第4章
みえない糸に導かれて 1/遠い記憶
倫道の意識はぼんやりとした闇の中を漂っていた。
彼の心は、かすかな記憶の断片に引き寄せられ過去へと巡っていく。
そこには、顔がボヤけているが、柔らかな声と温かい笑顔を持つ少女がいた。
白金色に輝く髪をふわりと揺らし、彼女は何かを話しているが、言葉は霧の様に彼の意識から逃げ去っていく。
唯一残るのは、春風の様に温かい雨の感触。
顔の見えない少女から、自分の頬にポタポタと落ちる雫が温かくも悲しかった。
「ラ…… ラウ…… ラ」
言葉と共に喉の奥から込み上げてきた黒い液体は、勢いよく口から飛び出ると全ての景色を漆黒に染め上げる。
何も見えない暗闇の世界に自分の体が沈み込んでいくのが分かった。
漆黒の世界で唯一の光、自分の胸の中から黒姫が光っているのが見えていた。
その光が全身を覆い、やがて倫道の意識は覚醒していく。
倫道が目覚めたとき、彼は合宿所の静かな一室に横たわっている事に気づく。
部屋の隅には、心配そうな表情を浮かべて窓の外を見つめている五十鈴の姿があった。
「五十鈴……」と倫道が声をかけると、彼女は驚き振り返る。
「倫道⁈ ようやく目が覚めたのね。大丈夫? 気分は悪くない?」
彼女が椅子から立ち上がり、心配そうに顔を覗き込む。
倫道はベットから上半身を起こすと頭を振り、混乱した表情を浮かべた。
「俺…… なんで寝て…… ああ、そうか。戦いの途中で気を失って」
ぐるりと周囲を見渡し、自分がどこにいるか確認する。
目に入るのは、木造作りの一室。ここ数週間、見慣れた宿舎のベットだった。
「はい、お水。喉乾いているでしょ」
五十鈴が陶器の水差しからコップに注ぐと、未だぼんやりとしている倫道へ手渡す。
「ありがとう」と言いながら受け取ると、一気に飲み干し、もう一杯とコップを掲げた。
「あの後は…… どうなったんだ? 清十郎は?」
当然の疑問。
戦いの最中に気を失った彼にしてみれば、
その想いを感じ取り、五十鈴は至って明るく答えた。
「清十郎くんは無事。御堂司令の魔法であんたと共に守られたわ。だいぶ疲れてた様だけど、さっきまでここであんたを見舞っていたわよ」
「清十郎が⁈」
「そう、あの清十郎くんが。……倫道に感謝してるって言ってたわ。あっ⁈ これ口止めされてたんだ」
「清十郎…… そうか。前に進めたんだな……」
「うん、晴れやかな顔をしてたわ」
清十郎が思い悩んでいたのは倫道を始め、同期は察していた。
その彼が一つの山を乗り越えたのだ。単純に嬉しかった。
2人は頬を緩め安堵の表情と自分の力で乗り越えた清十郎へ畏敬の念を送る。
「……あの後、凄かったのよ。御堂司令の試験終了の合図と共に山崎隊長と柳田副長が一気に飛び出して行って…… ふふ」
五十鈴は思い出し笑いをし、にこやかに続ける。
「凄い勢いであの妖魔『
「そう…… ん? 山崎隊長? 柳田副長だって?」
倫道が怪訝な顔で五十鈴の顔を見上げると、彼女は「ああ」とった具合に軽く両手を合わせる。
「あの後、私たちに正式な辞令が降りたのよ。御堂司令を筆頭として新たな部隊が創設されたって。以前の魔導大隊は解体して数隊に別れたと聞いたわ。その中でとりわけ少数精鋭の部隊が特務魔道部隊。一応は魔導大隊の所属だけど、指揮系統は完全に独立しているようね。山崎中尉は隊長として、柳田少尉は副長の1人。私たち5名も入隊の辞令が出たわ。それと魔導部隊入隊という事で私たちの階級も上がったわ。下士官よ。まあ伍長だけど」
「マジか……」
「どうしたの? ニヤけて。昇進が嬉しかった?」
「いや、5名一緒ってのが嬉しくて」
「ふふ、そうね。久重なんか飛び上がって喜んでたわよ」
「あはははは、久重らしいな」
「その後、柳田副長に『良かったな! これからもしっかり訓練つけてやるから覚悟しとけよ』って言われて青くなってたけど」
「……それは俺たちも一緒じゃ――」
「ええ、そうね。カタリーナさんとデルグレーネさんも入隊するし」
「はぁ⁈ あの人たちはゲルヴァニア国の……」
「そう。ゲルヴァニア国の魔法兵。だけど彼女たちは私たちの同僚となるの。御堂司令も仰ってたけど、『特務魔道部隊は前例に無い部隊となる。大日帝国、いや人類にとって大きな壁が立ち塞がるだろう。我々は一つの破魔の矢となり、野望を穿つ存在となる。その為には様々な垣根を越え、力を合わせるのは必然。柔軟な思考で物事にあたるように』との事よ」
