禁じられた旋律 8/信頼

「いつつつ…… なんつー突入方法だ……」


 地面に背中から叩きつけられた久重は、軍服にへばりついた土を払いながら呻いた。

 同じく着地に失敗した倫道、五十鈴、清十郎、龍士も、よろめきながらもすぐに立ち上がり、自身の装備に異常がないかを確認する。

 久重の言葉に同意するように苦笑いを浮かべたものの、彼らの表情はすぐに引き締まった。

 肌を刺すような緊張感が、先ほどまでとは全く異なる次元へと高まっていくのを感じ取っていた。


 絶え間なく炸裂する銃声が鼓膜を震わせ、腹に響く爆発音が大地を揺らす。

 肌を焦がすような熱風が吹き荒れる。

 初めて経験する本物の戦場。

 アルカナ・シャドウズとの戦いは、自分たちの基地内という限られた空間であり、敵の数も異なっていた。

 あたり一帯を覆う熱量と、張り詰めた空気の規模は、これまで経験したものとは比較にならない。

 倫道たちは、否応なく自分たちが本物の戦場に足を踏み入れたことを、五感を通して強烈に認識した。

 

(それにしても凄い魔法だったな……)


 倫道は、空中でデルグレーネが放った【ゲヘナ・フレイム】の光景を脳裏に蘇らせた。

 特訓を経て、自身の魔法の威力も確かに向上したと実感している。しかし、デルグレーネとの圧倒的な火力の差を目の当たりにし、改めてその力の差を痛感させられた。


 自身の右手をじっと見つめていると、柳田が警備兵と話している声が耳に入ってきた。

 思わず聞き耳を立てる。


「我々は大日帝国特務魔道部隊。俺は副長の柳田少尉だ」

「同じく特務魔道部隊、東雲しののめ少尉」


 数人の警備兵からは、驚きの声と共に「おお! 魔道部隊の風神が来てくれた!」などと歓喜の声が上がる。

 その中で1人、中年の指揮官らしき男が柳田の前へと歩み出た。


「翡翠島研究所警備隊、隊長の中山少佐である。危険を顧みずの援軍、感謝する」


 その男は、兵士というよりはむしろ豪商といった風貌で、恰幅の良い体格をしていた。

 身長は柳田より10センチほど低いが、体重は倍近くありそうだ。しかし、その奥まった双眸には鋭い光が宿り、敵意ともとれる強い感情が渦巻いていた。

 敵に包囲され、劣勢を強いられている軍の指揮官として、心中穏やかでないのは当然だろう。

 応援に駆け付けた者たちへ向ける視線としては、確かに異質だったが、その口調はあくまで冷静を保っていた。


 柳田と東雲は中山少佐へ敬礼を返すと、間髪入れずに本題を切り出した。


「現在の状況は?」

「明け方前から奇襲を受け、島の護衛艦は沈黙。数カ所からの上陸を確認している。研究所前での戦闘はおよそ30分ほど前から」

「研究所の職員は?」

「想定以上の戦力に、この研究所の防衛から研究員の避難を最優先とし作戦を切り替えた。現在、研究所職員の大半は外のシェルターへ避難を終えている」

 

 柳田は背後にあるであろうシェルターへちらりと視線を走らせると、中山少佐は報告を続けた。


「いま研究所内にいるのは大半が上級職員たちだ。各々が研究資料の持ち出し、および破棄をしている」

「まあ、そうでしょうね」


 柳田は攻撃を続ける敵部隊を一瞥し、再び研究所を見上げた。

 倫道たちも思わずその視線を追う。


「敵さんに研究資料を持っていかれる訳にはいかいっすからね。最悪、ここは放棄。火を放って全て焼き払う算段っすか?」


 柳田の言葉に、中山少佐は「チッ!」と小さく舌打ちをし、重々しく頷いた。

 それは防衛任務の失敗、そして敵軍による翡翠島占領を意味していた。

 

「そうだ……」


 しかし、悲壮感に覆われた中山の表情に、微かな希望の光が灯った。

 

「だが、それは本当の意味で最後の手段だ。先ほど本島の司令部より連絡があった。陸上部隊を腹に積んだ艦隊がこちらに向かっている。あと4時間ほどで当海域に到着予定だ」


 柳田は中山の表情から状況を察し、「なるほど」と小さく呟いた。

 つまり、あと数時間耐え抜けば事態は一変するということだ。


(4時間か…… 聞いていたよりは早いな…… だけど俺たちだけで、あの兵力差を……)

 

 柳田は腕時計に目を落とすと、こめかみから一筋の冷たい汗が伝い落ちるのを感じた。

 上空から見た敵艦の数を思い出す。

 今、正門前で攻撃を繰り返している部隊は、ほんの一部に過ぎない。

 時間が経つにつれ、圧倒的な兵力差がより鮮明になるだろう。


 厳しい現状を突きつけられた柳田は、腕時計から視線を上げ、中山少佐の方へ向き直る。

 その途中、倫道ら特務部隊の面々、そしてその後ろに控える多くの警備兵たちの表情が目に飛び込んできた。


(馬鹿野郎! ここで俺たちが不安な顔をしてどうする。士気に関わるじゃねぇか!)


