みえない糸に導かれて 3/十条五十鈴

 朝から心地よい風が吹き、夏の暑さが残る中にも、少しづつ色づく紅葉が秋の訪れを感じさせる日曜日。

 倫道、デルグレーネ、五十鈴、そして久重の4人は、自宅近くにある観光地としても有名な鶴ヶ谷八幡宮へと出かけた。


「すごく…… 綺麗……」

 

 快晴の天気の下、人も多く賑わう参道。

 キラキラと金色の瞳を輝かせ、デルグレーネが感嘆の声を上げる。

 眼前に広がる光景。年代を感じさせつつ、荘厳にそびえ立つ大神社とその周囲を取り囲む緑豊かな森。

 かつての都であった栄華を思わせる古都の風情が漂っていた。

 大路は観光客で賑わい、その多くは土産物屋で楽しげに商品を覗き、甘味処で休憩のお茶を啜っている。


 喧騒を抜け境内に入ると、神聖な空気が彼らの言葉をしばし失わせた。

 木々の間から差し込む日差し、静かに流れる風、そして周囲を包む自然の音。


「そう言ってもらえると嬉しいです」


 シャリシャリと玉砂利が心地良い音を奏でる参道を歩きながら、倫道がどこか誇らしげに胸を張ると、久重も御社殿ごしゃでんを見上げながら頷く。


「小さい時から見てるけど、相変わらずでっけえな。ね、レーネさん、言った通りすごいでしょ」

「うん、すごく大きな建物。それに木彫りの彫刻も綺麗で……」


 社殿の前で言葉を途中で止めると、見上げる視線はどこか懐かしそうに遠くを見ていた。


「レーネさん……?」

「えっ⁈ あ、ごめん。ちょっと昔を思い出して」

「昔の事ですか?」

「うん…… 私の故郷。父は村の大工だったの。よく仕事の手伝いに行ったなって思い出しちゃって。この立派な建物とは全然違うんだけど、なぜだか…… ね」

「へぇ〜、レーネさんも手伝ったんですか?」

「うん、こう見えても結構得意。あの高い所での作業も問題ない」

「マジっすか⁈ 結構高いっすよ」


 驚く久重と同じく感嘆の息を漏らし、倫道も彼女の指差すところを見上げる。

 デルグレーネは、倫道の楽しげな横顔をチラリと覗き(ヴィートも一緒に手伝っていたんだけどね)と心の中で呟いた。


「ほらほら! そんな所に突っ立ってないで、先にお参りしてから色々と回りましょ!」

「わっ⁈ わわわわ⁈」

「お、おい、そんなに押すなよ」

「こんな所で立ち止まっている方が迷惑よ」

「イテェって…… 力強すぎだろ、ゴリラかよ……」

「ああ⁈ 久重、アンタなんか言った?」


 立ち止まっていた3人を、五十鈴が背中を押して前へと歩かせる。

 

 ここまでの道中、倫道とデルグレーネは辿々たどたどしくも話に花を咲かせていた。

 二人の間の自然な会話の流れに、五十鈴は少し浮かない表情を見せる。

 デルグレーネの存在は、彼女にとって複雑な気持ちを湧き上がらせていた。


(まったく…… 倫道もあんなにヘラヘラしてだらしがない!)


 怒りだけが倫道へ積み上がっていく。

 今にも鬱積うっせきを倫道へぶちまけたいが、なんと言えばいいのか。

 言葉に出来ないもどかしさが、余計に五十鈴の心を苛立たせていった。

 

(あー、もう! せっかくの休みなんだから楽しまなきゃ! それに……)

 

 押されてワタワタと歩を進める金髪の少女を見る。自分が押しているのだが。


(レーネさんだって……)

 

 自分にとって初めて現れた存在。同じ想いを心に秘める女性。

 彼女の気持ちは聞かなくても分かる。

 遠野郷での訓練時から疑いがあった。それは今、確信に変わっていた。

 

 デルグレーネ・リーグ。

 彼女は倫道に恋をしている!


