第9話 くぅ

 春の初め頃のこと。

 気づけば、足元にフワフワとした綿のようなものが浮かんでいた。最初はタンポポの綿毛程度の小さなもの。それが、知らない内に綿あめくらいの大きさになり、今では傘くらいの大きさになって頭上に浮かんでいる。大きくなるにつれ、浮かぶ高さも高くなっていくようだった。

 触っても、触れた感覚は無い。強いて言えば、微かな湿気を感じる程度。まるで雲のようだった。


 このまま高くなり続けてしまえば、他の雲との見分けがつかなくなってしまう。

 そう思い、まだ手が届く内にと、試しに青いマジックでフワフワの端に色を付けてみた。もしかしたら無理かもしれないと思ったが、無事色を付けることができた。感情がある生き物なのかどうかは分からなかったが、ピョンピョンと飛び跳ねて、嬉しそうに見える。

 そうなると、こちらも悪い気はしない。

 くぅ、と名付けた。

 呼んでみるとくぅはまた、ピョンピョンと飛び跳ねた。


 ペットのようで、そうではない。

 くぅには餌となるようなものは一切与えていないし、散歩にあたるようなこともしていない。

 なにより、くぅは他の人にはどうやら見えていないらしい。端に色づけた青い色以外は。

 時折


「あれっ?なんか今、青い色が見えたような……」


 などと、狐につままれたような顔をした人に声を掛けられるが、気のせいだとやんわりと話を流した。

 どんどんとその大きさを増し続けるくぅは、もはやベッドよりも大きい。普段は結構な高さに浮かんでいるのだが、時折下まで降りてきては、体の周りにまとわり付く。眼の前が霞んで見えづらくなるので少し困りものだったが、同時に愛情のような擽ったさも覚えていた。


 夏の終わり頃のことだった。

 勢力の強い巨大な台風が近づいてきていると、気象予報士がテレビで伝えていた。これまでにない災害が予想されるため、充分に気をつけるようにと。その台風は、まっすぐにこちらに向かっているようだった。

 いよいよ台風が直撃するだろうと予想されている前日。

 くぅは家の中からハミ出しながらも、体の周りに纏わりつくようにじゃれてきた。くぅにも、この危険な台風がわかるのだろうか、怖くて空から降りてきたのだろうかと、その夜は久しぶりにくぅと共に一夜を過ごした。もう、相当な大きさになっていたくぅが下まで降りてきて長い時間を過ごすことは、稀だったのだ。


「怖いか、くぅ。でも、ここにいればきっと大丈夫だ」


 言葉に反応するかのように、くぅは体をくねらせる。

 どんなに大きくなっても、端についた青い色が落ちることはなく、目の端でユラユラと揺れていた。


 翌日。

 目覚めるとくぅはの姿はなかった。

 そして、気象予報士は驚くべきニュースを伝えていた。あの、勢力の強い巨大な台風が、突如として姿を消したというのだ。

 テレビでは、識者達が集まり、それぞれの考えを述べている。

 その後ろ。

 モニターの中に、くぅの姿を見つけた。

 くぅが、巨大な台風を食らっている姿を。

 台風を食らったくぅは、そのまま次第に薄くなり、姿を消した。


 端についた青い色が、手を振るようにユラユラと揺れて、消えた。


【終】

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