第36話

 突然問われる質問が壮大過ぎて俺は戸惑う。


「そ……そんなの人によるんじゃないですか……? 好きな人の子どもが欲しいとか……子どもが好きだからとか……」


 思いつくまま理由をいくつか口にする。正直、俺にそんなこと聞かれても困る。だって、俺は今まで一度も考えたことがないからだ。結婚もしていない、ましてや独身だ。いつか結婚して子どもを持つ人生を送るかもしれないけど今は全然想像できない。それに産婦人科の医師だけど、研修医だ。希望して今の科にいるわけじゃない。研修カリキュラムの一つだからだ。

 そんな俺に「子どもを産む理由」なんて分からない。そもそも理由なんて必要なのかとさえ思えてくる。


「あなたはご自分のお子さんが欲しくないんですか?」

「欲しいです」


 意外にも旦那さんは即答だった。


「だけど、理子の目的はそうじゃないんです。子どもが欲しいから不妊治療を続けていたわけじゃない」


 旦那さんは雑誌に再び目線を落とす。

 

「理子はずっと祖母のために妊娠を希望していました」


 銀色の細いフレームの眼鏡を外して、ことりと静かにテーブルに置く。眼鏡を掛けている時の冷たい印象と変わって素顔はやつれているように感じた。


「理子の祖母は現在認知症を患っています。理子に会っても、もう彼女が自分の孫だとは分かっていません。そんな祖母を世話している内に理子は祖母の願いを叶えればまた自分のことを思い出してくれるんじゃないかと信じているんです」

「願いって……」


 額に嫌な汗が流れる。


「いつか孫の顔が見たい。純粋に孫の幸せを願っていった言葉だと思いますが今は理子を縛り付ける呪いになってしまいました」


 あえて物騒な言葉を選んでいるのかと思うほど、雨宮さんの旦那さんは忌々しそうな顔でそう言った。それから、言葉を選びながら雨宮さんの生い立ちを話してくれた。



 学生の頃から生理に不調を抱えていた。

 一度の月経期間は長く月経痛も重く、それが彼女の不登校に拍車を掛けたという。しかし、当時の雨宮さんは婦人科へのアクセス手段を持っておらず、ずっと病院へは行っていなかった。

 小学校時代のいじめ、中学受験の失敗、不登校だったこともあり、生理のことまでは祖母に話せなかったという。心配を掛けたくなかったのもあったが、言えない理由はそれだけではなかった。


「彼女が高校生になった頃から、祖母の様子はおかしくなりました。認知症の初期症状が出始めたんです」


 それでも、雨宮さんは祖母との同居を止めなかった。学業と並行して祖母の介護もした。大学は祖母の自宅から徒歩で通える距離で選んだ。それでも年々、病状は悪化し雨宮さんが大学3年生の頃には施設へ入ることとなった。


「雨宮さんのご両親は……?」


 俺の質問に苦々しそうに旦那さんは首を振った。


「自分の娘を自分の親に押し付けるような人たちが面倒を見ると思いますか?」


 両親とは中学生の時に別居して以来、月に一度会うか会わないかの関係だという。社会人になってからはさらに頻度は下がり、今は連絡すらとっていない。雨宮さんの強い希望で結婚式にも呼ばなかった。


 自分が妊娠しにくい身体だとわかったのは社会人一年目の健康診断だった。子宮筋腫が見つかり、子宮内膜症の手術も受けた。


「結婚する前から理子は自分が将来妊娠を望めない可能性があることを話してくれました。僕は承知で結婚をしたし、もちろん子どもが授かれれば嬉しいことだけれど彼女とふたりだけの暮らしでも十分幸せでした」


 それが、二年前から理子さんから不妊治療の申し出があった。

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