絆の風景 1/夕焼けの願い

 遠野郷の空は、倫道たちが訪れた15日前よりも澄んで見えた。

 清々しい空気に包まれ、紅葉が始まった色とりどりの樹葉が太陽の光を浴びて煌めいている。


 しかし、その美しい風景とは裏腹に、訓練場の片隅では一人の青年が痛みに身をよじっていた。

 その青年、倫道の手は度重なる火傷で赤く腫れており、その度に彼の胸は痛みと共に熱くなる。

 だが、その火傷は彼の心の痛みを表しているわけではない。


 デルグレーネとの厳しい特訓により、毎度まいど全身に火傷を受けていた倫道だが、彼の眼差しには確固たる決意が宿っていた。

 皆を守る力への渇望、無力な自分への決別、それらの思いが彼の足を前に進めさせていた。


「よし! 次こそは……」


 両手で顔を叩き自分に気合いを入れた。

 訓練場の中央に立つ倫道は、デルグレーネへ真っ直ぐ視線を送る。

 彼女は数メートル先に静かに立ち、炎の力をまとう手を構えている。

 その炎は万物すべての物質を吸い込む様に、漆黒に染まり静かに揺れていた。


「今日の特訓も…… 実戦形式。全力で来きて、倫道」


 彼女の声は、冷静でありながらも、彼に対する期待を隠していない。


 倫道は深く息を吸い込む。

 デルグレーネの炎の魔法は、彼が今までに経験した中でもトップクラス。

 しかし、彼もまた、これまで15日間の訓練で得た力を隠し持つ。


「いくよ!」


 デルグレーネが声を上げると同時に、彼女の手から放たれる炎が倫道の方へ飛来する。

 しかし、攻撃を予測した倫道は側方へと身を避けた。


「よし! 来い! 黒姫ー‼︎」


 黒姫を顕現した倫道は、カウンターのチャンスを見逃さず、新たに習得した魔法を発動させる。


「闇の糸よ、かの者を縛り封殺せよ【影縫い】!」

 

 その瞬間、デルグレーネの足元に小さな黒焔針が5本突き刺さる。

 彼女の影に突き刺さった小さな針は、体の動きを封じた。


「――⁈」


 瞠目するデルグレーネ。

 倫道の初めて見せた魔法にまんまと拘束されてしまった。


(よし! 動きを止めた!)


 倫道は彼女との模擬戦で初めて先手を取った。

 夜な夜な沢渡にアドバイスを貰いながら、新しい魔法の習得に励んでいた努力が実ったのだ。

 にやける口元を隠しながら次なる攻撃体制に入った。


 しかし、デルグレーネもまた、彼の動きを予測していた。

 影縫いの束縛を上回る高熱で破壊すると、彼女は倫道の頭上へとジャンプし、上から一閃。火の剣と化した炎を振り下ろした。


「くっ!」


 倫道は、最後の瞬間に身を後ろに反らせ、剣撃をかわす。

 彼らの間には一歩も譲らない緊迫感が流れていた。


 この特訓は、デルグレーネにとってはまだ余裕がある。

 しかし、その中でも倫道の成長は明らかであり、デルグレーネも内心、彼の進歩に驚きを感じる事となった。


    ◇


 訓練を初めて数時間。夕陽が渓谷を流れる水面に映り、赤く染まった空が2人を照らしていた。


「はあ、あ、ありがとう…… ございます」

「うん、よく頑張ったね。大丈夫?」

「は…… はい、だいじょうぶ…… です」


 地面から湯気が立ち上がり、白いモヤが漂う。

 高熱に曝された岩が赤黒く熱を帯びている。

 倫道は大地に寝転びながら激しく胸を上下させ、苦しそうに息を切らせている。

 私は寝転ぶ彼の顔横まで近寄ると、しゃがみ込んで顔を覗き込んだ。


(……今日もいっぱい火傷させちゃったな)


