第26話
明日も普通に仕事だ。だけど、あのまま家に変える気にはどうしてもなれなかった。
「はぁ……はぁ……キツ」
あの夜と同じように俺は肩で息をしながら山道を進んでいく。運動不足に慢性疲労が溜まった身体に全力疾走はダメージがでかい。あの夜と違うのは美味しそうなドーナツの匂いがしないこと。スマホのライトとおぼろげな記憶だけが頼りだった。
急いで追いかけたつもりだったけれど、たぬきの姿はどこにも見当たらなかった。だけど、今から目指す場所に絶対にいるような確信めいた思いがあった。
「あ……!」
奥の林の先に光が見えた。瓦屋根とトタンで出来た小さな家。百衣さんの家だ。俺は小走りで近づいていく。
「うわっ!!」
躓いて地面に向かって派手に転ぶ。
「いってぇ……」
手をついて起き上がると茂みの中で“何か”が目に入った。
「……ッ!」
人の足だった。悲鳴をあげそうになった瞬間、俺はその脚の持ち主が誰か分かり駆け寄った。
「百衣さん!!!!」
倒れていたのは百衣さんだった。暗闇でその表情まではよく見えない。
「大丈夫ですか!? 俺の声、聞こえますか!?」
彼女の両肩をトントンと叩きながら必死に呼びかける。
「う……」
百衣さんは小さなうめき声をあげた。少しでも反応を示してくれて俺は心底ほっとした。
「救急車……! あれ!? スマホどこいった……!?」
さっき転んだ拍子に落としてしまった。俺は茂みを掻き分けながら探したがこの暗闇じゃ望みは薄かった。
「ち……あ……きさ……」
「百衣さん!! 大丈夫!?」
「ん……」
百衣さんはうっすらと目を開けて俺の顔を見た。
「とりあえず家に入ろう……捕まれる?」
「う……ッ」
「辛いならいいよ! ちょっとごめん……身体、触るね」
俺は百衣さんの身体を抱える。体重の数値に関わらず脱力した人間というのは非常に重いものだ。だけど、百衣さんは異様に軽く感じた。
百衣さんの家の玄関は鍵が掛かっていなかった。家にあがると電気はついたで誰もいない。一吹くんと三人でドーナツを食べた居間に彼女を横たわらせる。
(すげぇ熱い……)
百衣さんの額に手をやる。抱きかかえている時点で感じてはいたが百衣さんの身体はとても熱かった。体温計の在りかを尋ねようとしたが計らずとも分かるなら苦しそうにしている彼女に聞く意味があまりないように思えた。
「百衣さん、ちょっと台所借りるね」
俺は台所へ行って彼女の家の冷蔵庫を開けた。
「氷……氷……」
製氷機から氷をいくつか取り出した。バックパックにしまっていたコンビニの袋だけを出してその中に氷を詰める。溶けて水滴が漏れないよう台所にあった布巾に包んだ。
「少し頭上げるね」
座布団の上に頭を置いていた百衣さんの頭を少しだけ浮かせてその下に即席の氷枕を挟む。冷たいのか、百衣さんの身体がぶるっと震えた。
「毛布……毛布……」
今度は布団の代わりになるものを探すため立ち上がろうとした時、くいっと引っ張られる感覚がした。
「どうしたの? どっか痛い?」
百衣さんが俺のパーカーの袖口を掴んでた。
「……ごめ……な……さい」
「いいよ全然。まさか倒れてるとは思わなかったけどやっぱり追いかけてきて良かったよ」
さっき見たたぬきが百衣さんだったのかはまだ確証がない。だけど、結果的には倒れている彼女を見つけることが出来た。
「ち……が…………」
百衣さんは力なくふるふると首を振る。
「お店……ずっ……と……やってなくて……千昭さ……元気……なかったのに……」
「……え? そんなの別に」
「また……作るから……元気だして……ね……」
そういうと、力尽きたかのように百衣さんそのまま寝入ってしまった。俺はしばらく呆然と百衣さんの寝顔を見つめていた。そのうちハッと気が付き居間の襖から布団をみつけて居間に敷いた。眠る百衣さんを抱えて布団に寝かせる。
百衣さんが謝った理由が分からないまま、俺はただただ彼女の寝顔を見つめ続けた。
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