禁じられた旋律 9/異変

 翡翠島の研究所内部は、目の前の戦場と変わらぬほどの混乱に包まれていた。

 職員たちは研究資料や貴重な装備を抱え、時には怒号を上げながら、必死に自身の研究成果を持ち出そうとしていた。

 地上の一階で、倫道たち特務魔道部隊の5人は、混乱を鎮めつつ避難誘導を進めていたが、職員たちはなかなか素直に従おうとしなかった。


「チッ! 予想はできていたが――」


 清十郎が状況に舌打ちする傍らで、久重は誘導を続ける。

 

「おい! 早く逃げてくれ! そんなものは置いて――」

「そんなものとは何だ! 邪魔だ! どけ!」


 しかし、研究員たちは聞く耳を持たない。

 それでも倫道たちは大声を張り上げ、必死に避難を呼びかけていると、先ほど柳田と挨拶を交わしていた警備隊の隊長、中山少佐が彼らに声をかけた。


「貴様らはここで何をしている?」


「何をしている? 見ればわかるだろう」と倫道や久重は言い返したかったが、皆を代表して清十郎が冷静に返す。


「我々は柳田副長より、研究所職員の避難誘導を命じられました。その任務を遂行しております」

「そんな事は我々が行う! 貴様らは外に出て敵と戦え! 魔道兵だろう!」


 先ほど見せていた冷静な態度から一変し、中山は苛立ちを露わにした。

 顔を赤らめ、恰幅の良い体を震わせて怒鳴りつける。しかし、清十郎は至って冷静に言い返した。


「閣下、周囲を見渡せば、警備兵の数が不足しているのは明白です。それに、先ほど我々特務魔道部隊の柳田副長より、指揮権の移譲が宣言されました。ですので、閣下の命令に従うことはできません」

「少尉ごときが、この私より上だというのか⁈」

「我々の司令は御堂雄一郎少将であります。柳田副長はその代理。また戦場における特務魔道部隊の権限をお忘れでしょうか?」

「ぐっ…… ぎぎぎぎっ……」


 感情を表に出さず、淡々と事実を述べる清十郎に、中山少佐は歯噛みした。

 特務魔道部隊は、戦場において独立、もしくは独断で作戦行動を取ることを許されている。

 また、魔道部隊ではない一般部隊に対しては、特定の条件を除いて指揮権を持つことが許されていた。

 それは、彼らの魔法力が戦場の優劣を決める一手となるからである。


「流石ね……」

「ああ、あいつに口喧嘩で勝てるとは思わねぇな」

「同意だ……」


 五十鈴、久重、倫道は、上官をやり込めている清十郎に対し、心の中で拍手を送った。


「もういい! 分かった!」

「ご納得いただけて恐縮です」

「では、貴様らには上階の職員を誘導してもらう! くれぐれも研究資料などには手を触れるな!」

「承知しました」


 清十郎が中山少佐に敬礼し、素早く振り返ると、ニヤリと笑みを浮かべた。


「よし、行くぞ!」

「おおよ!」

「五十鈴! 後を頼む!」

「任せておいて」


 清十郎を先頭に久重、倫道、龍士が駆け出すと、中山少佐の前に五十鈴が歩み出る。


「何だ貴様は?」

「私は負傷者が出ている場合の救護に備え、こちらで待機いたします」

「ふん! そうか―― おい! お前ら! 何処へ行く!」


 中山少佐が激昂しながら大声で叫ぶ。

 倫道たちの向かった先は、上階へ続く階段を通り過ぎ、地下へと繋がる階段だったのだ。


「貴様ら! 地下へは行くな! 上階といったことが聞こえなかったのか⁈ おい――」


 駆け出そうとする中山の前に、五十鈴は素早く体を割り込ませ、進路を遮った。


「邪魔だ小娘! どけ――っ?」


 五十鈴の3倍はあろうかという巨体で体当たりを試みたが、五十鈴はびくともしなかった。

 彼女は既に魔法を唱え終え、身体強化を行っていたのだ。

 慌てふためく中山へ、冷たく鋭い殺気が放たれる。


「閣下、先ほどのお話をもうお忘れですか? 我々特務魔道部隊は、閣下の命令では動きません。また、任務を妨害するのなら――」


 後ろに組んでいた手は、いつの間にか腰に下げた剣のつかに伸びており、いつでも抜刀できる体制で目の前の男に殺意を向ける。


「ヒィィイイ!」


 目の前の少女からは想像もつかないほどの気迫に押され、中山少佐は尻餅をつき後ずさる。

 五十鈴は殺気を霧散させると、柄から手を離し、ため息混じりに心の中で呟いた。

 

