絆の風景 3/悪夢

 安倍家は古くから続く魔法の名家であり、その歴史と伝統は数多くの術師たちに知れ渡っていた。

 家には長男の清命を始め、上には兩見りょうみ芳乃よしのの姉2人がいた。

 4歳上の兩見は家のしきたりや伝統を重んじる真面目な姉で、1歳上の芳乃は自由奔放で、幼かった清十郎とは仲が良くいつも一緒に遊んでいる。

 

 そんな妹弟をいつも温かい目で見守る清命。

 彼は家の期待を一身に背負う者として、日々魔法の研鑽に励む日々を送っていた。

 7歳年上であり、清十郎にとっては頼れる存在である。

 清十郎は清命の魔法を見て、いつか彼の様になりたいと心から願っていた。


 そんなある日、清十郎と芳乃が家の地下室で遊んでいた時、その事件は起こってしまう。


「清十郎、これがお父様たちが封じた妖魔『岩羽斬がんばざん』だって。昨日聞いたの」

芳姉よしねえ、この部屋に入ったら兩姉りょうねえに怒られるよ。それになんだか怖い……」

「相変わらず臆病ね。大丈夫よ、お父様やお兄様が封じたのよ。それに『かんいてきな呪法を』なんて言ってたから強力に封印されているのよ」

「よく分かんないけど……」


 成人男性で一抱えほどの筍状の岩石が部屋の片隅に置かれていた。

 岩には封印の札が施され、周りには結界ともいえる藁で出来た縄にて四方を隔離している。

 その縄の隙間を縫って幼い2人は、自分の背ほどある岩の前でしゃがみ込む。


「なんか生きているみたいだね……」

「うん……」


 岩が発する妖気に当てられ芳乃と清十郎はゴクリと唾を飲み込む。

 幼いながらも安倍家の子供たち。異様な感覚には敏感であった。

 ドクンと鼓動する響きを岩から感じると、清十郎の恐怖心は限界を迎えた。


「も、もう、僕でる!」

「あっ⁈ 清十郎! 慌てちゃだめ――」


 恐怖に駆られた清十郎は勢いよく立ち上がり、この場から逃げようと駆け出してしまう。

 しかし、その小さな足は、張られている縄を越えられず引っ掛かってしまった。

 止めようとした芳乃も、よろけた清十郎を受け止められず一緒にひっくり返った。


「うぁ⁈」

「きゃぁぁ⁈」


 どすんと勢いよく転んだ2人。

 舞い上がる埃の中、四方に貼りめぐらされた縄がゆっくりと床に落ちた。


「痛っ⁈」


 埃を吸って咳をする芳乃の耳に清十郎の小さな悲鳴が届く。


「大丈夫、清十郎⁈ どっか怪我したの?」


 慌てて清十郎を抱き抱えると左手から血が滴っていた。

 小さな手から流れる鮮血を見て、芳乃は青ざめ、清十郎は痛みと驚きで泣き出してしまう。


「うわぁああああん〜〜〜〜〜」

「大丈夫だから。今、お姉ちゃんが治してあげるから」


 ポケットからハンカチを取り出し手のひらに巻くが、赤い雫はポタポタと床板を濡らしていく。


「お母様へ診せなきゃ…… 清十郎、どこで切ったの?」

「あああん〜〜〜〜 えっ、えぐっ、あ、あそこ」


 芳乃の言葉に清十郎は嗚咽を漏らしながら、自分の手を傷つけた場所を見上げた。

 そこは妖魔が封印されている岩石。

 鋭利に尖った部分に清十郎の血がべったりと付いていた。


「えっ……」


 瞠目する芳乃。

 岩の中心、そこにはある筈の札が無かったのだ。


「大変…… 逃げなきゃ」


 芳乃は、まだ泣き止まない清十郎を無理やり立たせて駆け出したが、何かが割れる音を耳にして振り返る。

 ビシビシと音を立ててヒビが入る岩石。

 途端、頭が眩むほどの濃密な妖気が地下室を充満する。

 内部から外へ石片が飛び散ると、最後に大きく割れて岩石より数倍大きい深い灰色をした何かが飛び出してきた。


「ガァアアアアアアアアアアアアア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

 けたたましく咆哮を上げながら岩羽斬の名を持つ妖魔が復活してしまったのを芳乃と清十郎は確信をした。

 妖魔、岩羽斬。

 顔は竜と鳥類を混ぜた様な形状。目は炎の如く赤く、目の周りには黒く深く刻まれた模様があり、威圧感を放っている。

 吠え続ける口からは、長い鋭い牙が突き出ていた。

 体色は深い灰色を基調に、部分的に黒や濃紺の筋や模様が入っている。

 腕は太く、手の部分は三本の太い指に長い黒い爪が生えていたが、足は鳥類と同様に細く、先端には鋭い爪が三本生えている。

