第8話

 

 次の日の夜、俺はもう一度甘やかし屋を訪れることにした。甘いものがまた食いたいというより、あの女性へおまけのクッキーのお礼が言いたかった。

 猛スピードでカルテを読み込み、レポートも早々に提出、回診準備もテキパキとこなした。

そんな俺を見て漆山先生が「デート?」なんて茶化してきて、「違うっす!」と全否定したが心は何故かドギマギとしていた。


 21時。定時退社とはいかなかったがダッシュで病院を後にして電車に乗り込む。

 店の場所はもう完全に覚えた。問題なのは開いてるかどうかだ。


「はぁ……」


 立て看板は見つからなかった。ひとりで店をやってるから毎日は開けられないって言ってたもんな。こればかりは仕方がない。


 ただ、ひとつ、わからないことがある。


「この路地裏、どうなってんだ……?」


 甘やかし屋が開店している時、立て看板を目印に人が一人通れる幅の路地裏がある。狭いが男の俺が通ってもビルの壁と壁に身体に擦れるということはない。


 だけど、今日はその路地裏がないのだ。ないというか、幅がぎゅっと詰められたみたいに細い隙間になっている。以前、甘やかし屋を探していた時のように、ビルとビルの隙間は人が通るどころか野良猫すら通るのが難しいほど密接し、道が消えているのだ。


 おかしい。さすがにおかしい。


 立て看板こそないが、確かにこの隙間に路地はあった。この先に甘やかし屋はあるはずなんだ。これは一体どういうことなんだ。


 考え込んでいたら、隙間の奥で物音が聞こえた。目を凝らして暗闇の先を見つめる。


「……絶対あいつだ」


 隙間の奥でうごめく黒い塊。暗くて姿形はほとんど見えないが、キラキラと光る点が2つ。きっと目だ。ここでよく遭遇する、あのたぬきだと何故か確信めいた気持ちがわいた。


 黒い塊がひょいっと塀に登ってくれたおかげでその全身を確認することができた。裏側の民家へと入っていく。俺はその後を追うことにした。あいつが甘やかし屋の場所を知っているような気がしたからだ。


 たぬきが降りてった民家へ繋がる道に回る。すると、道路のど真ん中を颯爽と走るたぬきの後ろ姿が見えた。防犯灯と時折通る車のライトに照らされている。俺は走ってその後を追った。



*********************



 運動不足に慢性疲労が溜まった身体に、全力疾走はダメージがでかい。俺はぜえぜえと肩で息をしながら、呼吸が落ち着くのを待つ。一度深呼吸をして顔をあげたら、山の麓が広がっていた。ここは住宅街の外れにある裏山だ。たぬきを追って来たらこんなところまで来てしまった。


「……帰ろ」


 たぬきが甘やかし屋の場所を知っているかもと思ってこんなところまで来てしまったが、そもそもそんなことある訳ない。民家すらない山の麓。疲れすぎて、俺はとうとう頭がおかしくなっちまったのか。明日が久々の休みで良かった。マジでちゃんと休もう。


 来た道を引き返そうとした、その時だった。


「なんだこの香り……」


 どこからか、いい香りがした。油混じりの香ばしい香り。揚げたての天ぷらのような、焼きたてのパンのような、そんな香りだ。俺はくんくんと鼻を動かし、香りを頼りに歩き始めた。


 どれぐらい歩いただろう。もう10分以上は経っている気がする。スマホのライトで足元を照らしながら山の奥へと進み続けた。少し(いや、実は結構)怖かったが、香りがどんどん強くなっているのが分かり、ここまで来たら最後までと足を止めずに歩き続けた。


 すると、奥の林の先に光が見えた。

 家だ。小さいけど、確かに民家だった。俺は足早に歩き続けた。


 近くまでいくと、家は古民家だった。瓦屋根とトタンの壁で出来た小さな家。煙突から煙がもくもくと立ちのぼっている。俺は恐る恐る近づいた。


「かぼちゃ蒸しあがったぜー!」


 人の声が聞こえて、さっと壁づたいに身を隠す。

 やべぇ、俺、これ完全に不法侵入者じゃねぇか。

 しかも、香りに連れられて来たって怪しすぎるだろう。

 見つかったら今度こそお巡りさんのお世話になる羽目になる。


 俺は我に返り、民家から離れて山を降りようとした、その時だった。


「ありがとう! 潰したらこっちの生地に練りこんでくれる?」


 あの人の声だ。甘やかし屋の女性だ。


 俺はきびすを返してもう一度家に近づいた。ガラス窓からそっと中を覗き込んだ。


「ドーナツ生地にかぼちゃを練りこむのか? こんなのはじめてみた」 


「かぼちゃ入りの生地だと揚げるとモチモチになるんだよ。パパのお店でも出してたよ? 一吹くん、覚えてない?」


「レシピまでは知らなかったからさ」


 ガタガタガタッ!!!!


「なにっ!?」


「あっ!!」


 甘やかし屋が扉をあけて、腰が抜けてその場にへたり込んだ俺を見つめる。


「「どうして……!」」


同じ言葉をお互い同時に発した。

甘やかし屋が言葉に詰まっている間に俺はわなわなと口を震わせながら、叫んだ。


「どうして……どうして……たぬきが喋ってんだよ!!!!???」


 甘やかし屋の後ろであのたぬきが俺を見つめていた。生クリームを泡立てながら。頭には三角巾までつけて。

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