第40話

「お邪魔します」


 二度目のお邪魔しますを言って、百衣さんが俺の部屋にあがった。こんなことになるなんて全く想像してなかったけど今朝掃除しておいて本当に良かったと心底思った。


「て、適当にしてて。ソファとか自由に座って」


 俺は百衣さんの背中を見ながら、キッチンでお湯を沸かした。「コーヒーでも大丈夫?」と尋ねると、「はい」とぎこちない笑顔を俺に向けた。座っていいよと言ったのに突っ立ったままで、遠慮と緊張しているのが伝わってくる。そして、俺も緊張していた。叔父さん以外でこの部屋に人を招くのは初めてだった。


 電気ポットがしゅうしゅうと音を立てている間に、コーヒーマグを二個取り出す。随分と前からインテリアと化していたコーヒーミルとガラス製のドリッパーもようやく日の目を見る時が来た。ミルとドリッパーは念のためちゃんと一回洗って、豆の賞味期限もしっかり確認して、丁寧にコーヒーを淹れた。


「ごめん、うちミルクとかないんだけどブラックでも大丈夫だった? てか、ほら。遠慮しないで座って」


 俺がコーヒーマグを持って近づくと、百衣さんはまだ部屋の端っこで立ったままだった。俺が促すとようやく座ってくれた。


「ブラックコーヒー好きです。ありがとうございます」


 俺は湯気の立ち上るマグをソファに座る百衣さんの前に置いた。俺は自分の分のマグもテーブルに置いてフローリングに直に座った。俺の家のソファは叔父さんからのおさがりで一人暮らしにしては広めのものだけどさすがに隣にという訳にはいかない。


「なんかお菓子とかなんもなくて……ごめんね」


 百衣さんに出せるようなお菓子はうちにはなかった。駅前の24マートに寄れば良かったと後悔した。


「あ……だったら」


 百衣さんは膝の上で抱えていたトートバックの中を探る。こういうの帆布っていうんだっけ。厚手のキナリのバッグで、中から小さいケーキの箱を取り出した。あまやかし屋で見る、あの箱だった。


「シュークリーム作ったんです。良かったら」


 差し出された箱を受け取り、プレゼントの紐を解くような気分で丁寧に開ける。


「うわっ! かわいい~! なにこれ、白鳥?」


 箱の中には、俺が想像していたものとは全く異なる形のシュークリームが入っていた。

 半分にカットされたシュー生地の上に白いクリームがうず渦巻き状に乗っていて白鳥の胴体部分のシュー生地がくっついている。美しい羽にしなやかな曲線の首からはスッと伸びたくちばしのついた頭がちょこんと付いていた。


「これ、百衣さんが作ったの!? すごくない!?」

「一吹くんにも手伝ってもらいました」


 百衣さんは照れくさそうに笑った。俺は箱をテーブルに置いてキッチンに戻ってお皿とフォークを取り出した。


「こんなに綺麗なお菓子にコンビニのフォークでごめんね」


 うちにフォークは一本しかない。この間叔父さんがうちに来たときは備え付けのプラスチックのフォークがあったけど残っていないし、いくら綺麗に洗っているとはいえ俺が普段使っているものを百衣さんに差し出すわけにもいかない。引き出しに溜め込んだコンビニのフォークを彼女に渡した。


「千昭さんが食べてください。あなたに渡そうと思って作ったものなんです」

「え、俺?」

「最近、ずっとお店開けていなかったから。あと、この間助けてもらったお礼です」


 俺はあの夜、倒れている百衣さんの言葉を思い出した。あの時百衣さんは“元気を出してね”と言った。ずっと元気がなかったのに店を開けられなくてごめんとも謝った。


 俺はプラスチックのフォークを皿の上に置いた。緊張で唇が震えそうだったからコーヒーを一口飲んで落ち着かせた。さっき淹れたばかりなのにコーヒーはあっという間にぬるくなっていた。


「小さい時の俺にもこうやってくれていたの?」


 白鳥のシュークリームを見つめながら俺は百衣さんに尋ねる。


「こうやって甘いもので元気づけようとしてくれていた?」

 

 百衣さんは何も答えない。俺はソファの傍に置いたバックパックを自分に引き寄せた。


「この写真は百衣さんのお父さんの店? あと、ここに俺と母さんが映ってるんだ」


 テーブルに雨宮さんから貰った雑誌を広げる。百衣さんは黙ったまま、写真に目を落とす。


「ここに映っている俺はランドセルを背負ってるから小学生だと思う。つまり、俺の父さんはすでに死んでいて母さんとふたりで暮らしていた頃だ。だけど、この写真を見ても俺、何にも思い出せないんだ」


 ふと、テーブルの下を見るとソファに座っている百衣さんの手に力がこもっていることに気付いた。トートバッグの紐をぎゅっと握っている。まるで命綱につかまっているみたいに。


「百衣さん、さっき俺の部屋に入った時ずっと立ったままだったよね。もしかして、あれを見ていた……?」


 俺は顔を上げて部屋の隅に置いているカラーボックスを見た。三段サイズの黒いカラーボックスの一番上。そこにあるのは父さんと母さんの位牌だ。


「俺の父さんは、俺が4歳の時に亡くなってるんだ。交通事故でさ、山道で車道に飛び出して来たたぬきを避けようとハンドルを切って木にぶつかったんだ。俺の母さんは助手席に乗っていて、俺はその後部座席で寝てたんだって」


「俺それも全然覚えてないんだけどね」と、半笑いで言いながら頭を掻く。百衣さんは俯いたままずっと黙っている。


「あ、あのさ。別に俺、君のこと責めたいとかそういうのじゃないんだ。そもそも父さんが死んだ原因と百衣さんは何も関係がないんだったら全然――」

「私のせいです」


 俺を遮るような、はっきりとした声だった。

 

「私のせいで千昭さんのお父さんは死んでしまったんです」


 うつむいたままだった顔をあげて、俺の目を見て、百衣さんは言った。


「私なんて……生まれてこなけれ良かった……!」


 ぽろぽろと涙を流しながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る