第37話

「理子の祖母は今80歳を超え認知症以外にも色々と患っています。だから、彼女は焦っているんです」

「あ、あの……動機がなんであれ別に子どもが欲しいと思うことは悪いことではないんじゃないですか?」


 雨宮さんの旦那さんが納得しない理由も分からなくはない。だけど、彼女を愛しているなら別に祖母のために妊娠を望んだって何も問題ないじゃないか。


「……そう言えるのは、あなたが産婦人科医だからですよ。あなたたちは産ませるのが仕事で育てるわけじゃないから」


 俺は言葉に詰まった。


「お腹の子どもに障害が見つかったら堕して欲しいと言ったのは僕です。ずっと祖母の世話をして、今度は子どもだなんてあまりにも彼女が可哀そうだ」

「可哀そう……?」

「障害のある子どもとなれば、普通の成長は望めない。ずっとケアをしなくてはいけなくなる。それは子育てではなく介護ではないでしょうか?」


 自分に投げかけられている言葉の数々に、目の前が真っ暗になるほどショックだった。


「障害があると分かった上で産むということは、一生その子の面倒を見るということです。あなた方産婦人科医は出産した後は“はい、さようなら”で終われる。医者と患者の関係は解消されて赤の他人に戻れる。だけど、家族はそうじゃない」


 耳の奥で耳鳴りがする。うるさくて痛くて耳を塞ぎたくて堪らない。


「先生、理子はいつまで誰かのケアをし続ければいいんですか? 彼女が死ぬまでですか?」


 ――ブルルルッ!


 その時、デニムのポケットにいれていた俺のスマホが振動した。振動はいつまで経っても終わらず、ずっと震え続けている。


「電話じゃないですか? どうぞ」


 旦那さんに促され、俺はデニムからスマホを引っ張り出す。見知らぬ番号からだった。


「……も、もしもし?」

「千昭か!?」


 見知らぬ番号から掛かってきたのは見知らぬ男の馴れ馴れしい声だった。


「え……? 誰だよお前」

「俺だよ、俺! あれ、番号間違えてんのか?」

「一吹くん、繋がった?」


 スマホの向こうから百衣さんの声がした。そして、確かに今、一吹くんと聞こえた。


「えっ!? もしかして一吹くん?」

「そうだよ! なんでわかんねぇんだよ!」

「電話越しだけじゃわかんねぇよ! 名乗れよ! てか、百衣さんと一緒なのか?」

「百衣も一緒だけど、あまみやりこさんって人も一緒だ」

「ええっ!? 雨宮さんと一緒? な、なんで」

「もしもし、千昭さん?」


 声が百衣さんに変わった。


「この前、お店に来てくれた女性が道でうずくまっていたんです。今、その人のスマホから電話をしています。病院へ電話した方がいいかと思ったんですが番号がわからなくてあなたに……」

「119にかけてください! 救急車が来たらかかりつけは恵愛病院だと伝えてください! 俺もすぐに行きます!」


 「わかりました!」と百衣さんは電話を切った。雨宮さんの旦那さんは青い顔をして椅子から立ち上がっている。俺の会話だけで事態を把握したようだった。俺達は急いで家を出て恵愛病院へ向かった。

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