。
辛くは無いのかと問うと、彼女は何も問題は無いと告げてきた。
一体、どのような人生を送れば、弟の蛮行に耐えることができるようになるのだろうか。
私は、彼女もまた恐ろしい存在だと考えるようになった。
***
ある日、自宅に戻ると、家の前に彼女が立っていた。
私に話したいことがあるということだったために、私は彼女を家の中に入れた。
玄関の扉が閉まると同時に、彼女は己の唇を私のそれに重ねてきた。
突然の行為に驚き、彼女を突き飛ばしてしまった。
私は衣服の袖で唇を拭ってから、
「何を考えている」
私がそう問うと、彼女は真剣な眼差しを向けながら、事情を語った。
いわく、私の弟には、子どもを作る能力が存在していないらしい。
あまりにも子どもが出来ないために密かに調べたところ、そのような事実が判明したということだった。
しかし、彼女は本人にそのことを伝えるつもりはなかった。
そのような事実を知ることで、己の存在意義に疑問を持ち、自らの意志で生命を絶ってしまう可能性も考えられるからだった。
ゆえに、彼女は私に目をつけた。
兄である私の子種ならば、誕生する子どもは弟と似ているだろうと考えたのである。
事情は分かったが、弟を裏切ることには変わりはなかった。
私が抵抗感を示していると、彼女は耳元で囁いた。
「これまで、弟のためにどれだけの苦労をしてきたのですか。それを考えれば、一度だけでも弟を裏切ったとしても、誰も文句を言うことはできないでしょう。この瞬間だけ、あなたは兄という立場から解放されても良いのです」
それは、悪魔の囁きだった。
確かに、弟に対して黒い感情を抱いていないと言えば、それは虚言である。
だからこそ、私は彼女の囁きに心を動かされてしまった。
気が付けば、私は彼女と共に、朝日を迎えていた。
***
驚くべきことに、子どもが誕生してから、弟は人間が変わった。
仕事に対する文句を言うことはあるが、上司や同僚と喧嘩をすることなく、黙々と働いているらしい。
日常生活において問題を起こすこともなくなり、何時しか弟は、少々口の悪い普通の人間と称したとしても構わないほどの人物と化した。
ゆえに、家族と共に幸福そうに過ごしている姿を見る度に、私は心が痛んだ。
幾ら弟が変化する切っ掛けだったとしても、その子どもは、私の裏切り行為によって誕生した存在なのである。
それを知らずに、弟は子どもに笑顔を向けている。
同じような表情を浮かべている彼女は、私と目が合うと、何かを咥えるような動作をしてみせた。
その日、私は弟に謝罪の言葉を吐きながら、彼女と身体を重ねた。
私の人生は、謝罪に満ちている。
だが、弟のために頭を下げている場合と、己の裏切り行為を謝罪する場合では、後者の方が明らかに罪悪感が強かった。
弟が真人間と化したかと思いきや、兄である私が悪人と化すとは、何とも皮肉である。
ろくでなしの妻 三鹿ショート @mijikashort
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