第47話

「どうしたの!?  てか、なんで俺の家ここだって知ってるの!?」


 俺は一吹くんに駆け寄る。両手に抱えた紙袋の中身が揺れて、がしゃがしゃとせわしない音を立てた。


「前に百衣の家に来た時、住所を書いたメモを置いてったろ」


 ああそうか、とすぐに謎は解けた。何かあったら連絡してと言ったのは俺だ。


「……で、どうしたの? 俺に何か用?」

「お前じゃなくてあの女の人に渡して欲しいもんがあんだよ。この間、道端で倒れてた人」

「雨宮さんのこと?」


 そういえば、雨宮さんが倒れた時も俺の携帯に電話をくれたのは一吹くんだった。


「百衣がずっと心配しててさ。あまみやさんって、お腹に赤ん坊がいんだろ? 病院まで送ったはいいけど、その後は大丈夫だったのか気になってたんだ」

「連絡できてなくてごめん。うん、大丈夫だったよ。お腹の赤ちゃんも元気に育ってるよ」


 一吹君はほっと肩を撫でおろした。たぬき顔でもちゃんと分かる。心底安心した表情だった。


「良かった……! じゃあこれ、あまみやさんに渡してくれよ」


 一吹くんは小さな紙袋を俺の前に差し出す。


「ちょ、ちょっと待って……手がふさがってて……うわっ」


 ドサドサドサッ!

 紙袋を下ろそうとした時、手が滑って雪崩のように廊下へ落としてしまった。


「さっきからうるせえんだよ!!」

「ひえっ!!」


 突然、背後から怒鳴り声が聞こえて来た。振り返ると俺の隣の部屋の住人がこちらを睨みつけている。白のタンクトップにスキンヘッド姿のおっさん。鼻息荒くものすごい剣幕で俺に近づいて来た。


「す、すんませんでしたぁ!!」


 俺は紙袋を拾い一吹君を隠すように腹に抱え慌てて自分の部屋の鍵を開けて中へと入る。ドアをバタンッと締めるとそのまま背中を預けて息を潜める。しばらくしてバンッと勢いよく隣の部屋の扉が閉まる音がした。


「ああぁぁ……怖かったぁ」


 一吹くんの頭に顎を乗せてぐったりとうなだれる。


「わりぃ」


 俺にされるがままになっている一吹くんがきゅーんと鳴いた。その姿がなんだか可愛くて苦笑した。


「いいよ。良かったらうちでちょっと休んでいけば? 今出て行ったらまたさっきのおっさんが出てきちゃうかもしれないからさ」


 俺は一吹くんを降ろして、玄関の電気をつけた。靴を脱いで部屋にあがると「お邪魔します」とご丁寧な挨拶をして俺の後を一吹くんはついてきた。


「なんか飲む? って言っても水かコーヒーぐらいしかないんだけど」


 俺は冷蔵庫を覗きながら尋ねる。


「コーヒー。あ、アイスとか出来る? できれば牛乳いれてくれ」

「注文多ッ! たぬきのくせに水じゃなくていいのかよ」

「客人に水ってお前……さすがにそれはないよ……」


 一吹君はやれやれといった様子をみせながら当たり前のようにソファのど真ん中に座った。くそっ。たぬきにもてなしを馬鹿にされるなんて悔しすぎる。


 俺はお湯を沸かしてコーヒーを淹れる準備をした。冷凍庫の製氷機を取り出して、バキンバキンッと割って氷を出す。


「その氷、水道水で作っただろ?」

「お前なら絶対聞いてくると思ったよ……」

「ぶははははっ!」


 一吹くんは笑った。つられて俺も笑っちまった。なんか、ちょっと楽しかった。この部屋に人が訪れるのは一吹くんで三人目だ。一番最初は叔父さん、二番目は百衣さん。今日は初めて友達を招いている気分だった。


