第24話
「なになになに。今夜の闇は深いねぇ」
くるっと椅子を回して漆山先生は再び俺に向き直る。その顔と声がちょっと半笑いなことに俺は少し傷ついた。
「茶化さないでくださいよ……結構……マジで堪えたんす。三國先生の言葉」
「ド新人だって言われたこと?」
「いや……言葉そのものっていうより医者としての資質を問われたことがショックでした……医者としてまだ半人前のくせにいっちょ前に患者さんに声かけたり……何偉そうにしてんだろって自分でも恥ずかしくなったんです」
外から見れば研修医だろうが専攻医だろうが専門医だろうが関係ない。研修医はまだ分かりやすいかもしれないけど、ぶっちゃけ専攻医と専門医の違いなんて医療関係者でなければ何が違うのか説明できる人は少ないと思う。同じ医者として見られてもおかしくない。
だけど、医者としての能力には歴然とした差があり、どうしたって優劣も存在する。
「まあ、確かに最近の君は研修医っぽくはないね」
ぐさっと心臓を一突きされた。ああ、やっぱり漆山先生もそう思ってたのか。俺の顔はますます曇る。顔が上げられなくなった。
「だけど医者っぽいなとは思う」
コトンッと、カップラーメンを置く音がやけに大きく聞こえた。
「確かに、スキルや経験は半人前だよ。でも、それは君が劣っているとか医者に向いていないとかじゃなくて研修医は全員そうだ。研修過程をどんなにソツなくこなしたって臨床スキルとしては圧倒的に足りていない。だけど、患者さんが求めている医者ってどういう人間なんだろうって考えた時、俺自身はどうなんだって思うんだよ。求められているレベルに達してるって言えんのかなって」
俺は少し顔をあげて漆山先生を見た。漆山先生は俺ではなく、自分のデスクに設置したパチングボードを見ていた。
「俺、産婦人科医になって自分が関わった患者さんや分娩に携わった赤ちゃんのこと全員覚えてんの。覚えてるっていうか、忘れられないというのが近いのかな」
漆山先生のパチングボードにはメモ用紙や経理に出す請求書の他に、色紙や手紙、写真が沢山貼ってある。写真に映る漆山先生は今よりずっと若い顔をしていて、赤ちゃんを抱く患者さんに寄り添っている。
「自分の無力さ、無能さに打ちのめされることがあってもこの人たちのことを思い出したら落ちずに踏みとどまれる。ここで挫けたら駄目だって力が沸くんだ」
「漆山先生でもそんな風に思うことあるんですか……?」
「勿論あるよ! この間も自己嫌悪に悶えながら当直明けに激辛タンメン食いに行ったし」
「えっ! そうなんですか!?」
初めて知った。甘いもので発散している俺と似たようなことしてたんだ。
「命が育まれる時間と誕生する瞬間を親になる人たちと一緒に分かち合えるこの仕事は本当に素晴らしいことだと思うんだよ。だけど、その資格が自分にはあるのかと問うた時、産婦人科医としてのスキルが高いことだけじゃ絶対足りないと俺は思ってる」
俺はどうして漆山先生が今回怒らなかったのか分かった気がした。
先生はいつも患者さんのこと、お母さんになる人、お母さんになりたい人のことを一番に考えているからだ。その気持ちが産婦人科医にとって最も大切なことだから。
「この間の勉強会で俺に怒られた後、榛名くんが仕事に対して少し消極的になったなと思ってたんだけど、最近は凄くいいなって思ってる。雨宮さんだけじゃなくて他の患者さんに対して気遣うような声掛けをしていること、知ってるよ」
思わぬところを触れられてドキリとした。甘やかし屋で雨宮さんと別れてから、俺はなんだか他の患者さんに対しても何か出来ることがないかと考えていた。出来ることなんて大してないんだけど、ただ研修業務をこなすだけじゃ自分自身が落ち着かなかった。
「だから、今日はもう帰んな。帰ってちゃんと休んで」
「…………ッす」
「泣くなよ」
「そのラーメンの匂いのせいっスよ」
そこまで辛くねぇけどなぁと言いながら、漆山先生はスープまで飲み干していた。
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