第18話:今夜、白玉フルーツポンチあります
静まり返ったナースステーション。ちらりと時計を見ると21時を少し過ぎていた。
「今日は帰りなね?」
消灯前の巡回を終えた瑞樹さんがまだ病棟に残っている俺に釘を指す。
「……ッす」
瑞樹さんって助産師兼エスパーなんじゃないかと思いながら、俺はしぶしぶロッカー室へと向かった。ナースステーションを出て、暗い廊下を歩いて更衣室に入る。自分に割り当てられたロッカーを開けて私服に着替える。
「……すんすん」
袖を通したグレーのパーカーをおもむろに嗅ぐ。まだ大丈夫だろ。いや、これはアリ寄りのナシってやつか。このパーカーも3日目に突入している。通勤に使っているバックパックには3日分の使用済パンツとシャツがぐしゃぐしゃに詰め込まれている。本当は今晩も泊まり込む予定だったが異臭の苦情が出る前に洗濯しないと瑞樹さんの監視の目が厳しくなることが容易に予想された。やっぱり今日はちゃんと家に帰ろう。
病院の関係者出入口を出て、大通りを歩く。俺が勤める病院はビジネス街に位置することもありこの時間帯は帰宅途中のサラリーマンや飲み会の集団でにぎわっていた。部長、ラーメン食って帰りましょうよ! なんて声が聞こえてきた。
「……甘いもん食いたいなぁ」
お酒よりもラーメンよりも甘いものが食べたい。くたくたに疲れ切った脳と身体にエネルギーと癒しが欲しい。駅に向かって歩いている内にコンビニが見えた。俺の御用達24マート。だけど、うちの近所の店舗が閉店したあの日から一度も行っていない。俺の身体はもうコンビニスイーツじゃ満足できないことは分かってる。分かっては、いるんだ。
「お姉さん、さっきからずーっとここにいるよね。彼氏待ち?」
「あー、でも指輪してるから旦那さん?」
「ちょっとバカ、やめろって! 嫌そうな顔してんじゃんアハハ!」
いかにも酔っ払いの絡み会話が聞こえてきてそちらに目をやる。三人組のサラリーマンに女性が絡まれていた。女一人に大勢でみっともねぇ。嫌悪感丸出しでその集団をじとりと見て、俺は目を見開く。
絡まれている女性は今日の診察に来ていた雨宮さんだった。
「こんなとこいたら寒いよ? 俺らとあったかい店で飲もうよ」
「やめて、ください……」
俺は慌てて彼女に駆け寄る。
「雨宮さん! 大丈夫ですか!?」
「え、え?」
雨宮さんはさらに困惑していた。そうか、俺のこと知らねぇんだもんな。
「あ、えと、俺、恵愛大学病院の産婦人科医です」
雨宮さんに手短に説明して俺は酔っ払いに向き直る。
「すんません。俺、彼女の担当医なんです」
急いでバックパックのサイドポケットから局員カード入りのネックストラップを酔っ払い達に見せる。
「体調が悪くてここで少し休まれていたみたいです。気にかけてくださってありがとうございます。あとは俺が見ますので大丈夫です」
ぺこりと頭を下げると、バツが悪そうに酔っ払い達は去って行った。大学時代、居酒屋でバイトしてたから酔っ払いへの対処法には慣れている。正確には担当医じゃないからちょっと嘘ついちまったけど。
「突然すんません。俺は漆山先生の下についてる研修医なんです」
「あ……ああ、なるほど……だから私のこと知って……」
俺は無言でこくこくと頷いた。そのあとは何も言葉が出てこなかった。
雨宮さん、やっぱり今日もまだ家に帰ってなかったんだ。
「あの……ご自宅はどちらですか? お送りします」
雨宮さんは首と手をぶんぶんと横に振った。
「いえ。大丈夫です。ひとりで帰れますから」
「でも……前も診察の後長い間病院の周辺にいらっしゃいましたよね」
雨宮さんが息を飲んだのが分かった。
「……担当医でもないしただの研修医が余計なこと言ってすんません。でも、患者さんを放っておけないです」
「……家に帰りたくないんです」
はっきりとした声だった。俺は唇をぎゅっと噛む。
「気持ちが落ち着いたらちゃんと帰りますからもう心配しないでください。さっきは助けてくださってありがとうございます」
雨宮さんは小さく頭を下げて踵を返して歩き始めた。
「あの!」
俺は雨宮さんを呼び止める。雨宮さんは立ち止まったが振り返らなかった。
「家に帰りたくないって言うなら!」
通りを歩く人々が俺達を振り返る。喧嘩かぁー? なんてくすくすとした笑い声が聞こえてきた。だけどそんなのどうでもいい。言わずにはいられなかった。どうしてそんな言葉が出たのか自分でも分からなかったけれど、彼女をこのままひとりにしたくなかった。
「甘いものはお好きですか?」
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