第56話:今夜、苺のショートケーキあります

「あら、これ誰のお土産?」

「漆山先生です。ご家族と温泉旅行に行って来たんですって」


 休憩室に入って来た瑞樹さんがテーブルに置かれた饅頭に目を輝かせる。


「ゆっくり出来ました?」

「おかげさまで。でも、今日一日で回復ポイント使い切りましたよ」


 そういいながら漆山先生はやつれた顔で激辛カップ麺をすする。昨夜のオンコールからの完徹勤務だった。


「あ、あの……俺なにかやれることありますか?」

「気にしなくていいの。帰れる時は帰んな。ほら、明日、榛名くん誕生日でしょ?」


 スープまで飲み干し、額に大汗を掻きながら漆山先生はそう言った。


「そうなの? じゃあ明日は彼女とデート?」

「だから彼女なんてもんは最初からいないですって! 明日は物件見に行こうかと思っています」

「引っ越すの?」

「もう少し病院から近い家がいいなって。金も貯まって来たんで」


 こうして漆山先生と瑞樹さんとする雑談もあと数日で終わりだ。


「じゃあ、すんません。お先に失礼します」


 二人に挨拶して俺は休憩室を出た。消灯を過ぎた薄暗い廊下を歩く。産婦人科病棟に来るにも残り僅か。この数ヶ月の日常が終わりを迎えようとしていた。



 自宅アパートの最寄り駅に着いてお決まりのルーティンで24マートで遅い晩飯を買った。デザートコーナーで“SNSで話題沸騰の新スイーツ!”というPOPが目に入ったが素通りして会計を済ませる。


 最近の俺はもうほとんど甘いものを口にしなくなった。むしろ、あまり食いたいと思わない。甘いものがなくても平気になった。色んな事を早く忘れたかったのかも知れない。


 通い慣れたアパートまでの帰り道を歩く。移転前の24マートの跡地にはマンションが建つようだ。白い幕が貼られて頭上にはガラス張りの外壁が見えた。街灯が照らす建築看板を読むと集合住宅と書かれていた。


 次に住む部屋はこういう格好いい部屋がいいな。今住んでいるボロアパートより家賃はずいぶん高くなるだろうけど、いい部屋に住むと仕事がうまくいくというのはよく聞く話だ。


 俺は間もなく初期研修を卒業して、専攻医になって、バリバリ働いて、今よりもっと金を稼げるようになるだろう。母さんと父さんの仏壇も買えるし、奨学金だってあっという間に完済してやる。いい部屋住んで、今よりずっといい暮らしが出来るだろう。研修医での日々はいつか遠い日の思い出になる。その内、思い出さなくもなる。


 工事現場を通り過ぎ、横目であの路地の隙間を見た。


 自分から遠ざけたくせに無意識に目で探してしまう。百衣さんとはあれ以来、一度も会っていない。一吹くんの姿も見かけなくなった。きっと、俺のことを怒っているのだと思う。あんな八つ当たりのような真似をしたんだ。嫌われて当然だ。


 これでいい。

 このまま会わずにさよならする方がいい。きっともう二度と会わない。


 アパートの階段を静かに登る。次の家は隣人に気を遣わずに暮らせるマンションがいいなと思いながら自分の部屋へと向かうと、ドアノブに紙袋が掛かっているのが見えた。怪訝に思い近づく。中を覗くと手紙が入っていた。 


 差出人は雨宮理子と書かれていた。

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