第43話

「私にとっても祖母は人生の希望でした。愛してくれる人がいるという希望……だからどんなことがあっても生きてこれた」


 雨宮さんの瞳にうっすらと水の膜が張っている。


「お腹の赤ちゃんも同じなんです。私の……希望なの。夫からは祖母のために妊娠を望むなんておかしいと言われます。彼の言っていることが正しいというのも分かっています」


 雨宮さんは布団をめくり、パジャマごしで自分のお腹に触れる。


「先生、人は何のために子どもを産むのでしょうか?」


 雨宮さんは、旦那さんと同じことを俺に問う。


「私は、その答えはひとつだけじゃないんじゃないかと思うんです。命を宿した時、お腹の中で育んでいる時、出産した時、一緒に生活している時、そして自分が死ぬ時……人生のその時その時によって変わっていくものな気がします」


 俺は結婚もしていない。子どももいない。雨宮さんとは全く立場が違う。それでも今の彼女の気持ちに寄り添いたいと強く思った。


「今の私の答えは祖母の希望を叶えたい。なにより、この子を愛してあげたい」


 雨宮さんはお腹に触れていた手を動かして何度も何度も撫でる。まるで赤ん坊の頭をいい子、いい子と撫でるように。


「自分が……親には愛されなかった分、自分が親になって子どもを愛してあげたいんです。例えこの子に障害があったとしても」


 撫でる手を止めて、両手で抱っこするみたいに自分のお腹を抱きしめる。


「愛したいから子どもを持つのは、やはり私のエゴでしょうか……?」



*********************



 雨宮さんの病室を出ると、壁際に旦那さんが立っていた。壁に背中を預けて俯いて両手にボストンバッグと紙袋を抱えていた。俺は会釈して横を通り過ぎる。


「僕も彼女との子どもが欲しいです」


 廊下を歩く足が止まる。


「だからこそAIHにも同意したんだ……」


 雨宮さんの旦那さんの声は震えていた。俺は振り返った。


「産婦人科医は産ませるだけが仕事なんかじゃないです」


 あの日、何も答えられなかったことを俺はずっと後悔していた。だから今度こそ雨宮さんの旦那さんにもちゃんと伝えたかった。

  

「産婦人科医は出産した後は“はい、さようなら”で終われる。医者と患者の関係は解消されて赤の他人に戻れる……そん訳ないじゃないですか。この病院で命を宿した人たちのこと忘れないです。忘れられるわけないです……!」


 俺は俯いたままの旦那さんの傍まで戻る。

 

「うちの病院は周産期小児医療がとても充実しています。NICU《新生児集中医療》も整っています。小児科はもちろんのこと児童精神科、児童神経科もあります。妊婦さんだけじゃなく産まれてくる赤ちゃんの成長と発育に合わせて色々とサポート出来ます。科が変わっても病院をあげてお子さんの一生を守ります」


 ここに三國先生がいたら俺はきっとぶん殴られるんだろう。

 研修医が偉そうなこと言うな。

 産婦人科以外の科のことまで持ち出して期待なんかさせるな。


 だけど、俺は大真面目だった。本当にそう思っている。科が変わっても雨宮さんの赤ちゃんの一生を守りたいって本気で思ってる。そのために自分が出来ることをやる。そして今、俺がやるべきことは雨宮さん家族の選択を尊重することだ。


「雨宮さんが……お母さんが……選択する道は絶対に間違ってないんです。悩んで悩んで悩んで悩みぬいた末に出した答えなんです。だから、信じてあげてください」


 雨宮さんの旦那さんは俯いたまま泣いていた。俺は深く頭を下げて立ち去った。



 翌日、漆山先生から羊水検査の結果が伝えられた。

 その場に雨宮さんと雨宮さんの旦那さんも同席した。

 羊水検査の結果、Positive。胎児の21番染色体の量が通常よりも多いことが示され、21トミソリー陽性。


 そして、雨宮さん夫婦はその場で妊娠継続を選択した。



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