第21話

 雨宮さんの羊水検査は、一緒に甘やかし屋へ行った日の三日後に行われた。


 その日、漆山先生は別の患者さんの診察の予約が入っていたから検査は別の先生が担当することになった。その先生というのが、正直、いや、かなり、俺にとって気まずかった。


「……チッ。研修医が見学するって聞いてみたらお前かよ。遅刻のド新人」

「……!!」


 ド素人という言葉は聞いたことあるけど、“ド新人”という言葉は初めて聞いた。自分に向けられるのも人生初だ。お前みたいなヤツはペーペー中のペーペーだと言われていることぐらい理解出来る。それほど俺が医者として未熟だと目の前の人物から非難されていることも。


 羊水検査の担当医師は先日勉強会で講師を務めた三國先生だった。俺が遅刻して現れ、その上ぼーっと考え事をしていたことを怒鳴られた相手だ。


「せ……先日は申し訳ありませんでした……今日はよろしくお願いします」

「またボーッとよそ見してたらぶっ殺すから」


 三國先生はギロリと俺を睨む。なんかキャラ変わってない? てか口悪過ぎない? 病院で56す発言が飛び出ていいの……?


「ままま! 三國先生! 今日はよろしくお願いしますね!」


 検査補助の瑞樹さんが場を和まそうとしてくれた。三國先生は俺の存在を無視するかのように検査で使う注射器や消毒キットを黙々と点検している。俺は後ろで邪魔にならないよう小さくなっていたが、雨宮さんが診察室に入るまで10回以上舌打ちされたのだった(正確には13回だった)。


「検査担当の三國です。よろしくお願いします」


 診察台に横たわる雨宮さんに三國先生は挨拶する。俺はその背後から小さく手を振ると、雨宮さんはほんの少しだけほっとした表情を見せてくれた。

 だけど、すぐにその顔は強張った。


「……心拍も順調、羊水の量も問題なし。針の位置は……この辺りか」


 エコーで雨宮さんのお腹を調べながら三國先生は針を指す位置を定めていく。雨宮さんはモニターに映る胎児の映像を食い入るように見つめていた。


「それではお腹を消毒していきますね」

「あ、あの!」


 瑞樹さんが消毒液を含んだガーゼで雨宮さんのおへその辺りを拭い始めた時、雨宮さんは弾かれたように三國先生に尋ねた。


「赤ちゃんは……大丈夫でしょうか? その、検査中に針が身体に刺さったりしませんか?」

「その心配ありません。エコーで胎盤の位置を調べて穿刺せんしの妨げにならないことを確認した上で行っていきます」

「もしも赤ちゃんが途中で動いて……針に当たってしまう可能性はありませんか?」

「穿刺している時間は、ほんの15~20秒です。それに奥まで深くまで刺すわけではなく羊水が吸引可能な位置までしか刺しませんからその可能性も低いです」

「そうですか……あの……赤ちゃんは順調でしょうか……?」

「三日前に妊婦検診受けられているんですよね?」

「それはそうなんですけど……三日前と変わりないかなって……」

「先ほども診察しましたが羊水の量も胎児の心拍にも異変は見られませんでした」

「エコー上はそうなのかもしれませんが……あの……この検査を受けることでお腹の赤ちゃんに影響は出ないでしょうか……?」

「羊水検査後で胎児が流産する可能性は約0.1~0.3%、つまり1000人中1~3人です。羊水検査に限らず、この時期に自然流産する場合があります。羊水検査による流産と自然流産が起こる確率と比較すればそれほど高い数値ではありません。この検査は非常に危険な検査というわけではありませんが、100%安全な検査とも言えません。で、これ以上、何をお知りになりたいんですか?」

「あ、あ、雨宮さん!」


 俺は慌てて雨宮さんの手を握る。


「大丈夫っす! 三國先生も瑞樹さんも俺も……みんな傍にいます。だから……大丈夫」


 雨宮さんが何を考えているのか俺には分かった。そうだよな。不安に決まっている。不安で不安で、怖くて怖くて、色々聞かずにいられないんだ。


「……」


 こえぇぇ……。

 三國先生が後ろで俺を睨んでいるのが背中越しでも伝わってくる。どけよって言葉が無言で聞こえてくる。俺は診察台の反対側に移動して雨宮さんの手を再び握り直した。雨宮さんの顔は晴れなかったがそれでも俺の手を強く握り返してくれた。こくんと小さく頷き、震えた声で「お願いします」と言って目を閉じた。

 瑞樹さんが消毒を再開する。俺は検査が終わるまでずっと雨宮さんの手を握り続けていた。


「これで検査は全て終了です。30分ほどベッドでお休みになっていてください。またお声がけに伺いますね」


 瑞樹さんがそう声を掛けて、雨宮さんを休ませる。俺は後ろ髪引かれる思いで診察室を後にした。


「榛名先生、さっきのナイスです」


 廊下を歩きながら瑞樹さんが俺を褒める。


「え、あ、何がですか」

「さっき雨宮さんの手を握って声を掛けてあげていたでしょ? あれで落ち着いてくれたから。お母さんの気持ちに寄り添って素晴らしい対応です」


 咄嗟に身体が動いただけだったけれど、褒められてちょっと嬉しい。


「でも、いつの間に雨宮さんと親しくなったんですか?」


 瑞樹さんの言葉に俺は心臓が飛び跳ねた。

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