第32話

『真夜中のフルーツポンチ』


 今月号の校了が終わった翌日、不思議な体験をした。


 知人に連れて行ってもらったとある洋菓子店。そこは、真夜中にひっそりと開店している小さな店だった。ビルとビルの隙間、道と呼ぶには細すぎる、なんだかまるで野良猫の通り道の奥にその店はあった。


 知り合いはその店の常連のようで慣れた様子で暗い細道を歩いていく。後ろ手でスマホのライトを点けて私の足元を照らしてくれた。私は童心に帰ったようにわくわくしていた。


 店に入ると可愛らしい女性が出迎えてくれた。ショーケースの中の商品はひとつだけ。今夜のメニューは「白玉フルーツポンチ」だ。 透明の小瓶につるつるの白玉と、真っ赤なさくらんぼ、丁寧に皮が剥かれた葡萄に丸型にくりぬかれたメロンがみっちりと詰まっていた。シロップはクラッシュゼリーになっていて「持ち帰りでこぼれないように」と語る店主の気遣いになんだか心が癒される。


 イートインも出来る店だったのでその場で頂く。


 一口食べた瞬間、童心どころか本当に子どもの頃にタイムスリップした。祖母がよく買って来てくれた洋菓子のことを思い出したのだ。その店は昔ながらの地元の洋菓子屋さんで、ケーキのほかにもゼリーやプリン、焼き菓子も売っていた。生クリームが苦手な私のために、祖母はよくゼリー系の洋菓子を買ってきてくれたのだが、まさにこの路地裏の店で食べた白玉入りのフルーツポンチとよく似ていたのだ。


 私は子どもの頃、随分と苦手なものが多い子どもだった。

 父の仕事の関係で転勤が多く、別れが辛くて友達を作ることが怖かった。運動も苦手だった。中学受験にも失敗した。落ち込むたびに私は一人祖母の家に行くと、祖母はいつも私を救い、甘やかしてくれた。いつしかそのまま祖母と二人で暮らすようになった。

 やっと手に入れた安住の地。甘くて優しい思い出を祖母と共にいくつも作った。


 そんな祖母は今、病院で暮らしている。

 洋菓子店も数年前に店主が亡くなり店も潰れて跡地はコンビニとなった。そのコンビニも移転して今では空き地に変わってしまったけれど、残っているものもある。


 私は翌日、編集部の写真データベースから写真を探した。おぼろげな記憶を頼りに何百、何千の中から探した。すると、15年前のデータがまだ残っていた。その洋菓子店は過去にうちの雑誌に取り上げられたことがあったのだ。


 店の味も祖母との暮らしも過去の思い出になってしまったけれど、私が今その雑誌で仕事をしているなんて運命を感じずにはいられない。思わぬ再会のきっかけを作ってくれた知人に感謝したい(編集・A)



**********************



「こんな偶然ってあんのか……?」


 雨宮さんのコラムを読み俺は呆然とした。

 雨宮さんの地元がこの辺りだったなんて知らなかった。そして、馴染みの店の名前は“洋菓子屋リリー”。思わぬ再会のきっかけを作った知人ってやつは俺のことなんだろう。

 だけど、俺からしたら雨宮さんが再会のきっかけとなった。


 雑誌を持つ手が震える。気持ちを落ち着かせようと目を瞑ってふーっと長い息を吐いた。そしてもう一度雑誌を見て写真に目を凝らす。偶然の再会はひとつだけじゃない。


「これ……俺と母さん……だよな?」


 写真は営業中の店内で、お客さんが二、三組。

 ショーケースの前に立つ親子連れの姿。アングルは遠目で顔は横顔だけど分かる。これは俺と母さんだ。俺はランドセルをしょっていて、母さんはパティシエ帽を被った男性とレジで向かい合って話をしている。


「この人、もしかして……」


 パティシエ帽を被った男性の顔を食い入るように見る。百衣さんのお父さんかもしれないと思った。画像は粗いし写真の映りも小さいけれどなんとなくそんな気がした。何より、以前百衣さんが俺に言った言葉が俺に確信めいた思いを起こす。


 ――このドーナツは私の父のレシピです。お店の定番商品でした。"洋菓子屋リリー"、覚えていませんか?


 ――千昭さんは、お母さんと一緒に時々うちのお店でお菓子を買っていたました。このドーナツも


 レジ横のバッドにドーナツが陳列してある。ドーナツだけじゃない。バスケットに入った透明な小袋には丸や三角の形をしたクッキー。ショーケースには、プリンにロールケーキ、見切れているが白玉フルーツポンチの瓶も映ってる。全部、百衣さんの店で食ったお菓子によく似ている。


 画像は粗いし写真の映りも小さいけれど、絶対そうだってっていう気持ちがどんどん強くなる。

 

「マジで意味分かんねぇって……!」


 背中がぞくりと震えて俺は雑誌を荒々しく閉じた。


 なんで俺と母さんはこの店にいるんだ?

 俺は全く記憶にない。

 子どもの頃だからなのかもしれないけれど、百衣さんが言っていた“時々行っていた”のが本当なら少しぐらい覚えているはずだ。


 俺は苛立つように頭をガシガシと掻き、立ち上がって父さんと母さんの位牌の前に立つ。


「母さん……リリーって店知ってんの? 百衣さんとは知り合いだったのか? 父さんが死んだきっかけに彼女が関わってるって本当なのか……?」


 母さんは父さんが死んだ理由に百衣さんが関わっているからこそあの洋菓子店に行ってたんじゃないのか。俺を連れて。


「教えてくれよ……母さん……」


 返事なんか返って来ないってわかってる。

 俺が欲しい答えを出せる人間がいるとしたら、それはこの世で一人だけなことも。

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