 柳田は心の中で自分を叱咤した。

 その時、東雲の大きくごつごつとした手が、彼の肩を力強く掴む。

 東雲が何を伝えたいのか、すぐに理解できた。


(わーってますよ東雲シノさん)


 柳田は静かに息を吐き出すと、姿勢を正し、特務魔道部隊副長としての威厳を込めた力強い声を響かせた。


「よーし! 俺たちのやる事はただ一つ! 目の前の敵を打ち砕き、この島に来た事を後悔させてやる! 4時間! 4時間だ! 俺たちは誰も死なねぇ! そして誰も殺させはしねぇ! 分かったな!」

「「「おお――!」」」


 柳田の言葉は、特務魔道部隊の隊員たちの感情を一気に昂らせ、士気を最高潮にまで高めた。

 その様子を見守っていた警備兵たちにも、勇気にも似た熱い感情が伝播していく。


「現時点をもって翡翠島防衛任務の指揮権は我々特務魔道部隊に移譲された。この後すぐに俺たちの隊長が残りの部隊を引き連れて到着する! 警備兵のみんなも耐えてくれ!」

「「「おおおおお――!」」」

 

 この場にいる全ての者が銃を天に掲げ、喉が張り裂けんばかりの雄叫びを上げた。

 先ほどまで漂っていた重苦しい空気は完全に一掃され、取って代わって極度の興奮状態が彼らを支配した。

 柳田の言葉は、目前に迫る『死』の恐怖を、『希望』へと見事に塗り替えたのだ。


「ふん、成長したな、柳田ナギ


 後ろに控えていた東雲が、大きな拳で柳田の胸のあたりを軽く叩くと、柳田は少し照れたような笑みを返した。

 

「それじゃぁ、東雲シノさんは正門の警備隊に合流してもらえますか?」

「了解した! 柳田ナギ、お前は?」

「俺は彼女たちと遊撃に回ります」

「ふむ。では、手筈はいつも通りだな」

「はい。 山崎隊長ヤマさんが合図してくれたら――」

「分かった。くれぐれも無茶はするなよ」

「シノさんこそ!」


 2人は軽く拳を合わせると、すぐに振り返り、それぞれの任務へと向かった。

 東雲は第2分隊を引き連れて駆け出し、柳田は数度視線を彷徨わせた後、探し求めていた人物たちを見つけた。


「っと―― カタリーナリーナさ〜ん、デルグレーネレーネさ〜ん」

 

 少し後方に控え、状況を静観していたカタリーナとデルグレーネを手招きで呼ぶと、彼女たちはすぐに小走りで近寄ってきた。


「俺とカタリーナさん、デルグレーネさんは、正門を攻撃している敵さんを相手に打って出ます。同行してもらえますか?」


 カタリーナは顎に手を当て「ふむ」と逡巡しゅんじゅんすると笑顔で答える。


「OK! 妥当な判断ね。後から到着する山崎隊長たちと挟撃する、といった感じかしら? どうせ貴方たちもそれを狙っているのでしょ?」

「もちろん! んで、レーネさんは……」

「り…… 彼らは?」


 デルグレーネは、柳田の後方に視線を飛ばし、5人の若者を見つめる。

 

「あいつらは研究所内に入り、職員の誘導をさせます。それと……」

「それと?」


 柳田は周囲をさっと見回すと、内緒話をするように二人に耳を寄せさせた。


「お二人も勘付いているでしょうが、ここは特殊な研究所です。まあ、うちの大将の政敵でもある人間の息のかかった施設なんですよ」

「御堂司令の」

「そう。そして俺たちの調査対象でもある場所の一つです。何かヤバい事してんじゃないかってね。その証拠を手に入れる」

「なるほど……」


 デルグレーネとカタリーナは顔を見合わせ、軽く頷いた。


「でも、私たちにそんな話していいの?」

 

 カタリーナが珍しく真剣な眼差しを向けると、彼は苦笑いを浮かべながらも、鋭い視線で返す。


「アンタたちも何か掴んでるんでしょ? それに……」

「それに?」

「俺はお二人の事はしてますから」

「ふふふ、信頼…… ね」


 互いの視線が交差し、数秒の沈黙。

 

「OK! では、その信頼に応えましょう!」

 

 カタリーナは薄い水色の瞳を三日月形に細め、花が咲いたように微笑む。

 デルグレーネも黙って頷き、ちらりと倫道の方を見た。


(弾の飛び交う前線より、後方にいる方が倫道たちには安全…… 私が……)

 

 2人の同意を得た柳田は、後ろを振り返り、部下たちに命令を下した。


「神室、十条、堂神、阿部、氷川の5名は研究所に入り、シェルターへ職員の誘導だ。誰も置いて行かないよう注意しろ!」

「「「「はい!」」」」

「研究者は資料に執着するからな。言う事を聞かない時は、殴ってでも連れ出せ」


 ずいぶんと乱暴な物言いだが、倫道たちの頭の中には沢渡の姿が浮かんでいた。

 彼女なら、命の危険よりも実験データや試作品などに執着するだろうと容易に想像できた。


「安倍と堂上、神室と氷川がペアになって行動。十条は怪我人がいるかもしれないので、地上入り口付近に待機。シェルターへ誘導しろ! よし! それでは行動開始!」

「「「了解!」」」

 

 柳田の号令で、倫道たちはコンクリートの箱のような不気味な研究所内へと突入していった。

 駆け出す彼らの背中を見送りながら、柳田は獰猛な笑みを浮かべた。


「さあ! 行きまっせ!」

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