第4話
「榛名くん、何かいいことあった?」
指導医の漆山先生と一緒にお昼を食べていたら突然質問された。
「へっ? 何でですか?」
「いや、最近の回診、患者さん達のカルテちゃんと読み込んで来てるなぁって感じてさ。あと、勉強会でも熱心に質問してたって講師を勤めた先生が褒めてたよ」
「いいことってほどでもないんすけど……」
もごもごと口ごもる。うまいプリン食ったからっす、なんて恥ずかしくて言えねぇ。
でも、実際に自分でも不思議だった。
プリンを食べたあの夜は2時間しか寝てないのに、目覚めはスッキリ。8時間ぐらいぶっ通しで寝たような感覚だった。慢性的に疲れていたはずが頭が冴えてやる気に満ちていた。夜の勉強会の後は当直だったため再び仕事に戻ったが、いつもはグロッキー状態なのに体力があり余っているような感覚さえあった。
「もしかして恋人ができたとか?」
「んな時間どこにあるんすか!」
思わず指導医に突っ込んでしまった。漆山先生は「わはは! そりゃそうか!」と笑ってくれてホッとした。俺は目上の人への喋り方がなってないって、外科の先生にこっぴどく怒られたことがあったからちょっと焦った。
研修医になって2年になる。内科、外科、麻酔科と一通り回り、現在は産婦人科に所属している。
ひとえに産婦人科と言っても、病院に来る人たちは様々だ。患者さんは全員女性だが、本当に色んな人が病院にかかっている。
出産を控えた人、妊娠を希望している人、女性特有の病気を抱えている人。
男の俺(ましてや彼女すらいない独身野郎)には、産婦人科は未知の世界だった。
研修医も2年経てば、少し余裕が出てきたと思っていたが、勘違いも甚だしく、産婦人科に来てから全て打ち砕かれた。
ここは非常にハードで、過酷な科だ。配属になってから、俺はかなり神経をすり減らしていた。病気を扱う以上、他の科でも真剣に業務に取り組んでいたが産婦人科はその何倍も緊張感がある。
恥ずかしい話だが、研修医として配属されてから初めて知ったことが多かった。
例えば、入院している妊婦さんは残念なことだが必ずしも全員が元気な赤ちゃんを出産できる人たちばかりではない。
入院ひとつとってもそうだ。まだ赤ちゃんが生まれる週数ではない妊婦さんが入院しているということは、いつ最悪な事態が起きてもおかしくないということを、この科に配属されて身をもって知った。その非常事態に備えて医師や看護師たちは常に患者さんをチェックしている。
他にも妊娠中の女性と不妊治療中の女性がバッティングしないよう受診日を分けたり、経済困難や、持病があるハイリスクの妊婦さんには院内のソーシャルワーカーと連携して支援計画を立てたり、様々なケアが必要だ。
妊婦さんのお腹の中にはもう一つの命が宿っている。守るべき小さな、本当に小さな命。その命を守るためにもお母さんになる女性を最大限守る。
正直、そのプレッシャーは俺にとっては半端じゃなかった。
今、指導を受けている漆山先生は大らかで優しく、患者さんからも厚い信頼を得ている先生だ。過酷な科ではあるが、指導医がアタリなことは救いだった。
「まだもう少し先の話だけどさ」
漆山先生は出前で頼んだ天ぷらそばをすすりながら俺に尋ねた。
「この研修が終わったら最終的にはどの科にしようかな~とか、考えてたりするんの?」
ぎくりとした。漆山先生が何を聞きたがっているか、分かったからだ。
産婦人科は、やりがいは、ある。産婦人科医になることは俺の母さんの希望でもある。
お産に立ち会った時は毎回感動するし(赤の他人の癖に未だに泣いちまう)、妊娠が分かった時の患者さんの嬉しそうな顔を見ると、こちらも嬉しくなる。
ただ、やりがいだけで続けて行けるかというと、正直微妙なところだった。
知りたくないことまで知らなきゃいけないのが、この科の辛いところでもあった。さっきも言ったが、元気に生まれてくる赤ちゃんばかりではない。その現実を、どう自分の中で受け止めて医療に従事ずるべきか悩むんだ。気持ちの整理が付かないことが多いのだ。
俺が答えられないでいると、「まあ、まだ分かんないよな」と、漆山先生は笑ってはぐらかしてくれた。
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