「どーぞ。牛乳ないのは勘弁してよ。帰省してたから冷蔵庫空っぽなんだ」


 俺はコーヒーマグを一吹くんの前に置いた。カランと中の氷同士がぶつかる音がした。


「だからずっと家に居なかったのか。何回かお前の家に行ったんだけどずっと電気が消えてたから病院に寝泊まりしてんのかと思ってた」


 一吹くんはコーヒーマグを両手で抱えてずずーっと音を立てて飲んだ。俺も一口に飲んで、紙袋を自分の方へ引き寄せる。


「そうそう。んで、はいお土産。百衣さんと一吹くんの分も買ったんだ。最近、店がずっと閉まってたから渡せるか不安だったんだけど丁度良かったよ」


 俺は一吹くんに長方形の箱を渡した。息吹くんは目を輝かせてパッケージをまじまじと見つめる。


「うまそう……饅頭?」

「一口サイズのみたらし団子。個包装になってるから日持ちもするよ」


 息吹くんはありがとうと言って俺の土産をテーブルに置き、とととっと部屋を歩くとさっき俺に渡そうとした紙袋を手に取って戻って来た。


「お前の分もあるんだ。さっきあまみやさんに渡してくれっていったやつ」


 手提げの紙袋から透明な袋を取り出す。以前、甘やかし屋で買ったクッキーと同じように透明な小袋に入っていて袋の口はドット柄の可愛らしいリボンが結ばれていた。


「このお菓子なんだっけ……見たことある」

「フロランタンだろ?」

「あ、そうそう! そんな名前のやつ。俺、初めて食べる」


 小袋の中には正方形の焼き菓子が入っていた。表面にはアーモンドが乗っていてつやつやのキャラメルでコーディングしてある。


「百衣の作るフロランタンは生地が薄目なんだ。その方が触感が活きるから。アーモンドもスライスしたものじゃなくて細かく砕いてあるから沢山乗ってても喉に突っかからずに食べやすいんだよ」


 凝ってんなぁと感心しながらさっそく袋を開けてひとつ食べる。


「見た目はクッキーみたいだけど全然違うんだな! サクサクでうまい!」

「俺もこっち食っていい?」


 一吹くんは俺が渡したみたらし団子の箱を掲げる。


「百衣さんの分もとっといてよ?」

「わーってるよ!」

獲った

 そういいながら一吹くんはいそいそと包み紙を開ける。器用に綺麗に包装紙を開き、個包装になった団子を取り出してひょいっと一口で食べた。


「うんま!」

「だろ!? モンドセレクション金賞獲ったこともあるんだぜ!」


 地元のお菓子を褒められたのが嬉しくて謎な自慢をしてしまった。案の定、一吹くんには通じなかった。


「……なぁ、それに団子挟んだらもっとうまい気がしない?」


 一吹くんは俺が持っているフロランタンをじっと見つめながら言った。


「え~? クッキー生地にみたらし団子挟むの? 味、喧嘩しない?」

「いや……案外いけるんじゃねぇか? 最中に餅挟むみたいにさ、パリッとした触感の生地と餅って相性いいはずなんだよ。それに、みたらしとキャラメルも味の組み合わせとしては悪くない気がする」


 その言葉は妙に説得力があり、口の中でじわっと唾が溜まる。


「や、やってみてもいい……?」


 一吹くんは神妙な顔をしてゆっくり頷く。俺は土産にあげたみたらし団子を一個取り、食べかけのフロランタンを二つに割ってその間に挟む。恐る恐る一口食べた。


「……お前って天才かもしんない」

「だろ!? やっぱそうだよな!?」


 一吹くんの予想通りみたらし団子を挟んだフロランタンはとてもおいしかった。確かに最中のオマージュっぽさがある。初めて食べる触感と味の組み合わせなのに違和感がない。とても新しい。こんなお菓子、初めてだ。


「こ、これ甘やかし屋の新作メニューとして出しなよ! 百衣さんに相談してみようぜ!」


 それまで一緒になってはしゃいでいた一吹くんの顔が一瞬曇った。たぬきでも分かるほど。


「あ……」


 そして俺はその理由がなんとなく分かった。


「……百衣さん、元気?」


 長い沈黙の後、「おう」と一吹くんは短く答えて頷いた。

 そして、


「百衣のこと許してやってくれよ」


 そう静かに俺にお願いをした。

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