みえない糸に導かれて 4/堂上久重

 鶴ヶ谷八幡宮での参拝を終えた倫道たち4人は、参道からすこし離れた場所で昼食をとる。

 最近開店したばかりの高級な鰻屋。彼らの歳に似つかわしくない店だが、訓練兵といえど多少の給料は出ている。

 そして、その金の使い道が無い彼らにとって、食事は豪華にしようと話はまとまった。

 これから先の事を考えば、貴重な休日だからこそ贅沢したい! と言うのも本音であろう。

 

 腹ペコの若者4人の前に運ばれてきたのは、立派な蒲焼が乗った鰻重だった。

 炭火で焼かれた芳醇なタレの香りが鼻をくすぐる。

 涎が今にも垂れそうなほどの良い匂いが充満する店内で、待ちわびた彼らは一気に丼に喰らいついた。

 口にれた瞬間、各々が幸せそうな顔の中、とりわけ恍惚の表情をしたのはデルグレーネであった。

 初めての鰻重は衝撃の美味さだったらしく、無心に、ただ無心に小さな口に箸を運んだ。

 うな丼を腹一杯に詰め込み店を出ると、腹ごなしも兼ねてとりわけ観光客の多い土産物屋が連なる小道へと向かった。


「あ〜、食った食った! めちゃくちゃ美味かったな!」

「うん! すごく…… 美味しかった!」

「レーネさんの驚いた表情…… ぷくく…… 思い出しても笑えるわ」

「だって⁈ 初めて食べたから…… しょうがない……」

「最初はあんなにビビってたのにな! まあ、あんなウニョウニョが美味しいだなんて思わないか」

「そうだな。でも、レーネさんが気に入ってくれたなら良かった」

「うん、ありがとう」


 そんな話をしていると、人の行き交いも多くなった古路へと到着する。

 左右に色とりどりの商品が店先に並ぶ小道は、多くの男女で賑わっていた。

 そんな光景を目にしたデルグレーネと五十鈴は、倫道と二人きりでこの場所を訪れたかったと共通の思い抱く。

 デルグレーネは倫道の隣を歩きながら、彼に話しかけ、五十鈴もまた、さりげなく倫道との距離を縮めようとしていた。


「ねえ倫道…… あれはなに?」


 デルグレーネが指差す土産物屋に、倫道は頷きながら答える。


「ああ、あれは織物の店みたいですね。小物とかあるみたいだ。見に行きましょうか」


 その言葉に五十鈴が素早く反応する。


「私も見たい!  こういうの、好きなんだよね」


 彼女はデルグレーネと肩を並べる様に歩き始め、満面の笑みを浮かべて金髪少女の顔を見る。

 デルグレーネも金色の瞳を弓なりにして、お互いの視線が交差する。


「ふふふふふふ……」

「うふふふふふふ……」


 誰もが振り向くほどの美少女2人が笑顔で仲睦まじく肩を並べて歩く。

 普通であれば衆目の的となるはずだが、何故だか周りの人々は視線を外し、そそくさとその場から離れていく。

 どうやら剣呑な雰囲気を漂わせ、バチバチと火花が飛び散って見えるのは周囲も同じであったのだろう。


(倫道…… 魔力切れで気絶した試験の後、私の名前を呟いた。もっと一緒に居れば思い出すかも知れない。リーナにも『自分から言えないのなら思い出させるしかない!』と背中を押してもらったんだ。頑張らなきゃ…… でも、それだけじゃないな。もっとたくさん話をして、今のあなたを知りたい。私の事を知ってほしい)


 と、デルグレーネが心の中で決意している時、同じく想いを巡らせる五十鈴。


(やっぱりレーネさんは倫道を『好き』なんだわ。でも、倫道を好きになる理由は? 訓練を一緒にしたから? いえ、その前から倫道を見る瞳は違っていたわ…… まさか本当に前世からの仲だというの? ……ううん、そんな馬鹿な話は無いわね。それよりも今は貴重な休みなんだから、倫道の心を少しでも私に)


 視線を外さず、より一層と笑顔を濃くした2人は((それには、この娘は邪魔!))と同じ想いを持つのであった。

 

「なあ、久重。あのふたり、仲いいよな。こっちまで笑顔になる」


 しかし、一人だけ彼女たちの間に飛び交う火花が見えないのか、惚けた事をいう倫道に瞠目する久重。


「おい…… マジで言ってるのか?」

「ん? 違うのか?」

「はぁ〜、お前はそういうやつだよ……」


 倫道は眉を八の字にして首を傾げたが、五十鈴とデルグレーネに引っ張られ土産物屋へ入っていく。

 久重はその様子を眺めながら、苦笑いを浮かべる。


(出会った時から変わってねぇな。 ほんと…… そして、お前もな)


