絆の風景 4/失われた明日

 地下室の隅、兄の張った結界内から清十郎はただ眺めていた。

 抱きしめ合う姉の芳乃の体温を感じながら、震えながら。

 見上げる景色は、淡い緑色に包まれ、どこか夢の世界の様に思えた。

 目の前で繰り広げられてる凄惨な戦い。

 兄である清命が強大な妖魔『岩羽斬がんばざん』と繰り広げる死闘。

 

「水の精霊よ、我が声に応えて現れよ。清らかなる力を借りて、この世に力を示せ。水龍、ここに召喚せん!【水龍の舞】」


 彼の得意とする水属性の魔法【水龍の舞】を唱えると、岩羽斬の周囲に水柱が立ち昇る。

 4本の水柱は妖魔の頭上で巻き合い水龍と化すと、獲物目掛けてその大きな顎門アギトで迫る。


「ブォォォオオオオオオオオ〜〜〜〜」


 岩羽斬はそれに反応し、口から灼熱の炎を放つ。

 激しくぶつかる水龍と炎弾。

 爆発し広がる水蒸気に視界が一気に白く染まる。

 岩羽斬の炎は水龍を飲み込むと、勢いを衰えさせながらも清命へ襲い掛かる。

 

 しかし、清命はその炎を避けながら、次の魔法を詠唱していた。

 

「【凍結の槍】!」


 振り下ろした腕の先、氷の槍が黒岩色の妖魔へ向かって飛来する。

 数本の氷槍が岩羽斬の体にぶつかるが突き刺さりはしない。

 その体は硬く、致命的なダメージとはならなかった。

 

「ちぃ――、浅いか。やはり硬い……」

「ゲッゲ、ガァ〜〜〜〜〜」


 岩羽斬の目が赤く光り、最も警戒すべき能力【石化の波動】を放つ。

 床や壁が石化し始める中、清命は逃げる事なく立ち向かう。

 

「天を駆ける光よ、大地を護る極星となれ。蒼穹の境界、我が前に展開せしめよ! 【極光の結界】!」


 黄金に煌めく光のカーテンが清命と岩羽斬の間に展開され、石化の波動を防ぐ。

 

「ギシャァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 自身の攻撃を受け流された岩羽斬は怒り心頭。

 床を蹴り上げ飛び上がり、巨大な翼で空中から更に【石化の波動】を放った。


「ぐぅっ⁈」


 圧力が増した石化の波動に対抗するため、全魔力を振り絞る。

 額には大量の汗と血管が浮き出させて、奥歯が軋むほどの力で石化の波動を押し返す。


「おぉおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「シャァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 妖魔と人間の力比べ。

 拮抗した魔法のぶつかり合いは、岩羽斬の石化の波動が先に消滅した。


「よし、防げ――」


 清命が敵の最大の攻撃【石化の波動】を防ぎきれたと、一瞬の心の隙を見せた刹那、岩羽斬の尾が視界の外から襲った。


「ぐはっ⁈」


 岩羽斬の尾は長く、体より更に硬い表皮に覆われ、一撃必殺の威力を持つ。

 失念していた訳ではないが、まさに隙をつかれた形であった。

 強靭な尾は、清命の胴体を掠めただけで彼の体を吹き飛ばす。

 口から血を吹き出し、2度3度と床に叩き付けられながら勢いよく壁へ激突した。


「ゲッゲッゲッゲ」

「うっ、あ、あ……」


 頭を強く打ち付け、意識は朦朧もうろうとなる。

 激しい痛みが全身を駆け巡り、込み上げる不快感に何度も意識が遠のいていくのを感じた。

 意識を失えば、このまま寝てしまえば楽になれる……

 しかし、彼は最後のところで決して屈しはしない。

 彼の後ろには2人の妹弟がいたのだから。


「……ふざけんなよ、この野郎……」


 震える体を懸命に動かす清命を、舌を垂らし下卑た笑みで見下ろす岩羽斬。

 立ち上がろうと腕に力を入れた時、更なる衝撃が彼を襲った。

 軽く上振り上げた鳥類の様な細い右脚。先端には3本の爪が鈍く光る。

 四つん這いになっていた清命を蹴り上げたのだ。


「ぐっ! がぁ、あ……」


 鋭い爪に裂かれた腹からは、血が広がり床に血溜まりを作る。

 清命は胸の中に沸き上がる恐怖と冷えた絶望に押し潰されそうになっていた。

 彼の魔力はほとんど尽きかけており、自分を見下ろす岩羽斬の凄絶な力に心は折れかけていた。

 

「兄様――⁈」


 絶望、混濁した意識の中、清命の耳に清十郎と芳乃の声が響く。

 虚な視線で声の主を探すと、結界の中で顔をくしゃくしゃにしてなく弟の顔が見える。

 芳乃は両手で顔を覆い、泣きじゃくっていた。


「清十郎…… 芳乃……」


 清命の瞳に光が戻る。


「大丈夫…… だ。 兄ちゃんが…… 守る…… から」


 瀕死の重傷を負いながらも、震える体を引き起こし、妹弟へ笑顔を向ける。

 

 彼は迷う事なく最後の手段を選ぶ。【万世ばんせいの封印】。

 安倍家の秘奥義たる魔法。術士の命と引き換えに強大な封印魔法を発動させる。

 深く息を吸い込み、内なる力を最大限に引き出す。


「我が命の代償に、永遠の闇へと閉ざされん」

 