 彼の顔、手、戦闘服のあちこちが炎により焼け焦げ、所々が赤く火傷になっている。

 持ってきた荷物からごそごそと目当ての物を探す。

 沢渡が用意してくれた回復薬だ。


「これ、かけるね」


 私は手にした回復薬を倫道の火傷をした顔にふりかけると、傷が煙を立てながら治っていく。

 ホッとしながら残った液体を彼に飲ませると、思わずじっと見つめてしまう。


「ありがとうございます…… あの、俺の顔に何か付いてますか?」

「――⁈」


 倫道が顔を赤らめて問いかける。

 思わず私も慌てて首を振って言い訳をする。


「ううん⁈ 火傷の痕が残らないかなって…… 心配で見てた」

「あっ、なるほど。ありがとうございます」


 私の言葉に倫道が照れ臭そうに横を向く。

 彼の笑顔がほころぶと、私は彼の顔をまたもや見つめる。

 その笑顔には、かつての想い人、ヴィートの面影が浮かんで見えた。

 私は途端に寂しくなり、その感情を隠すべく頭を少しだけ下げた。


「しかし…… 教官はやっぱり強いですね。まだまだ足元にも及びません」


 回復薬を飲み干した倫道が、笑顔の中にも悔しさを漂わせて話しかけてくる。

 こんな負けず嫌いな所もヴィートの影をダブらせる。


「ううん。倫道はすごく強くなっているよ」

「いえ、結局は手も足も出ませんでした」

「そんな事ない! さっきの【影縫い】?って魔法。ビックリした…… あんなの見た事なかった」

「とっておきだったんですけどね。沢渡さんからヒントを貰ってずっと練習していたんです」

「えっ…… 私に内緒で2人で練習してたの?」

「はい、そうなりますね」

「ふ〜ん……」


 なんだか行き場のない怒りが湧いてくる。

 もちろん倫道や沢渡さんにも非はないにも関わらず、胸の中がモヤモヤする。

 私の不機嫌な様子を感じたのか、倫道が困惑した表情となったので話題を変える。


「あの魔法、私には出来ないけど、どうやったの?」


 その一言で彼は嬉々として得意げに語り出す。

 どうやらあの魔法の原理は、影には関係なく足元に高熱を発生させ一瞬だけ空気が物理的な障壁として作用し、その結果、対象の動きを止めるとの事。

 沢渡からのヒントは、熱と空気の関係性や物理的な障壁の作用に関するもの。倫道はそれを元に、この新しい技を開発したという話であった。


「……私にはよく分からない…… でも、実戦ではかなり使えると思う」

「本当ですか? 良かった。でも簡単に破られちゃいましたけど……」

「うん、魔法の力自体が弱かったのが原因。もう少し強度を高めればいいかな」

「なるほど……」


 この魔法の使用には注意が必要で、高い魔力制御能力を要求される。

 熱の壁を形成するタイミングや、炎の強度、持続時間など、多くの要因を正確にコントロールする必要があるためだ。

 アイデアはいいのだが、倫道の魔法コントロール能力が追い付いていないのが原因である。


「ご教授ありがとうございます! やはり基本ですね。精進します!」

「うん、頑張って」

「あ、それともう一つお願いがあるのですが……」


 倫道から初めてのお願い。

 心臓が少しだけ高鳴る。


「なっ、何かな……」


 至って冷静にクールに返事をする。

 彼は言いずらそうに何度か口の中で言葉を言い直す。

 胸の鼓動が早くなる。


「えっと…… レーネ教官はナイフに炎を纏わせて近接戦闘をしますよね。俺も刀に炎を纏わせて【焔裂剣】って技を使うんですが、教官ほど上手くいかなくて…… 五十鈴のやつと魔力を刀身に込める技を練習しているのですが、どんどんと離されていってて……」


 うん、なるほどね。

 一瞬にして高鳴っていた鼓動は平坦となる。

 何を期待していたのだろう…… 自分の浅はかな思いに顔が熱くなるのがわかった。

 いや、待てよ。それよりも気になる事を言った気がする?


「倫道、あなたは沢渡さんだけではなく、十条さんとも2人っきりで練習してるの?」

「い、いや。2人っきりでは……」

「どうなの⁈」

「ま、まあ、2人になる時も多いです」

「今まで隠れて、夜に、2人で、内緒で、練習していたと」

「……はい」


 なるほど。私に勝つために、私以外の女と仲良く特訓をしていたわけだ。

 それも2人も。

 思わず腕を組み腹の底から湧き出る怒りを抑え込む。

 別に倫道が誰と仲良くしようとも彼の勝手だ。私が怒る謂れはない。

 でも…… しかし…… やっぱり……


「何か不味かったでしょうか?」


 困った顔で覗き込む倫道。

 蒼を帯びた深い黒い色の瞳が申し訳なさそうに歪む。


「五十鈴の魔法はリーナから聞いている。彼女は無属性、純粋な魔力を刀身に宿す。対して倫道、あなたは炎属性の魔力。根本的に違う」

「ああ、……なるほど」

「だから今日から私が教える」

「ええ⁈」

「なに? 私じゃ――」

「本当ですか? 願っても無いです!」


 輝く笑顔で喜ぶ倫道。

 彼は私の手を両手で握ると、はしゃぐ子供の様にブンブンと振る。

 豆だらけのゴツゴツとした手の平、必死に訓練した兵士の一人前の男の手だ。

 しかし、瞳を弓なりに喜ぶ様はまるで少年みたい。

 そんな彼の姿に毒気を抜かれた私は、釣られて笑顔になると倫道に手を握られている状況に急激に顔が熱くなる。


「わ、わかったから…… 手を離して」

「あっ、つい嬉しくて。すみません」

「じゃあ、今日から夜も訓練するから、覚悟しておいて」

「望むところです! よろしくお願いします!」

「……うん」


 彼の顔を見れず背中を向けると、私はそのまま訓練の終わりを告げて1人先に宿舎へ戻る。

 谷間を吹き抜ける風がのぼせた体を心地よく冷ましてくれていた。

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