第2話

 たぬきは俺と目が合うや、開いたドアの隙間から一目散に逃げて行った。


「うわっ!」


 驚いて思わず大きな声を出すと、俺の声に気づいて奥からエプロン姿の女性が出てきた。


「いらっしゃい……ませ?」


 なんで疑問形なんだと思ったが、突然怪しい男が来たと怯えさせてしまったのかもしれない。

 俺はドアを閉めて店の中に入り、ショーケースに目をやる。客です、怪しい者じゃありませんと女性へ無言でアピールした。

 

 ショーケースにはプリンが並べられていた。というか、プリンオンリーだ。最近ではプリン専門店もあるぐらいだし、そういう類の店なのだろう。


 グリーンの大皿にちょこんと並べられたプリンは蓋の部分がチェック柄の紙でラッピングされていた。商品はプリンだけなので品揃えとしては少し寂しかったが、ウサギやリスといった動物のソフビ人形が飾られている。

 

 俺がコンビニでよく買っていたプリンとは違い、ディスプレイもラッピングも工夫が凝らしてあり、その可愛さに顔が自然と綻んだ。我ながら、さっきまで閉店したコンビニ前で絶望していた男とは思えない。プリンごときでこの一喜一憂っぷり。自分が少し情けなくなった。


「赤と白のチェック柄がバニラ味、緑と茶色のチェック柄はチョコレート味です」


 店員の女性に声を掛けられ、自分が随分長い間プリンを見つめたままであることに気づいた。


「あ、じゃあバニラとチョコを一つずつください」

 

 慌てて注文する。さっさと買って店を出て家へと帰ろう。

 

「お会計は100円です」

「えっ!?」


 値段を聞いて思わず声を上げる。あまりにも安くねぇか? 確かにディスプレイには値札も商品名もなかったのは気になったが、さすがにそんな低価格とは思わなかった。


「えっ?」


 女性はきょとんとしていた。


「あ、いや……めちゃくちゃ安いなと思って。100円って、一個50円ってことでしょ? しかも税込みですよね」

「安いですか?」

「……と、思いますけど。コンビニのやつより安いから」


 最近のコンビニスイーツは有名パティシエが監修したものや高級食材を使うなど創意工夫が施されて専門店並みの味ではある。

 ただ、やはり大量生産可能な分、値段は専門店よりもお手ごろだ(それでも俺には最近高いと感じるものもあるが)。それと比較してもさすがに一個50円はないだろう。普通のスーパーでもそうお目にかからない値段だ。


「そっか……そうなんですね」

「……?」


 まぁ別に変なもんが入ってなけりゃ買う側からしたら安くて悪いことはない。大学進学、しかもただでさえバカ高い医学部に進学して莫大な奨学金の返済を抱えている俺には激安は正直ありがたい。

 俺はそれ以上は追求せず、素直に100円玉をトレイに乗せた。女性からプリンの入った箱を受け取り店を出た。


「あ、ありがとうございました!」


 女性の戸惑い交じりの声色に「驚かしてすんません」と思いながら、俺は軽く頭を下げた。


 路地裏を歩き、再び大通りへ出る。振り返って店のドアを見つめる。ステンドグラスの窓からぼんやりとしたオレンジ色の光が浮かんでいた。


 あの店、一体いつ出来たのだろう。


 こんな夜中にプリンを売ってる店なんて、いくら人通りがない時間といっても気づきそうなものだが、今日まで全く気がつかなかった。いつもコンビニで買い物を終えたら少しでも早く家に帰りたくてどこにも立ち寄らずにいたし、疲れ切っててぼんやりしていたから目に入らなかったのかもしれない。

 

 ふと、足元に黒い塊が横切った。さっきのたぬきだった。猫みたいに電柱に隠れて、こちらをじっと見ていた。


「うまいのかよ、あそこのプリン」


 たぬきに向かって話しかける。頭の片隅で俺は何をやってるんだと思うが、疲れ切っていたから仕方がない。正常な判断が、行動がとれなかった。


 たぬきは俺をじっと見つめ、「きゅーん」と意外にもかわいい声で鳴いた。

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