第48話

「俺別に怒ってるとかそんなつもりは」


 ならばどういうつもりで聞いたのか自問する。


 俺はいつも中途半端だ。知りたいと思っているくせにはっきりと問うことが出来ない。もういいじゃないかと思うくせにこうして相手の心を揺さぶるような尋ね方をしてしまう。この俺の中途半端な態度のせいで百衣さんを傷つけたのに手前勝手な言葉を今もなお返そうとする。


「……許してくれよってことは、この間、俺の部屋に百衣さんが来たことを知っているんだね」


 誤魔化すことはせずに俺は正直に疑問に思っていることを尋ねた。


「ああ」

「一吹くんは知ってるの? その、俺の父さんが死んだ原因に百衣さんが関わっていること……」


 一吹くんはしばらく考えた後、俺が渡した手土産を箱ごと手に取った。


「旅行に来てたんだ」

「えっ?」

「お前の親父さんは車でこの街に旅行に来てた。助手席にはお前のおふくろさん、後部座席には子どもの頃のお前。昔、この街の山には温泉と小さなキャンプ場があってさ、そこへ向かう途中だった。当時の新聞にそう書いてあったらしい」


 手土産のパッケージを見つめながら一吹くんは言葉を続ける。

 

「百衣の母親はたぬきだったんだ。だけど普通のたぬきとは違って、人間に変化へんげできる力があった。その内、他のたぬきから山を追い出されて人間として暮らす道を選んだんだ」

「な、なんで?」

「人間に化けられることを、他のたぬきからずっと利用されていたんだ」





*********





 街を見下ろす里山。深い深い森の奥。

 かつてはこの場所に人が住んでいたのか、人家のような建物の瓦礫と茫々に生い茂る草木に囲まれた場所にたぬき達が棲んでいた。枇杷の木、梨の木、柿の木と実を付ける樹木が豊富にあり、ドングリ、クコの実、昆虫、近くに流れる小川では小魚も獲れた。豊富な食べ物と人のいない山の中で、たぬき達は多い時は数十頭、いくつかの群れに分かれて生息していた。


 里山に人が戻ってくるまでは。

 

『たったこれだけじゃ一日分の食料にも満たない……』


 今しがた持ち帰られたばかりの食料を見て、老齢のたぬきは深いため息をついた。菓子パン、バナナ、刺身の入ったトレイが地面に無造作に置かれている。


おさ……間もなく夜が明けます……八重やえもこの通り限界です。今夜はもう』


 項垂れる老齢だぬきに向かい、お伺いを立てるように若い雌のたぬきが声を掛ける。その隣、荒い息を繰り返し座り込んでいるたぬきがもう一匹。


八重やえ、お前の従妹のシノが赤ん坊を授かっているのは知っているだろう……サツキ婆も禄に食えずやせ細るばかり……一族を救えるのはお前しかいないんだ』


 請われていることを無視するように、老齢のたぬきは息粗く座り込むたぬきに話し掛ける。

 

『はい……』

『人間の住む街には24時間食い物が置いてある店があるそうじゃないか』

『は……い。もう一度行ってまいります』

『八重!』


 力など残っていないはずなのに、八重と呼ばれたたぬきは疾風の如く野原を掛け、暗闇の中へと消えて行った。






*********






「山に観光地が出来たことで山の資源が減って普通のたぬきは食べるのに困るようになった。たぬきは臆病だから、人間には近づけない。だけど、このままじゃ山中のたぬきは餓死しちまう。だから、百衣の母親に人間に化けて街の食べ物を盗ませていたんだ」


 俺は言葉を失った。


「山中のたぬきの食べ物を盗むんだから当然すぐに警察に捕まる訳だよ。でも、変化を解いて逃げられる。そしてまた別の人間に変化して盗む。その繰り返しだった。男に化けた時は酷かったぜ。店主に殴られ、警察の取り調べも激しかった。山に帰って来た時は顔は腫れて血だらけ。鼻の骨が折れてたよ。化けれても傷は治せないのにさ」


 ふぅと一吹くんは息を吐き、コーヒーを一口飲んだ。


「百衣の母親は人間に化けることを拒否するようになった。そしたら裏切者扱いだ。山に居場所がなくなって人間の女性に化けて人の中で暮らすことを選んだ。だけど、人間の生活には金が要るだろ? どうやって稼いでいいのかまでは分からない。街をうろうろ彷徨っている時に、洋菓子屋の前で求人の張り紙を見つけたんだ」

「それって……!」


 俺の反応を見て、一吹くんは困ったように笑った。


「百衣の父親の店だった」

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