第20話
俺は段々小さくなって、頷くだけで精一杯になった。
「ごめんなさい……嫌ですよね。いくら同じ科の医者だからって主治医でもない、ましてや研修医の俺なんかが知っているの」
雨宮さんは答えに困っているようだった。何も答えず、ただ自分のお腹を守るように掌で触れている。
「……迷っているんです」
雨宮さんはぽつりと呟く。
「検査を受けること。結果を知ることが怖いんです」
俺は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「最低な母親……いや、人間ですよね。あんなに妊娠したがっていたくせに……」
乾いた笑いを浮かべながら、雨宮さんは自分を責める。
「私みたいな人間は最初から母親になる資格なんてなかったのかもしれません。だからずっと……子どもができなかったのかなぁ」
「……ッ」
俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。瑞樹さんの言う通りだ。長い間治療を続けてきて、やっと妊娠できた彼女が、自ら子どもを手放したいわけなんてなかった。
「……俺は」
絞り出すように言葉を続ける。
「俺は……お母さんが決めた決断が間違ってるなんて思わないです」
雨宮さんはゆっくりと俺を見る。
「こんなに苦しんで苦しんで……悩んで悩んで悩んで出した答えが、間違っているわけないんです」
「先生」
「大切じゃなかったら、愛してなかったら……こんなに苦しむわけねぇよ」
最後はもはや俺の独り言だった。
「お待たせいたしました!」
百衣さんの声で俺達は弾かれたように顔をあげる。
百衣さんはトレイを持って俺たちの傍に近づき、目の前の小さなテーブルに白玉フルーツポンチを置いた。小皿に乗せて、木製のスプーンも付いていた。
「お飲み物もすぐにお持ちしますね!」
ぱたぱたと駆け足で百衣さんは再び厨房へと引っ込んでいった。
「食べましょうか」
雨宮さんはスプーンを手に取った。少し遅れて俺も同じようにスプーンを手に取る。だけどすぐには手を付けず雨宮さんの反応を待った。雨宮さんの口に白玉と綺麗に丸くくり抜かれたメロンが運ばれる。
「……美味しい」
何かから解放されたような、リラックスした彼女の声に俺は心底ほっとした。俺もスプーンですくってぱくりと食べる。
「……やべぇ」
さっきまで深刻な顔で半泣きになってた癖にバカみたいな感嘆の声を漏らす。ああ、待ち望んだ甘味だ。脳みそからセロトニンがドバドバ大放出しているのが分かる。
「この、白玉のつるつるともちもちの触感がたまんないっすねぇ」
「ええ。あと、クラッシュゼリーちょっと炭酸入ってません? 口に入れるとしゅわしゅわしてすごく美味しいです」
「え、マジすか? ……ぱく。あ、ほんとだ! しゅわしゅわする! フルーツの酸味も相まってうまいっすねぇ!」
いつもひとりで食べているからこの美味しさを分かち合える人いることが嬉しかった。
「実はつわりが酷くてあまり食事がとれてなかったんです。だからこういう爽やかなスイーツすごくありがたいです」
嬉しそうに雨宮さんは次々と白玉フルーツポンチを口に運んでいく。もちもちだ~っていいながら頬を膨らませて笑った。
「あの……嫌じゃなかったらなんですけど」
俺は少し緊張しながら切り出した。
「今度の羊水検査……俺も立ち会っていいですか?」
雨宮さんは少し目を見開き、ごくんと白玉を喉に通す。
「……先生がいてくれたら心強いです」
雨宮さんはふわりと優しい笑みを俺に返してくれた。
「お待たせしました! たんぽぽ茶です!」
「ももももも百衣さん!」
俺は慌てて百衣さんを止める。
「たんぽぽ? たんぽぽのお茶って言った!?」
「は、はい」
「ちょ、ちょっとこっち来て!」
俺は百衣さんの背中をぐいぐい押して雨宮さんから距離をとる。
「まずいって! 雑草のお茶なんて!」
「え……すごく美味しいですよ……?」
「違う違う違う味の話じゃない。たぬきの世界じゃポピュラーな飲みもんなのかもしんねぇけどそんなの出したら正体バレちゃうって! 今日は一吹くんがいないからまだ良かったものをさ」
「正体がバレるって言われても……」
「あの……どうかしましたか?」
雨宮さんは怪訝な表情で俺たちを覗き込む。
「ほら、なんだ、さ、さすがにたんぽぽのお茶はねぇ……雨宮さんも飲み慣れないっすよねぇ? って飲んでるし!!」
振り返ると雨宮さんは上品にカップを持ってお茶を飲んでいた。
「え、飲みますよ。たんぽぽ茶とかたんぽぽコーヒーとか普通に売ってるし。ノンカフェインで妊婦に人気なんです。私の家にもありますよ?」
「えあっ!? そうなんすか!?」
「榛名先生、まだまだ妊婦の食生活の勉強が足りませんね」
痛いところをつかれて俺はすごすごと椅子に座り直す。たんぽぽ茶をぐびっと一口飲んだ。あ、マジだうまい。
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