第45話

「ちょ……ちょっと待て。キツイ。休憩」

「まだ40代の癖にじじぃが過ぎるよ。ほら頑張って!」

「あ、待て待て。ゆっくり、ゆっくり頼む……」


 俺は叔父さんの後ろに回って背中を押す。緩やかな坂道を叔父さんはふうふうと息を切らしながら歩く。背広は脱いで肩にかけ、シャツには汗がへばりついていた。


「健康診断とか年一でちゃんと行ってる? 自営業だとそこら辺おろそかにしがちだろ。俺の見立てではその身体、恐らくメタボ予備軍だと思うんだけど」

「医者じゃなくても素人目の俺からしてもそう思うよ」


 自覚症状ありかよと呆れた。こういっちゃなんだが叔父さんは結構太ってる。お腹は前にせりだしてお尻も重そうだ。


「長生きしてよ」


 背中を支えながら祈りを込めてそう言った。叔父さんは「おう」と返事をして自分のお腹をぽんっと叩いた。


 長い坂を登ると墓地が見えてきた。スロープにつかまりながらようやく登り切って父さんと母さんが眠る墓の前に荷物を下ろす。

 俺は寺で借りたほうきで墓石の周りを掃除する。年に一度しか来ないから雑草が生え放題かと思ったら意外とそんなことはなく綺麗に掃除した後があった。


「叔父さん、前もって掃除しに来てくれたの?」


 石垣に腰掛けて汗を拭っている叔父さんに尋ねる。叔父さんは首を振った。


「こんな体たらくでそんなわけねぇじゃん」

「だ、だよね」

「寺の方で誰かがやってくれたんじゃないか?」


 俺も一瞬そうかと思ったが、他の家の墓を見ると雑草が伸びっぱなしになっているところもある。お寺の人が掃除をしたのなら一律で綺麗になっているはずだ。


 なにより不思議だったのが花だった。


「この花、最近生けられたものだよなぁ」


 父さんと母さんの墓には綺麗な花束が供えられていた。一般的な供花くげでよく見られる菊の花束ではなく、たんぽぽや紫色のとげとげした正式名称の分からない花。花屋で見るようなものではなく道端に生えている野草に近い花ばかりが束ねて供えられていた。叔父さんは近所に住む子どものいたずらかなと苦笑した。それにしては、丁寧に紐で結ばれて花束のテイをちゃんとなしている。


 俺はその花束を少し寄せて、空いたスペースに持参した花束を供えた。


「それ捨てないのか?」

「うん。綺麗だし、別にいいじゃん」


 叔父さんは怪訝な顔をしていたけどそれ以上は追求せず、よっこらせと身体を起こして線香を取り出し火をつけた。ふたりで手を合わせて目を瞑る。軽い煙たさと甘さのある線香の香りが漂う。俺は深呼吸して目を開けた。


「あ」


 たぬきと目が合った。墓石の背後にある山の斜面の草藪からこちらを見ている。


「おお、たぬきだ! 珍しいなぁ!」


 叔父さんもたぬきを見つけて、何故か軽くテンションが上がっていた。


「珍しいの? 山ん中だし普通にいそうだけど」

「俺はここで初めて見たぞ。たぬきって臆病で警戒心が強い動物だから人がいるところには滅多に出て来ねぇって言うし」


 そういうもんかと思い直し、もう一度たぬきの方を見たらいつの間にか姿が消えていた。


「ほら! 逃げてっただろ?」


 叔父さんは何故か得意げにしていた。


「警戒心のないたぬきもいるだろ」


 俺はなんだかムッとして張り合った。


「ごめんなさいって言いに来たりしてなぁ」

「え?」

「さっきのたぬき、うちの墓を見てただろ」


 叔父さんが何を言わんとしているのか分かった。


「父さんの交通事故の原因がたぬきだから謝りに来たってこと?」

「かもなと思ってさ」

「そんなおとぎ話みたいな話――」


 そう言いかけて俺は言葉に詰まる。そんなおとぎ話みたいな話が俺の周りでは現在進行形で起きている。


 俺はもう一度供花を見た。

 俺達より先に供えられた野草の花束。これはきっと百衣さんだろうと思った。


 俺の部屋に初めて来た日、百衣さんは泣いていた。泣いて、俺に謝罪した。


 ――私のせいで千昭さんのお父さんは死んでしまったんです

 ――私なんて……生まれてこなけれ良かった……!


 思い出して胸が苦しくなる。俺は立ち上がって、石垣に置いた荷物を持って歩き出す。叔父さんは「帰りは楽だな」なんて明るい声で言いながら坂を降りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る