第5話


 電車に揺られながらスマホを見ると、まだ夜の21時だった。

 こんなに早く帰れるなんていつぶりだろう。なんせ指導医と昼飯を一緒に食える余裕があるような日だったから、今日は本当に落ち着いていた。


 アパートの最寄り駅に到着し、足早に歩く。目的地は自宅じゃない。あのプリン屋にもう一度立ち寄りたかった。もう一度あのプリンが食いたい。今日は4つ買おう、4つ買っても200円だもんな、と一人ごちながら夜道を早歩きで進む。


「おかしいなぁ……」


 閉店したコンビニの周辺をうろうろと歩く。確かコンビニのすぐ傍の路地裏の店だったはずだ。それなのに、あの店の立て看板どころか、路地すら見当たらない。目の前のビルとビルの隙間は人が通るどころか野良猫すら通るのが難しいほど密接し、路地などなかった。あの日は深夜だったから、道が暗くて場所を勘違いしたのだろうか。


 いや、でも、確かにこの閉店したコンビニのすぐ傍だったはずだ。歩き回った記憶はない。おかしいな。もう一度この辺歩いてみるか。


「君、さっきから何してるんだ?」

 

 軽い怒気をはらんだ声に驚き振り向くと、俺の後ろにお巡りさんが立っていた。


「さっきからずっとこの辺をうろうろしているよね。ちょっと、話聞かせて貰ってもいい?」

「えっ? いや、怪しいことは何も……!」


 やばい、完全に不審者だと思われている。


「身分証明書出して」


 勘弁してくれよ! 研修医だってわかったら、これ病院に連絡されるんじゃねぇか!? どうしよう……!

 

 その時、お巡りさんの足元を黒い塊が横切った。


「うわっ!」


 お巡りさんが片足をあげて飛び上がる。

 黒い塊は電柱の陰に隠れた。電柱の防犯灯は切れかかり、灯りが無作為に点滅しているせいか、黒い塊の正体が何かは分からない。


 ――俺以外は。


「ク、クロ! クロか!?」


 俺はとっさに黒い塊に声を掛けた。黒い塊は間を置いて「きゅーん」と鳴いた。


「す、すみません! うちの猫が迷子になっちゃって探してたんです! クロ……お前こんなところにいたのかよぉ」

「猫……?」


 お巡りさんは訝し気に俺の顔と黒い塊を交互に見た。黒い塊はまた「きゅーん」と鳴いた。猫です、猫。この鳴き声は猫なんですって!と、俺はお巡りさんに目で訴えた。


「随分変わった鳴き声だが……まぁいい。それならそうと早く言いなさい。全く」


 お巡りさんは俺から離れ、自転車に乗って立ち去って行った。


「はぁ……」


 安心したらどっと力が抜けた。黒い塊は、そろそろと電柱の陰から出てきた。

 やっぱりそうだ。この間、あのプリン屋で見かけた、たぬきだった。


「助かったよ」


 俺はたぬきに礼を言った。たぬきはじっと俺の顔を見たまま動かない。今度は鳴きもしなかった。


「なぁ、あのプリン屋の場所知らないか? 確かこの辺りだったよな?」


 俺はたぬきに尋ねてみた。さっきのお巡りさんが戻ってきたら完全アウトな行動だ。たぬきは微動だにせず、ただじっと俺の顔を見つめたままだった。


「まぁ、いいや。帰って調べてみるか」

 

 店の場所ならネットで検索した方が早いだろうと思い直し、今日はおとなしく家に帰ることにした。


「じゃあな」

 

 たぬきに別れを告げて俺は自宅へ帰ることにした。



*********************


「やっぱおかしいなぁ……」

 

 ソファでアイスを食いながらスマホで何度も検索し直す。この辺りの住所とプリン専門店というキーワードを入力して検索してみたがあの店の情報に繋がらなかった。キーワードを変えて試してみたが結果は同じ。あの店の情報にヒットしない。


「もしかして、閉店したのか……?」

 

 あの日、それほど長居をした訳ではないが俺が店を訪れた時、他に客はいなかった。ショーケースに並べられたプリンは6個以上は並んでいたと思う。深夜0時を回り、わざわざプリンを買いに行く時間でもない。しかも1個50円という低価格。あの店が賃貸なのか持ちビルなのかは知らないが、どちらにせよ採算がとれなくて当然だろう。


「なんだよ……」


 そうと決まった訳ではないのに心の底からがっかりした。


「もう一度食べたかったなぁ」

 

 食い切ったアイスの棒をガジガジとかじる。

 アイスじゃ満たされない。俺の甘いものへの欲求は余計に募るばかりだった。

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