 今までそんな人間は周りにいなかった。

 いや、そもそも倫道や久重の周りには、同年代の女性が極端に少なかった。

 幼少期から今まで、ほぼ毎日、家の道場で剣術の稽古に明け暮れていたからか。

 恋のライバルがいなかった理由に、なるほどと五十鈴は心の中で大きく頷く。

 

(ああ! もう! どうしたらいいの⁉︎)

 

 些かパニックとなり、勢いよく倫道と久重だけを突き飛ばす。

 文句を言う二人を無視して、デルグレーネの手を取ると歩き出した。


「さあ、お参りの前に清めなきゃ。あの手水舎ちょうずやで口や手を濯ぐんですよ」

「あっ、うん……」


 勢いに押され少し驚いているデルグレーネ。

 そんな彼女の細い指先の感触を感じ、彼女も自分と同じ少女だと再認識した五十鈴は遠い昔を思い出す。


    ◇


 私、十条五十鈴は幼少の頃、男が嫌いであった。

 もちろん、尊敬する父様や道場の師範代、懸命に強くなろうと鍛錬を重ねる大人の門下生は別だ。

 私が嫌いなのは、いわゆる同年代の男子。いわばガキどもである。


 私は古くから続く十条流の一人娘として育った。

 厳格で武人を地で行く父様と、幼い私から見ても美しく優しい母様に大事に育てられた。


「またこんなに傷を作って…… あなたは女の子なんだから、もう少しお淑やかになりなさい」

「だってアイツら、私を女だからって馬鹿にするんだもん!」

「だからって男の子と取っ組み合いの喧嘩なんて……」

「はっはっは。元気があっていいじゃないか。五十鈴は筋がいい。流石は十条流の後継だ」

「もう、そんな事ばかり言っているから五十鈴が男の子みたいになるのよ」


 手の甲にできた擦り傷へ軟膏を塗る母様は、ため息まじりで父様を睨むが、より一層と父様は大きな声で笑っていた。

 軟膏を塗り終え、私を膝の上に乗せると母様は私の頭を優しく撫でてくれる。

 母様の匂いに包まれ、温かさを背中に感じるこの時が大好きだった。


「まあ、あなたもいずれ好きな男の子ができた時に分かるわ」

「そんなの分からない! だって男の子を好きになんかならないもん!」

「あらあら、この子ったら」


 母様は呆れた様に笑いながら、ずっと私の頭を撫でてくれた。

 

 大好きだった母様。

 だけど私が6歳の時、持病が元で亡くなってしまった。

 元々、体の弱かった母様は若くしてこの世をさってしまったのだ。

 眠る様に横たわる母様の顔は、ずっと私の心に刻み込まれた。

 理想の女性像として。

 

