第51話
「自分が生まれなければ、母親が山に戻ることはなかった。お前たち家族が事故に巻き込まれることもなかった。全部自分が生まれたせいだと百衣は思いながら生きてきたんだ」
俺の部屋で泣いていた百衣さんの姿が浮かんだ。
自分も母親を亡くしているのに、どんな気持ちで俺にあの言葉を言ったのか。
「そのうち、百衣の父親が病気で亡くなったんだ。百衣はひとりになっちまって、肉親は俺だけになったからあいつを助けるために一緒に暮らし始めた」
初めて裏山の百衣さんの家に言った時、一吹くんのことを「いとこ」だと俺に紹介した。
「俺は百衣の母親の姉の息子なんだ。俺の母さんは人間には化けられないけど人語を理解することができる。俺もその力を引き継いでる。俺の母さんはずっと後悔してた。百衣の母親の味方になってやれなかったことを。だから、自分が死ぬ時に百衣の力になって欲しいと託された」
「もしかして……百衣さんと暮らすまで一吹くんずっとひとりだったの……?」
曖昧に笑うだけで一吹くんは答えなかった。
「あのまま人間の中で暮らしていたらいつ正体がバレるか分からない。洋菓子屋リリーは処分して、二人で一緒に山に隠れるようになった」
「えっ!? 逆に危なくないか……? 山なら他のたぬきに捕まったりするかもしれないのに」
一吹くんはニヤリと笑った。
「その頃にはみんな仲良く野垂れ死んだよ。ぶははははっ!」
そういって盛大に笑った。
胸が張り裂けそうだった。
死んだたぬきの中には一吹くんの母親が含まれていたんじゃないのか。母親だけじゃない、父親やもしかしたら兄弟、親戚もいたかもしれないのに。
なのに、一吹くんは笑った。
勝ち誇ったように、大声で。
「お前がこの街に引っ越して来た時、百衣は泣きながら山に帰って来た。そして、俺にこう言った」
――私、ようやく生まれて来た意味を見つけたよ!
「……ッ!」
「毎晩コンビニで甘いものを買っているお前を見て、百衣は洋菓子屋リリーを復活させることを思いついたんだ。毎日毎日疲れ切った顔をしたお前の力になりたかったんだよ。百衣のお菓子を食べるとさ、なんか元気が出る感じしないか? あれは百衣の力をお菓子に込めているからなんだ。お菓子を作る時、百衣は食べた人が元気が出るまじないを掛けている」
百衣さんのお菓子を初めて食べた夜を思い出した。
甘やかし屋で買ったプリンを食べた翌朝、俺は異様に元気だった。その日は朝方まで勉強会のレポートを書いていて睡眠時間は2時間ぐらいしかなかったのに、目覚めはスッキリで長時間ぶっ通しで寝たような感覚だった。頭が冴えてやる気に満ちていた。
プリンを食べた夜だけじゃない、ミックスクッキーを食べた夜も、ドーナツの夜も、ロールケーキの夜も、白玉フルーツポンチの夜も、崩れた白鳥のシュークリームの夜もそうだ。慢性的に疲れ切っているはずなのに翌朝になると身体が新品に入れ替わったみたいに元気だった。過酷な勤務形態は今も変わっていない。仕事に慣れた部分もあるけどその分業務量は増えている。
だけど、今までの自分とはまるで違っていた。それは体力的な意味だけではなかった。
あの夜のような、極端な考えを起こさなくなっていた。
24マートの閉店の張り紙を見た夜。俺は人生に絶望していた。
母さんの介護をしながら死ぬほど勉強して医学部に入って、死ぬほどバイトして勉強もして国試に受かって、ようやく医者としてのスタートラインに立てたと思ったら今度は死ぬほど働いている。
死ぬまで続くのか、これが。
死ななきゃ終わらねぇってことなのか。
あんなに思いつめたのはあの夜が初めてだった。
そして、それは最初で最後になった。落ち込むたびに甘やかし屋は開店したからだ。俺はずっと百衣さんに見守られていたんだ。
俺がもう二度と、死にたいなんて思わないように。
全て百衣さんのお菓子の力のお蔭だった。俺を案じて不思議な力を分けてくれていたんだ。
「ね、ねぇ……もしかして店のお菓子の値段があんなに安いのってさ……」
ずっと疑問に思っていたことはもうひとつあった。
「うん……お前が好きだったドーナツ一個と同じ値段にしたかったんだよ。金の負担にならないように」
ああ、と声にならない声がこぼれた。
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