 巨大な翼を背に生やした岩羽斬は、咆哮を止め辺りを見渡し、幼い2人を発見した。

 視線があった清十郎は、目の前の妖魔が舌なめずりをして笑ったと感じ、恐怖で体が硬直する。

 芳乃も恐怖に体を強ばらせたが、震える体を無理やり動かし、清十郎を抱きしめ叫んだ。


「助けて――――‼︎」


 屋敷中に響き渡るほどの大声。しかし、ここは封印した妖魔を保管する地下室。

 通常よりも天井や壁が厚く堅牢に建てられていた。

 また、この場所への侵入も隠すため扉を閉めていたのが災いし、外に声が届きはしない。

 逃げ場のない2人、助ける者は誰もいなかった。


 部屋の隅まで這いつくばって逃げる芳乃と清十郎。

 それを用心深く眺めていた岩羽斬であったが、他に誰もいない事を確信すると「ゲッゲッゲ」と笑う様に喉を鳴らした。

 そして、ゆっくりと幼い2人に近づき、右腕を上げる。

 蝋燭の火が3本の鋭利な爪を光らせた。


「――――っう⁈」


 芳乃と清十郎はお互いを抱きかかえ、ぎゅっと目を瞑る。

 自分達の最後を感じて。


「芳乃――! 清十郎――――‼︎」


 轟音と共に凄まじい突風が目の前を駆け抜け、鉤爪を振り上げていた岩羽斬を吹き飛ばした。

 建物が悲鳴を上げるほど軋み、壁には大穴を空けて岩羽斬が突っ込む。

 

「2人とも無事か?」


 青ざめた顔で清命が芳乃と清十郎に駆け寄り2人の体を確認する。

 思わぬ兄の登場に我慢していた恐怖の感情が溢れ、涙腺を決壊させた芳乃が呆然としながら尋ねる。


「に、兄様…… どうして?」

「兩見がお前たちの姿が見えないって探してたからな。もしやと思って来てみたら妖魔の気配がしたから飛んで来たんだよ」


 泣きじゃくる2人を安心させる清命の優しい微笑み。


「清十郎、怪我をしているじゃないか⁈ 大丈夫か?」

「う、うん…… 大丈夫。でも、兄様。僕のせいで……」

「違うの、兄様! 清十郎は嫌って言ったんだけど、私が――」


 涙を流し項垂れる妹弟の頭を優しく撫でながら、結界が施されていた場所を見やる。


「いや、清十郎。お前のせいじゃ無いよ。簡易的な封印で置いておいた俺たちの責任だ。芳乃も気にするな」

「で、でも……」

「さあ、ここは危険だ。早く上に――」


 幼い2人を逃そうと立たせた時、穴の空いた壁の奥からガラガラと何かが崩れる音が響いた。

 暗闇の中、うごめく気配。部屋中にひんやりとした妖気が漂う。

 どこからともなく響くその低い咆哮は、聞く者の魂を凍りつかせた。


「ちっ! もう動けるのか……」


 この部屋の出入り口へつながる階段と岩羽斬の突っ込んだ壁を交互に見て清命は考える。


(このまま2人を守りながら階段まで行けるか…… いや、攻撃されればその余波で……)


 瞬時の判断で、彼は懐から呪符を取り出し詠唱を始める。


「風の囁き、水の純潔、土の力よ。我が前に結界を築きて。穏やかなる水面、不動の大地、強靭なる風。その3つの力を借り、不動の盾となれ。【不動結界】‼︎」


 清十郎と芳乃の周囲に、透明でありながら淡い緑色の光を帯びた結界が形成される。

 結界の中は静かで、先ほどまで聞こえていた妖魔の不気味なうめき声は遠く感じた。

 清十郎と芳乃はその中で、笑顔の清命と視線を交わす。


「兄様!」

「に、兄様⁈」

「怖いかもしれないが、その中で大人しくしているんだ。なに、直ぐに大人の術師たちが騒ぎを聞きつけて集まってくるさ。それまでの辛抱だ」


 2人に告げると背を向けて岩羽斬へ視線を移す。


「あの妖魔は岩羽斬、触れるものすべてを石化させる能力を持っているが、結界の中にいれば安全だから心配しないでいいぞ」


 壁の向こうからゆっくりとその姿を表す岩羽斬。

 その黒い鱗に覆われた巨体は、他者を圧倒させるほどの重圧を振りまく。

 喉の奥から低い唸り声を上げながら。


「さあ、行くぞ!」


 清命が叫ぶ。彼の体は蒼い光に包まれ、一瞬の内にその場を照らすほどの力を放つ。

 妹弟を守るため、安倍家の長男として、強大な妖魔との戦いに臆すことなく清命はその全ての力を解放した。

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