 母様が亡くなってからの私は、より一層と剣術の稽古に励んだ。

 悲しみから逃げるために、一心不乱に剣を振った。

 そんな私を門下生のガキどもは、今まで以上に私を敵視する様になっていた。


「女の癖に生意気だ!」

「館長の娘だからっていい気になるな!」

「女相手に本気を出せるか!」


 そんな奴らをことごとくボコボコに叩きのめしてやった。

 母様が生前に願っていた『お淑やか』とは程遠い。

 私は一生、母様の言っていた事は理解できないんだろうなと諦めていた。

 そんな頃だった。倫道と久重と出会ったのは。


 少し前に道場に入門してきた2人。

 久重より倫道の方が少しばかり早かった気がする。彼はいつも一人で師範代の言いつけ通り素振りを黙々とこなしていた。

 やがて久重が入門し、文句を言いながらも倫道といつも行動を共にしていた。

 他の門下生とも違う雰囲気を持つ彼ら。

 しかし、当時の私は気にも留めず、彼らに近づく事はなかった。


 ある日、師範代から彼らの稽古をつけろと命じられた。

 同年代の教育係になるのは今まででもあった。

 しかし、その度に文句を言われ、陰口を叩かれるだけ。

 私は本心で嫌だった。


「師範代、彼らとは実力の差がありすぎます。それに私は人に教えるにはまだ技量が足りません」

「これはお父上でもある館長の指示だ。文句があるなら直接言ってこい」

「……分かりました」


 道場最高位の師範であり、この道場の館長へ意見などは許されない。

 それを分かっている師範代は、ニヤリと笑って道場を後にする。

 私はその背中に大きなため息を投げてから、今日も道場の隅で素振りをしている2人に近づいた。


「……あんたたち。私は十条五十鈴。この道場の娘。師範代より稽古をつけろと言われたからするけど、文句があるな――」

「えっ⁈ 稽古をつけてくれるの⁈ 本当に⁈ やった!」

「よっしゃー! ずっと素振りばっかで飽き飽きしてたんだ」


 思わぬ反応に思わず目を丸くして絶句する。

 次に出てきた言葉は、自分でも驚くものであった。


「……女の私に剣術を教わるのよ。嫌じゃないの?」


 自分の口からこんなセリフが出るとは思わなかった。

 言ってて腹の立つ言葉。

 しかし、彼らはキラキラと瞳を輝かせ、私が想像もしていなかった言葉をくれた。


「なんでさ? いつも見ていたけど俺たちの年代で五十鈴より強い奴はいないよ。そんな人に剣術を教えてもらえるんだ。嫌だなんて思うわけがない」

「そうそう、いっつもアイツらをボコボコにして泣かせてたもんな。側から見ててもスカッとしたぜ! 俺もアイツら嫌いだし。なー、倫道」

「ええぇ⁈」

「うん。それに、五十鈴の剣はカッコいいしな!」

 

 驚く私に倫道が口にした言葉。これが私の心を撃ち抜いた。

 

「あ、あ、ありがと……」

「じゃ、五十鈴。さっそく稽古つけてくれよ!」

「ちょっ、名前…… 呼び捨て……」

「なんだ? 嫌なのか? 師範代も呼んでるし」

「……別にいい」


 そうして、私たち3人は毎日の様に稽古に明け暮れていった。

 私を女だからと差別的な目で見もせず、1人の十条五十鈴として彼らは接してくれた。

 やがてメキメキと実力をつけていく2人。

 特に倫道はこちらが心配になる程、鍛練に鍛錬を重ねた。

 私はそんな彼に尊敬の念を持ち、いつしか彼から目が離せなくなっていた。


「五十鈴にも、いずれ好きな男の子ができた時に分かるわ」


 母様がずっと言っていた言葉。

 今なら分かる。理解できてしまった。

 

 それからの私は剣術も精進しながら、今まで逃げてきた料理や裁縫など自分から進んで手伝った。

 髪も伸ばし手入れもして、女性である事を自分に言い聞かす様に。

 そんな昔の思い出――

 

(懐かしい…… アイツらは私と出会った時の事なんて覚えてないでしょうね。馬鹿だから、ふふっ)


 思わず笑い声が口から出ると倫道が怪訝な顔で振り向いた。


「どうした? 思い出し笑いか?」

「見るな! なんでもない!」


 彼の肩を軽く叩き、前を向かせる。

 大きく息を吸い込むと、「よし!」と自分の頬を両手で軽く叩く。


(この気持ち、きっとレーネさんだって……)


 私の不可解な行動に首を傾げる3人。

 それぞれが変な顔をしてて笑える。

 

「レーネさん、何か見たいところとかある? あっ⁉︎ それより先にお昼ご飯食べましょうか。この先に美味しいお店があるの」


 私は明るい声でレーネさんに声をかける。

 彼女は少し驚いた後、穏やかな微笑を浮かべて頷いた。

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