 久重の視線は、2人から腕を引かれ困った顔の倫道と、デルグレーネと言い合いをしながらも楽しげな五十鈴を追いかけていた。


    ◇


 神室倫道と出会ったのはいつの時だったか。

 ああそう、俺、堂上久重が小学校に上がった時だった。

 俺らが入学した学校は官僚や高位の軍人、裕福な商人や財閥などの子息が学ぶ『いわゆるお坊ちゃん学校』だった。

 俺の家は昔っから貧乏農家の家系だったが、俺の親父が軍に入り、思わぬ出世をしたもんだから入学させられたんだっけ。


 碌に読み書きも出来ず、挨拶さえまともに出来ない。

 曽祖父が外人であり、その血を大きく受け継いだ俺の髪と瞳の色は帝国の人間とは違う。

 着る物だってボロボロで、他の生徒とは明らかに違い浮いていた。

 そんな俺は、直ぐに『ヤツラ』から格好の標的となった。

 この学校の中でも指折りに地位の高い親の子供たち。

 最初は陰湿な嫌がらせから始まって、次第にその行動はエスカレートしていった。


「おい、この教室は随分と土臭いな」

「しょうがないですよ、まともな服も買えない土いじりがいますから」

「父親は陸軍で出世したらしいけど、どうせ穴でも掘ってるんだろ」

「ぎゃはははは〜〜」


 拳を握り、奥歯を噛み締める。

 キシキシと奥歯がすり減る音を聞きながら、頭の中が熱くなっていくのが分かる。

 悔しくて、直ぐにでもあいつらをぶん殴ってやりたかった。

 一人一人顔の形が変わるほどめちゃくちゃに。


 でも、そんな事をすればどうなるか馬鹿な俺でも分かっていた。

 何の後ろ盾もない成り上がり者の子供が、財閥や高官の子供を傷つければ……

 親父が命を懸けて築いたものが全て台無しになる。

 それに、家族にだってどんな仕返しが来るかわからない。


 俺はただ黙って俯くことしかできなかった。


「何だか元気がないな〜」


 何も言い返さない事を傘にかけ、俺の席の周りを4人が取り囲む。


「おい、お前に話してるんだぞ」

「何とか言えよ」

「あー、こいつ碌に挨拶もできないから、言葉も分からないんじゃない?」

「なるほど、こいつは自分たちの仕事、頭を下げる稲穂と一緒か」

「動物でもなくて植物かよ!」

「ぎゃはははははは〜〜〜〜〜〜」


 ヤツらは変わるがわる俺の頭を小付いて口々に悪態をつく。

 悔しくて情けなくて目の前が真っ赤になる。

 コイツらの前で涙なんか見せるもんかと力一杯に瞼を閉じて時の過ぎるのを待った。

 でも今日はそれで終わらず――


 リーダー格の一人が「あっ」と言って教室の後ろに行くと、花用の水差しを手にして戻ってきた。


「稲穂だったら水を上げないとな」

「いいね! それに汚い洋服も綺麗になるし」

「おい! 良かったな!」

「うひゃひゃ〜、すくすくと育っておくれよ!」


 ビチャビチャと俺の頭から机に水が流れ落ちる。

 怒りが限界を突破して、冷たい水が心地良いなんて思っちまった。

 ふと、視線を上げて教室内を見ると俺の敵はこの4人だけじゃ無い事を知った。

 こいつらだけじゃない。

 こんな俺を遠巻きに見て、くすくすと笑っている奴ら。

 同情の目を向けるが、目が合うと逸らしてただ黙っている奴ら。

 一切こちらを気にかけず無関係を装う奴ら。

 そう、最初から俺の味方なんていない。周りは全て敵だらけだ。


 心が折れた。自分でもびっくりするくらいに大きい音を立てて。

 もう無理だ。抵抗する気力も湧かない。

 周りの喧騒が遠くに聞こえる。ヤツらの声もぼんやりとしか聞こえない。


 せっかく入れてもらえた学校だけど、もう二度と登校はしない。

 明日からは爺さんたちの手伝いをして田畑を耕そう。

 そんな風に呆然としていると――


「ぎゃっ⁈」

 

 耳底に響いたうめき声と鈍い音で意識が戻り、俺の視界に色が戻った。

 目の前で俺をいびっていたリーダ格が吹っ飛び、目の前に小さな背中が俺を庇う様に立っていた。


「いきなり何すんだ⁈」

「それはこっちのセリフだ! 4人で1人を取り囲んで恥ずかしく無いのか⁈」

「なんだと!」

「お前! 生意気だぞ!」


 残りの3人が俺を庇うヤツへ殴りかかると、教室は女生徒の悲鳴で大混乱となる。

 騒ぎを聞きつけた数名の教師が教室に入ってきて、直ぐに騒ぎは収まったが、騒ぎの元凶となった俺を含めた6人は職員室へ連行された。

 別々の部屋で、何があったのかを聞かれたが、俺は多分一番早く帰らされた。

 手を出さなかった事が良かったのか、それとも身分が低いから碌に話を聞いて貰えなかったのか、それは分からない。

 

 教室に荷物を取りに帰ると、すでに午後の授業は終了していて、他の同級の者は全員帰っていた。

 がらんとした教室に入り、自分の荷物を手に取るとふと目に入った。

 俺を庇ったヤツ、神室倫道の荷物がまだあるのを。


「……お前、なんで俺なんかの為に喧嘩したんだ?」


 主人のいない席に思わず語りかける。

 先ほどから感じるこの気持ち…… モヤモヤするこの感情を俺は確かめなければならなかった。

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