第55話

 雨宮さんの退日の前日、瑞樹さんと他の助産師さん達がエンゼルケアの準備をしていた。


 俺は瑞樹さんにお願いをして参加させてもらった。瑞樹さんは最初は驚いていたけれど快く許してくれた。


 棺の中の雨宮さんの赤ちゃんは本当にただ眠っているようだった。


 脱脂綿や防水シーツと何層にもなった布団の上に寝かされて、ドーナツ型のまくらの上に頭を乗せている。


 エンゼルケアは葬儀屋が行う場合もあるが、うちの病院の場合は助産師さんたちが担う。


 助産師さんは妊娠初期から母親を支えてきた。それは別れの時も同じであり、死の中にある悲嘆に共に向き合う。どんな時でも決して母親を一人ぼっちにはしない。


「くまちゃんの人形はお顔の近くに置こうか。横向きがいいかな」


 雨宮さん達から預かった花やおもちゃを供えていく。乳幼児用の棺は思っていたよりも大きかったけれど、沢山の思い出の品を詰めていくとすぐにぎゅうぎゅうになった。


 俺はそっと赤ちゃんの胸の真ん中に手紙を置いた。両親からの手紙。すぐに読めるよう一番分かりやすい場所に置きたかった。

 

「……可愛いすね」

「うん」


 俺の呟きに瑞樹さんは即答するように返事をしてくれた。


 正期産で生まれた赤ちゃんと比べたらとてもとても小さかったけれど本当に可愛かった。


 胸が張り裂けそうなほど悲しいのに、亡くなった身体を前に非常識だとも思うのに、それでも可愛いという感想が止まらない。


 可愛い。可愛い。可愛い。

 何度言っても足りないくらい可愛いんだ。


 全ての処置を終えて部屋を出た後は、雨宮さんたちに贈る色紙の準備をした。

 赤ちゃんの手形と足形をとった色紙に瑞樹さんが生まれた日付、時間と身長・体重を書いていく。俺は傍で星や花の折り紙を折って、色紙に飾った。


「研修医でエンゼルケアを手伝ってくれたのは君が初めてだよ」


 そして「ありがとう」と、俺なんかに礼を言う。これが最後だからとは言えなかった。


 翌日、雨宮さんは退院した。俺はその時間に医学論文の抄読会しょうどくかいが入っていて最後に挨拶することが出来なかった。そのことを心のどこかで安堵していた。


 二年間の初期研修がもうすぐ終わりを迎える。


 指導医である漆山先生との最後の面談の日、今後の進路の話をした。三年次は専門医として後期研修へと進む。この場合、二年次の後半で自由選択期間で配属になった科を再び選ぶことが多い。すでに面接もつまり、今配属されている科だ。


 俺は面談の時に漆山先生に産婦人科を選択しないことを伝えた。


「……因みに理由を聞いてもいい?」


 漆山先生は残念そうな声で俺に尋ねる。


「自分には向いてないです。産婦人科の患者さんの力になれないって思い知りました」

「俺はそうは思わないよ。患者さんだけじゃなく他のスタッフともよく連携出来ていた」

「みなさんが優しかったお蔭です。俺の力じゃないっす」

「そうだとしても、向いていない理由にはならない気がするな」


 言い訳の手弾を早々に失って俺は黙り込む。これじゃあ子どもの言い訳だ。


「……女の人が泣いている姿を見るのが辛いんです。母さんを思い出します」


 さらに幼い言葉を吐く。産婦人科でなくても女性が泣く場面は医者である限り何度も経験することになるのに支離滅裂な言い訳だって自分でも分かっている。


 だが、本心だった。

 母さんのために医者になったのに、今ではなるべく遠くに逃げだしたくてたまらなかった。


 漆山先生はそれ以上追求しなかった。

 ただ、帰り際に「進路、変えたくなったらいつでも言って。締め切り過ぎててもいいからさ」とそう言った。

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