第50話

「車を避けようした時、崖から落ちて全身を打っていた。なんとか山を降りて、百衣たちの家に戻り事故にあって人間の家族を巻き込んでしまったことを百衣の父親に話し、その夜、死んだ。百衣が4歳の時だった」


 俺は自分の口元を手で押さえる。


「百衣は母親が死んだときのことを覚えている」

「は……ッ」


 短い息を吐く。喉元をぎゅうっと強く握りつぶされているみたいに息が出来ない。


「事故があった翌年、お前のおふくろさんとお前が洋菓子屋リリーに訪れたのは本当に偶然だった。その年から月に一度、店を訪れるようになった」

「そんな……嘘だろ……俺……全然……」

「覚えていなくても当然だよ。お前が一緒だったのは数年間だけだったから。ただ、一日に二回来ることもあったよ。一回目は午前中のうちに来て焼き菓子を買って行った。二回目は午後か夕方。その時買うのは生菓子が多かったな。お前は店のドーナツが好きでさ、レジ横のバットから自分でトングを持って選んでいた。おふくろさんに小銭を貰って、レジにお金を置いて」


 一吹くんの言葉が頭の中で映像になって駆け巡る。雨宮さんの雑誌で見た、あの洋菓子屋リリーの写真の中の俺たちが動き出す。





**********




『この焼き菓子と……』

『お母さん、プリンも買って! このチョコのやつ!』

『帰りにね。またお店に来るから』

 

 手に持っていたバスケット型のお菓子の詰め合わせをレジに置き、母さんはそう俺に声を掛ける。


『じゃあドーナツ!』

『はいはい。はい、お店の人に渡して』


 受け取ったお釣りの中から100円を俺に渡すと、レジの前にいた男の人がドーナツの入った箱を持ってレジから出て来た。


『どれにする? 好きなの選んでいいぞ』

『いつも全部おんなじじゃん』


 俺は中にクリームが入っていたり、チョコが掛かったやつとかが好きなのにここで売っているドーナツは一種類だけだった。だけど、すげーうまいから大した問題じゃない。


『ははは! 確かにな。でもびみょーに違うから。これとかおすすめだ。他より実はちょっと大きい』

『それがいい!』

 

 わしわしと俺の頭を撫でて、男の人は再びレジに戻る。茶色い紙袋に入れて俺に渡す。ドーナツと交換するみたいに俺はトレイに100円玉を置いた。


『すみません』

 

 俺の隣で母さんは男の人に向かって謝る。


『いえいえ。いつもありがとうございます。よく来ていただいていますよね?』


 少し間を置いて母さんは頷いた。なんかちょっと困ってそうだった。だから、俺は助けたかったんだ。それだけだった。


『パパんとこ行くんだよ!』

『パパ?』

『花とお菓子渡しに行くんだよ!』

 



***********




「店に来る時、いつも花束を持っていたから百衣の父親が尋ねたんだ。その時に初めて事故の遺族だと分かった。おふくろさん、お前の親父の月参りに来ていたんだ。事故があった場所に花とリリーで買ったお菓子を供えていたんだ」

「か……母さんは……知っていたの……? 洋菓子屋リリーの店主が夫だってこと」


 息吹くんは首を振った。


「百衣の父親は話したがっていたけど、何て言っていいのか分からなかったみたいだ。言ったところで信じてもらえないかもしれないだろ? だけど、黙っているのも苦しくて罪滅ぼしの方法をずっと考えていたよ」

「罪滅ぼしってそんな……百衣さんのお母さんも死んじまったのに……」


 俺は両手で顔を覆った。ずっと俺が知りたかった真実なのに受け入れることが出来ない。


「その内、お前のおふくろさんは毎月来ていたのが一年に一度になり、お前は一緒じゃなくなっていった。そして、おふくろさん自身も店に来なくなった」

「そ……それ……もしかしたら病気が分かった時期かも……何度も手術や検査で入院してたから」


 一吹くんは気まずそうに頷いた。


「……もしかして、母さんの病気のことも知ってたの?」

「うん……百衣の父親も心配してお前たち家族のことを探していたんだ。お前が大学生になる直前におふくろさんが亡くなったことも知っている。お前が医者になったことも最初から」


 嘘ついてごめん、と一吹くんは俺に頭を下げた。やっぱり一吹くんは俺が医者だってことを初めから知っていたんだ。


「あ……謝らないでよ。だけど、どうして今になって俺の前に現われたの……?」

「……」

「一吹くん……?」


 重苦しい雰囲気が俺の部屋に漂う。一吹くんは重たい口を開いた。


「百衣はようやく罪滅ぼしの時が来たと思ったんだよ」

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