「なるほど…… じゃぁ、これからも鍛えてもらえるんだな」
倫道の表情が変わるのを見て、ムッとした顔で低い声が出る。
「あら、随分嬉しそうね〜」
「えっ⁈ い、いや、そんな……」
慌てて否定しようとした倫道は言葉を切り、一間考えてから五十鈴を見る。
「うん、俺は嬉しいのかもしれないな」
「っ⁈ それって……」
「ああ、レーネさんたちは目茶苦茶に強いからな。仲間になるならこれ以上の心強さはないぞ」
「えっ⁈」
「それに今以上に教えて貰えば、俺も強くなれる!」
「……はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「なっ、なんだよ」
盛大にため息を吐いた五十鈴に軽く驚く倫道。
そのままジロリと睨まれ「俺なにか変な事を言ったか……」と恐る恐る尋ねたが「別に……」と不機嫌全開で返事が返ってきた。
重い沈黙が数十秒流れ、また五十鈴がため息を吐いた。今度のは小さい。
「ねえ倫道…… あんたが寝ている時に
「え? 俺なんか言ってたのか?」
「うん…… 『ラウラ』って…… 誰の事なの? もしかしてレーネさんの事?」
ラウラ…… 倫道はその名前を耳にすると瞠目して五十鈴を見返す。
胸の奥、心臓とは違う心の最深部でドクンと波打ち、思わず胸に手を当てる。
「ラウラ…… 俺がラウラって言ったのか?」
「多分、聞き間違えじゃなきゃ…… やっぱり……」
「そうか……」
俯き自分の胸の内を探る倫道、そんな姿を見つめる五十鈴の瞳には、うっすらと涙が滲む。
「夢で…… 見るんだ。以前にも話した事があっただろ? どこか遠い外国の夢の話を」
「うん……」
「たくさんの人がいて。その中でいつも話しかけてくる女の子がいるんだ」
「……その娘がラウラという人なの?」
「いや……、分からない。顔も見えないんだ。でもいつも嬉しそうに、そして悲しそうに俺に語りかけてくる」
「そう……」
「だけど、いま名前を聞いて何かが腑に落ちた気がする。多分、俺は知っている」
「知ってるけど、思い出せない?」
「ああ、誰か分からない…… 『ラウラ』って名前は俺の奥底に刻まれている…… でも、その人が何処の誰なのか、全然思い出せないんだ」
(そう、ラウラ…… きっとあなたにとって大切な人なのね)
五十鈴は悲しそうな表情で彼を見つめ、すぐに明るい笑顔に切り替える。
「前世の記憶が蘇ったんじゃない?」
「そんな馬鹿なことが……」
部屋の外の廊下で、2人の会話に耳を傾ける影が一つ。
デルグレーネは壁にもたれかかり、彼らの話を静かに聞いていた。
(ヴィート…… いえ、倫道……)
彼女の表情は複雑で、倫道の記憶の片隅にある「ラウラ」という名前に、嬉しさが込み上げ、しかし、心を痛めているようだった。
彼女は静かに自分の感情を抑えながら、ぎゅっと目を瞑る。
(ラウラ…… それはヴィートから貰った私の大切な名前……)
デルグレーネは心の中でつぶやいた。
彼女の心は乱れた感情の渦に巻き込まれていく。
過去にヴィートと共に過ごした時間、彼との深い絆、そして悲しき別れ。
これらが彼女の心を苦しくも温かくさせていた。
倫道と五十鈴の会話は続いた。
「でも五十鈴のいう通り、ずっと昔の記憶なのか。それとも、ただの夢だったのかな……」と倫道がもう一度つぶやいた。
五十鈴はベットに腰掛けると、優しく彼の手を握る。
「大丈夫、きっと時間が解決してくれるわ」
「……ああ、きっとそうだな」
デルグレーネはその場を離れ、深い思索に
彼女は倫道に真実を打ち明けるべきか、それともこのまま彼が『1人の倫道』として生活するのを望むべきか、その答えを見つける事ができないでいた。
「嬉しい…… やっぱり倫道はヴィートの魂が輪廻して生まれたんだ。ああ、本当にもう一度逢えた」
デルグレーネは大粒の涙を流し、嗚咽を漏らす。
「ヴィート、私がラウラだよ。貴方に助けられ、大切な事をいっぱい教えてもらい、お父さんたちとかけがえの無い時間を一緒に過ごした家族。そして、私の事を愛してると言ってくれた。でも…… 『ヴィート』の生まれ変わりが貴方『倫道』だなんて話…… 信じてもらえないよね…… それに、私は人間じゃない……」
悲しげに呟く彼女の心は、愛と葛藤で満たされていた。
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