 彼は絶望的な状況の中、唯一の希望であるその魔法、手にした呪符へ全ての魔力を注ぎ込み、詠唱を始める。


「過ぎ去りし時、未来への架け橋。我が命を燃やし、ここに結びん。闇に包まれし存在、我と共に、永遠に封じん……」


 清命の身体は光り輝き、緩やかに浮かび上がる。

 床には巨大な魔法陣が展開され、その中心で魔力を練り上げる。

 彼の周りには、金色に輝く螺旋が形成され、岩羽斬をその中心へと引き込んでいった。


「ギィシャァ〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」


 圧倒的な魔力の奔流に巻き込まれ、岩羽斬が雄叫びを上げる。

 先ほどまで見せていた余裕はなくなり、纏わりつく金色の光が締め付ける様に体を拘束する。

 爪を立て、牙を剥いて叫び、必死で暴れるが後の祭りであった。


「もう遅い…… 永遠の暗闇に堕ちろ……【万世の封印】!」

 

 術の完成。凄まじい閃光。

 清命の瞳は、目も眩む光の中、最後の瞬間まで確かな決意で岩羽斬を見つめていた。

 やがて、彼の身体は輝きを失い、万世の封印は完了する。

 清命は静かに息を吐くと、その場に倒れ込んだ。

 金色の光が岩羽斬を繭のごとく閉じ込めると徐々に収束し、閃きを放つ拳大の大きさとなった。

 やがて、光を失った塊は、コトンと小さな音を立てて床に転がり落ちる。

 岩羽斬は永久に封印された。


「兄様――――――――‼︎」


 清十郎と芳乃は涙を流しながら、清命の側に駆け寄る。


「芳乃…… 清十郎…… 無事で良かった……」

「兄様――」

「あああ、すごい血が出て――」


 嗚咽し清命の胸に顔を埋める様に泣きじゃくる芳乃。

 清十郎はただただ涙を流し茫然と清命の顔を覗き込む。


「清十郎……」


 やがて自分を呼ぶ掠れ声で現実に引き戻されると、温かい兄の手が自分の頬を流れる涙を拭いていた。


「いいか…… お前は一人じゃない…… 家族や精霊…… そして仲間がいる」

「兄様! 喋っちゃ――」


 清十郎の言葉を首を横に振り遮ると、喉を駆け上がる血を飲み込んだ。


「ぐっ…… 清十郎……、お前は強い…… 俺なんかよりもずっと……」

「そんな…… 兄様……」

「自分を信じろ…… 周りを信じろ…… お前は……」

 

 不意に頬から兄の手が滑り落ちた。

 微笑みながら眠る兄の顔。


「兄様…… 起きて…… 起きてよ!」


 小さな手で兄の肩を揺らすが、目覚めはしない。

 そこで幼い2人は気がついた。

 兄は命と引き換えに、岩羽斬を封印し、自分達を救ってくれたのだと。


「うわぁああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎ 兄様!」

「いやぁ〜〜〜 兄様、死なないで〜〜〜〜〜‼︎」

 

 兄の勇姿と犠牲を目の当たりにし、その場で2人は泣き崩れた。

 家族や門下生たちが駆けつけた時、清十郎は涙を流しながら、清命の死体に覆いかぶさり震えていた。


    ◇


 当時を思い出し、深く息を吐く清十郎。

 兄の死の瞬間は今でも鮮明に覚えている。


「兄様はこの国で一番の魔法士になれる人だったんだ。それを俺が……」


 膝を抱き抱え項垂れている清十郎の背後から声がかかった。


「清十郎…… こんな所にいたのか? もう朝飯だから…… どうかしたのか?」


 倫道が朝の訓練から帰ってこない清十郎を心配して探しにきたのだ。


「――っ⁈ な、なんでもない」


 不意に声をかけられた清十郎は慌てて立ち上がると、目頭を拭った。


「なんでもないって事ないだろ」


 心配する倫道に苛立ちをぶつけ強い口調で返す。


「うるさい! なんでもないと言っているだろ。俺に構うな!」


 口に出して思わず後悔する。

 心配してきてくれた者に返す言葉ではないと。

 しかし、ささくれ立っている清十郎の心は、止まる事なく友人を攻撃する。


「お前はいつもそうだ! なんでも首を突っ込んで来て…… 他人の事はほっとけよ!」


 思いも掛けない強い口調で責められた倫道は、驚き瞠目した。


(俺はなんて……)


 瞬間、口に出た言葉に後悔をするがもう遅い。

 居心地の悪くなった清十郎は、倫道の肩を乱暴に押し退けると、その横を通り過ぎる。


「放ってはいられないな」


 清十郎の背中へ向けて、そんな言葉が投げられた。

 時が止まった様に動きを止める2人。

 朝露の匂いをのせた風が2人の間を吹き抜ける。


 清十郎の胸の内、さまざまな感情が入り乱れていた。

 今にも爆発しそうな慟哭が烈火の如く沸き起こる。

 彼は感情のままに振り向き、怒鳴る。


「お前は――」


 しかし、目の前の男、倫道の顔を見た瞬間、清十郎の喉から次の言葉は出てこなかった。


「大丈夫か? 清十郎」

「に、兄様……」


 清十郎は、そこに兄である清命の微笑んだ笑顔を見た気がした。

 眼鏡の奥の瞳が最大限に開く。

 自分で呟いた言葉も耳には入らなかった。


「ん? なんだって?」


 倫道が怪訝な表情で聞き返す。

 そこには兄の面影など微塵も見せない友人の顔があっただけであった。


 しばらく倫道を見つめていた清十郎は、踵を返して宿舎に歩き出した。


「……心配して来てくれたのに悪かった。俺は大丈夫だ」


 照れ臭そうに礼を言われた倫道は、太陽の様な笑顔で答える。

 

「そうか、今日も1日厳しい訓練だ。しっかり飯を食わないとな!」


 そう言ってそれ以上は何も話さず、清十郎の横へ並び歩く。

 チラリと横目で倫道が見ると、清十郎から息混じりの笑いが胸から吐き出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る