第22話

「あ……その……それは……」


 俺はあらゆる言い訳を考えて、考えて、考えるのを止めた。


「すんません。実は――」


 俺は瑞樹さんに正直に全て話した。


 以前、診察終わりに遅くまで病院のベンチに座って泣いていたこと、電話で誰かと揉めている様子だったこと、もしかしたら電話の相手は旦那さんかもしれないこと。


 そして、先日の診察後も病院の近くで時間を潰していた時に酔っ払いに絡まれて俺が声をかけたことも。甘やかし屋に寄ったことは余談かと思って話さなかった。


「そうだったんだ……雨宮さん、家に帰りたくないって言ってたんだね」

「すんません……治療以外で患者さんに関わるのは良くないとは思ったんですけど放って置けなかったんです。あの……始末書でもなんでも書きます」


 瑞樹さんは首を横に振った。


「もし私も榛名先生の立場だったらきっと同じように声掛けています。酔っ払いに絡まれて何かあったらと思うと……」


 瑞樹さんは眉間にしわを寄せて深いため息をついた。


「榛名先生ありがとうございました」

「あっ……いや……!」


 怒られるどころか礼を言われるとは思わなくてどう反応していいか分からなくなる。だけど、自分の行動は間違っていないと言ってもらえたみたいでほっとした。


「ハイリスクじゃないですかね?」


 前を歩いていた三國先生が俺達の方を向いた。


「胎児の件だけでなく雨宮さんは基礎疾患をお持ちですから元々該当はする方ではありますね」


 瑞樹さんが三國先生に答える。産婦人科で言われるハイリスクというのは、主に患者さんである妊婦さんに向けられる。


 妊娠中に合併症が生じた場合や妊娠前から何らかの疾患を持ちながら妊娠・分娩を行う場合には、通常の検診以外にも別の科の医師と治療情報を共有したり院内のソーシャルワーカーと連携して産後のケア計画を立てたりするのだ。


「いや、ハイリスク妊婦って意味だけじゃなくて。彼のこと言ってます」


 三國先生は自分のうなじを掻きながら顎で俺のことを指す。


「そんなんで専攻医になった時どうすんの?」

「ど……どうするっていうのは……?」

「ぶっちゃけ最終的な専攻は産婦人科ってわけでもないんじゃないか? それなのに、そんなに一人の患者に深入りする目的はなに?」

「目的って別に俺は……」


 三國先生が俺に何を言わんとしているのか分からない。だけど、明らかに俺のことを快く思ってはいないことは伝わってくる。


「三國先生は俺みたいな研修医は患者さんを心配するなって仰りたいんですか……?」

「いや? いいんじゃない。随分余裕あるみたいだしさ」


 皮肉めいた乾いた笑い声に俺は拳をぎゅっと握る。


「ただ、研修医としての目的をはき違えるなよとは言っときたい」


 三國先生の目に鋭さが増す。


「特にお前みたいな初期研修医は臨床でのスキルを高めることが仕事だろ。医者になるためのまだ第一段階に過ぎない」


 初期研修では内科、救急科、外科、産婦人科と各診療科を2年間かけてローテして診療や救急対応などを学ぶ。三國先生の言う通り、俺はまだ2年も満たない。医者として初期中の初期段階に立っているだけだ。


「そのあとは専攻医研修。最短でも3年はかかる。で、専攻医研修が終わったらようやく専門医プログラムを受けられる。さすがに分かってると思うけどただ3年間じーっと待っていれば自動的に専門医になれるわけじゃない」


 3年目以降は、専攻医として専門医取得を目指して各病院の専門研修プログラムで学ぶ。昔は後期研修と呼ばれていたもので、研修の期間は約3~5年間と初期研修よりも長い。それが終わったら次は専門医を目指して、19科の基本領域からひとつに絞り専門研修プログラムに参加して研修を受ける。研修といっても、院内では所属する診療科の医師として患者さんと接する。


「つまり、俺が何が言いたいか分かるか?」

「……はい」


 握った拳にさらに力が籠る。


「患者から見ればお前はすでに大層立派な医者に見えるんだろうが、俺からしたら違う。全然違うんだよ」


 悔しい。悔しくて悔して堪らない。


 何故なら、三國先生の言っていることは全て正しいからだ。


「危なっかしくて見てらんねぇよ。ド新人」

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