(まったく…… なんで女の私がこんな役回りなのよ……)


    ◇

 

「まんまと乗っかってくれたな! 流石だ、清十郎」

「ああ、俺もこんなに上手く行くとは思わなかった」


 俺は先頭の清十郎に思わず賞賛の声をかける。


「ああ、流石だぜ! まさに適役だったな。口先だけは達者だもんな!」

「堂上…… 貴様……」


 横を走る久重が、煽るように清十郎に声をかけるが、多分、褒めているんだろうと心の中で笑う。

 

「ははは、お前ら気を引き締めろよ。ほら、地下に続く階段だ」

神室おまえに言われたくはない!」


 地下へ向かって走る俺たちは、警備隊の隊長である中山少佐から言われた事と、あえて正反対の行動を取った。

 これは全て、柳田副長の指示によるものだった。

 研究所へ突入する前、俺は柳田副長にヘッドロックの様な形で掴まれ耳元で囁かれた。


「いいか神室。これから俺とお前らは別行動になるかもしれん。これだけは覚えておけ。俺たち特務魔道部隊の人間以外は、全て敵だと思え」

「えっ⁈」

「黙って聞け」


 ごつんと俺の額を拳で軽く殴った柳田副長は、さらに続けた。


「この研究所は曰く付きでな…… 元々俺たちの調査対象に入っていた施設なんだ」


 ゴクリと唾を飲み込み、真剣に耳を傾ける。


「詳しい事は後で話す…… 要は守るべき場所ではあるが、油断はしちゃならねぇ。いいか、警備兵や研究員の言ったことを鵜呑みにするな。そうだな…… 奴らが言ったことは全て反対だと思え」

「反対ですか……」

「そうだ。この島の奴らは、外部の人間を入れたがらないだろう。俺たちは特にな」

「だから反対ですか?」

「そうだ、俺たちに見せたくないものからは、遠ざけるはずだからな」

「なるほど……」

「そしてお前らは、その『見せたくないもの』を見つけて来い! 分かったな!」


 こんなやり取りがあり、俺は皆に前もって伝えていたのだった。


「くくっ――」


 久重が思い出したように笑った。


「どうした?」

「いやなに。清十郎が適役だったって話だけどよ。もっと適役がいたもんだと思ってな」


 久重が何を言いたいのか分かり、俺は苦笑した。


「おい久重、五十鈴に怒られるぞ」

「俺は誰とも言ってねーぜ。ははは!」


 上官の盾に女性を置いていくなど、普通は考えられない。

 でも、五十鈴なら…… と思ってしまう自分が情けなかった。

 それにしても、五十鈴にデルグレーネさん、カタリーナさんと、俺の周りには強い女性が多いものだ。


「だが、十条が後ろに控えていてくれると思えば悪くない」


 珍しく清十郎が微笑を浮かべ、仲間を称えた。

 そんな些細なことが嬉しく、任務中だということも忘れて心が躍った。


「そうだな。なあ、龍士もそう思うだろ?」

「…………」

「……龍士」

「ん? ああ…… そうだね」


 俺はこの時になって初めて、龍士の様子がおかしいことに気がついた。

 ――いや、そうじゃない。今なんかじゃない。もっと前だ。

 数日間の休暇を経て再会した時から、口数も減り、彼の柔らかい笑みを見ることも少なくなっていた。

 そして、この作戦を聞かされてから、龍士の態度はさらに不自然さを増したのだ。

 

 俺は、気弱な龍士の印象のまま、「いつも通りだ」と、あえて気にしないようにしていた。

 気の弱い龍士だ。

 特務魔道部隊への正式な配置。そして、実戦へ赴くことへの恐怖が、彼をナーバスにしているのだと。

 

 でも、そうじゃない。

 今一緒に走る龍士の横顔は、普段の彼からは想像もできないほど険しい表情を浮かべている。

 茶色い前髪の奥で光る瞳は、思い詰めたように怪しく光っている。

 口数も少ない方だが、これほどまでに話さないことはない。

 いつもは茶々を入れる久重などのフォローもする、気の利く男だ。それが上の空で、心ここにあらずといった様子だった。


 は実戦へ出る恐怖や不安で、自分のことしか考えられず、横にいた仲間の変化に目を瞑っていたのだ。


「龍士。何かあったのか?」

「別に…… さあ地下に着いたよ」

「ああ……」


 俺は後になって、この時にちゃんと話をしなかったことを、深く後悔することになった。

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