第57話

 榛名千昭様


 突然の手紙お許しください。


 本当は病院宛てにお送りしようと思ったのですが、出来れば直接お礼を言いたくてずっと迷っていました。


 病院まで行く勇気がまだ無くて、悩んでいる内に時間だけがどんどん過ぎていく日々の中で、偶然甘やかし屋さんの店員さんにお会いしました。


 榛名先生のご自宅をご存じで、渡したいものがあるからその時に私の手紙も一緒にと仰ってくださいました。お言葉に甘えてこうして手紙をお送りした次第です。驚かせてしまってごめんなさい。


 退院した後、私は産後の傷がなかなか癒えずしばらく会社を休職しました。


 そして最近、祖母が亡くなりました。


 お腹の赤ちゃんと祖母を同時期に亡くしてしまい、しばらくずっと部屋に閉じこもっていました。食べれず、眠れず、喪失感で自分がどうにかなってしまいそうな毎日でした。


 そんな時、いつも頭に浮かぶのは榛名先生と一緒に甘やかし屋さんへ行った夜のことです。


 久しぶりに再会できた思い出のフルーツポンチの味。


 そして、優しい空間に満ちたあのひと夜。


 思えば、榛名先生はずっと私たち夫婦に寄り添ってくれましたよね。


 夫が教えてくれました。

 もしも赤ちゃんに障害があったとしても恵愛病院なら成長と発育に合わせて色々とサポート出来ること、科が変わっても病院をあげて人の一生を守ると榛名先生が言ってくれたと。


 夫はそれで検査の結果がどうであっても妊娠継続を決断できたと言っていました。


 私を心配するがあまりに、夫はずっと負担になることを避けようとしてくれていました。

 だけど、避けるのではなく支えるという覚悟が出来ていなっただけかもしれないと話してくれました。初めて、夫の本音を聞けたような気がします。


 退院の日、瑞樹さんが教えてくれました。

 赤ちゃんの手と足の型をとった色紙の飾りをしたのは榛名先生だと。

 そして、棺で眠る赤ちゃんに可愛いと言ってくれたこと。

 私たちからの手紙を一番分かりやすい場所に置いてくれたこと。


 本当に嬉しかったです。


 最近は外に出て散歩程度のことなら出来るようになりました。

 前日までは咲いていなかった道端の花を見れば、あの子の生まれ変わりかと感じてしまいます。

 「ママ」と呼ぶ声で振り返れば、小鳥が頭上を飛びながら鳴いていて、あの子の声じゃないかと錯覚します。

 至るところに赤ちゃんの存在を見出そうとしてしまいます。


 生きていてくれたらどれだけ幸せだったろうと、今でも思います。


 だけど、それ以上にこれからもこうして一生一緒に生きていけるのだとも思えます。


 榛名先生、あの子が、私達以外の誰かにも愛されていたという記憶をくれてありがとう。

 

 あなたが私たちの先生で本当に良かったです。




***************




 うちはアパートは壁が薄い。

 この間の怖いおっさんがうるせぇって怒鳴り込んでくるかもしれないから極力声を押さえたいのにコントロール出来ない。


「う……ぁ……あ……」


 拳を口に突っ込んでこの嗚咽を止めたい。

 だけどそうすると益々涙が零れてしまう。


「あ……あぁ……ッ」


 ああ、折角の綺麗な便箋が濡れちまう。こんなに泣いたのは母さんが死んだ時以来だ。


 生前、母さんはよく泣く人だった。

 だけど、俺の前では一度も泣かなかった。陰で泣いているのを俺は寝たふりをして、じっと見ていた。


 震える背中、こぼれる嗚咽。

 

 寄り添ってやりたいのに受け止めきる自信がない弱くて幼い俺。


 そうだ、だから俺はずっと忘れていたんだ。

 自分の記憶に蓋をして。

 全て終わったことだと過去にして未来だけを見ていたかった。


 消えない思い出があることを知らずに。


 読み終わった後、俺は手紙と一緒に袋の中に入っていた箱を開けた。


 中には苺のショートケーキが入っていた。


 カットではなくホール型のそれは、側面には真っ白い生クリームが綺麗に平らに塗られ、表面には螺旋状のデコレーションがしてある。生クリームの間を等間隔に真っ赤な苺が乗り、その真ん中にはクッキー生地のプレートが添えてあった。


 そこにはこう書かれていた。


『千昭さん 誕生日おめでとう』


 俺は立ち上がり部屋を飛び出した。


 ショートケーキのクリームがあの時とは違うことに気付いた。白鳥のシュークリームの時のように緩んでいない。きっとさっきうちに来たばかりだ。


 怖いおっさんに怒鳴られることも恐れずにアパートの階段をかけ降りて、俺は夜道を全力で走った。

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