第11話:今夜、ロールケーキあります


 叔父さんがうちに遊びに来た日から一か月後のことだった。

 いつものように漆山先生の診察助手をしていた日のことだ。


「おめでとうございます。ご妊娠されていますよ」


 壁越しに漆山先生と瑞樹さんの嬉しそうな声が聞こえてきた。今、診察をしているのは雨宮さんだ。以前、人工授精の結果で妊娠していないと告げられた患者さんだ。


 壁越しに雨宮さんのすすり泣く声が聞こえる。何度も漆山先生にお礼を言っている。俺は胸をなでおろした。カルテには5週目と書かれていた。


「雨宮さん、良かったですね」


 医務室で漆山先生と今日の振り返りを行っている時に俺は雨宮さんの話題を出した。


「そうだね。だけど、大変なのはここからだ」

「えっ?」

「雨宮さんはこれまで2回流産されている。抗リン脂質抗体を患っていらっしゃるから薬物治療は妊娠中も継続して行うし、出産までまだまだいくつもの高いハードルがあるからなぁ」

「雨宮さんは雑誌の編集のお仕事をされていて、それもかなりハードワークみたいですしね。産休ぎりぎりまで働かなきゃいけないとおっしゃっていたことがあったので、その辺りも心配です」


 漆山先生に同調するように助産師の瑞樹さんの顔も決して明るくはなかった。


「…………」


 二人の深刻そうな顔を見て、俺は自分が恥ずかしくなった。

 そうだよ。そうだよな。妊娠や出産はそんな簡単なことじゃないんだ。分かっていたはずなのに、いつもどこか足らない。研修医とはいえ医者の俺がこんな考え方でどうすんだよ。



*********************



 アパートに続く道をとぼとぼと歩く。

 俺はあとどのくらい経てばこんな気持ちで帰宅しないで済む日が来るんだろう。見習いとはいえ、医療の現場に立つようになってもうすぐ二年経つ。なのに、まだ心が学生のまんまだ。俺なりに病気に、患者さんに、医療に向き合ってきたつもりだけど、考えが及ばない。至らない点が多すぎる。


「はぁ……」


 深いため息をついた。情けなくて、なんだかとても寂しい気分だった。


「ため息つくなよ。今夜はロールケーキなんだぞ」


 秘密を打ち明けるかのような囁き声がした。顔をあげると、塀の上からたぬきが俺を見ていた。いや、たぬきじゃない。


「い、一吹くん!?」

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