第二輪ーオーキッド・フォーサイスについて

 キディの残した戦績に関しては、国の資料に残っていると思われるのでどうかそちらを見て欲しい。一つ一つ取り上げているとこの本が二冊目に到達してしまう。


※国の資料 エルドラルク国立図書館にある、『オーキッド・フォーサイスの英雄記録』のこと。


 私が紹介するのは、キディの人となりについてである。先に宣言しておくが私はこの国で一番のキディのファンである。そのため、だいぶ偏った目線でしかキディを語らない。もっと簡潔に言うなら多少仲良い故の貶しもあるにはあるが、基本褒めしかしない。史実の参考にする際はどうかこの本単品で使用することのないように。


 フォーサイス家は国の中で唯一の魔術師爵を持つ家系だ。事実キディ以外の全員が二つ以上の属性を所持していたし、それぞれ強力な威力を放つことが出来た。その的確さと言ったら目を見張るものがあり、私も彼らから色々と盗んだものもある。


 しかしキディは属性を所持していなかった。どころか、精霊すらついていなかった。無属性魔法というのも存在しているが、その無属性魔法すらも撃てなかったのである。


※無属性魔法 属性を所持していないものが使える魔法。しかし難易度が高い。


 その理由は後述するが、キディはそれに対して特に気にしてはいなかったようである。と言っても、魔法が使えないと話す時は大抵気まずそうにしていたが。


 魔術師家系の中、魔法が使えなかったものだから、キディは相当家庭内でも外でも苦労したようだ。エルドラーダが流暢でないこともまた拍車をかけていたように思う。

 とかく居ないものとして扱われ、時には夕飯さえ用意して貰えなかった時もあったのだそうだ。もっとも、この理由も後に意外な事実と共に判明することになるのだが。


 私は私で家庭環境がまあ悪かったものだから(当時弟が産まれたこともあって)、騎士としての訓練だけして、基本キディと遊ぶことのほうが多かった。


 先述した通り、キディは自由人である。基本何を考えているかは分からないし、何も考えていない時もある。突拍子もないことを言い出すのなんて珍しいことではなくて、つい先程まで剣術の話をしていたのにいきなりカエルの話をしはじめたり、なんてこともざらにあった。その度に「何の話?」と聞き返すのは、今になっても変わっていない。


 そのくせキディは人の感情を読むのが異常に上手かったりする。私が顔に出やすいのかもしれないが、何も話していないのに何かを察して、大丈夫だよ、と言ってくれるのだ。こういう時は大体エルドラーダだった。

 今となっては私ももう実年齢も精神年齢も歳を重ねてしまって、特にキディに精神面で救われることもないのだが。嬉しくもあるが、寂しくもある。


 私たちは基本、キディはエスパニャーダで、私はエルドラーダで会話をしている。それは単に、お互いの言語を聞き取れはするが話せはしないからだ。というより双方これで会話が成り立つのなら別によくないか、というので話がまとまってしまったので、おそらく今後私がエスパニャーダを話せるようになっても話すことはないだろう。


 キディは心優しいが、一方で他人に興味の無い部分が垣間見えるときがある。たとえば誰かがキディを悪く言ったところでその喧嘩を買いには行かないし(私が大抵買うので意味は無いのだが)、キディの家族がキディに興味が無いとわかるとすぐさま切り捨てるだけの度胸もある。私は割と決断までに時間が要ったため、あっけらかんと「まあお金だけ貯めてさっさと家出りゃいいじゃん。お前の魔法の才ありゃあどうとでもなるよ。僕もそうするつもりだし(意訳)」と言い出したときには驚いたものだ。実際彼はギルドで稼ぎに稼いで十六には家を出たため、感嘆の息を漏らす他ない。

 もっとも、その話をしたのは一周目で、家を出たのは二周目の話なのだが。


 私は家を出ることはしなかった訳だが、その理由もまた後に記そうと思う。


 しかし、もちろんだが、私は家を、家族を愛していたわけではない。愛されていた訳でもない。


 私は家が嫌いだった。父がいる日は父が母、あるいは私を殴り、父のいない日は母は酒に浸るか私たちに暴力を振るった。弟を守る余裕すら当時の私にはなく、ただ私は、いつ自分が嫡男でなくなってもいいように、必要な知識を弟に与え続けていた。

 そのために、私はよくキディの家に訪れていた。キディの家には、魔法書なり論文なりが数多く置いてあった。私は適当に本を漁り、キディの部屋で読み耽ることが好きだった。その間キディは爆睡していて、私も満足したら布団に潜り込んで眠る、なんてことを繰り返していた。


 当時は、キディのそばにいる時が唯一の平穏だった。キディは私を否定せず、かといって全てを肯定することもしなかった。五、六歳にしては随分と達観した考えを持つ彼に、私は酷く救われていたのである。

 たとえば、私は学問においては同世代の誰にも引けを取らないと自負していたが、反面経験に置いては弱かった。その点について特に気にしたことは無かったのだが、彼はそれを欠点だと訴えた。


「空を飛ぶ感覚なんて空を飛んだ人にしか分からないし、泳ぐ感覚なんて泳いだことある人にしか分からないよ。読んで知った気になってても、案外経験してみたら想像とは全然違った、なんてことざらにあるんだから。経験したからこそ分かる感情っていうのも、あるんじゃないかな?分からない感情に同意するのって難しいよ」


 とまあ、このようなことを言われた覚えがある。もう一度言うが、これを言われたのは私も彼も五歳か六歳ほどの時の話だ。精神が成熟しすぎてはいないだろうか。


「だからね、テオ。数年は家で経験を積んだ方がいいと思うんだ。テオは賢いから、きっと数年で得られるものは全て得られるよ。とりあえず中等部卒業までは頑張るんだ。僕も、テオもね。ひとりだと心細いかもしれないけど、二人ならなんとかなるよ。辛いことがあったら、僕と共有しよう。痛いも怖いも、全部一緒に背負うし、全部聞くよ。だから、腐らずに頑張るんだよ。中等部を卒業するまで、ずっと」


 これは私が相当感銘を受けたのだろう、当時の日記に綴られていたものだ。二周目は七歳の頃からの始まりだったため、残っていたのだろうと思われる。


 宣言通りキディは私の悩みも苦しみも全て聞いてくれたし、相談にも乗ってくれた。私が腹を殴られたと聞けばいつだってキディは顔を顰めていたし(父や母の悪口こそ言わなかったが)、そういう時はストレス発散だよ、とチャンバラをやったりもした。勝てたことは一度もないし、今思うとキディがやりたかっただけな気はするが、それでも私が落ち込みすぎないようにしてくれていたのは確かである。


 キディは人に興味は基本なさげであったが、私に対しては情を持っていたと思う。それが何故なのかは分からない。キディの言う「悪意」を感じなかったのかもしれないし、ただ私がキディを好いているのがあからさまだったから、返そうとしてくれたのかもしれない。聞いたところでキディは「頼られたら基本誰でも助けるよ」としか答えてくれないので(まあその通りではあるのだが)、真相は未だわかっていない。

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