二人の奴隷 ②
脱走者——————その言葉に、肺腑の底が凍りつく。
「詳しくは知らねえっすけど、王宮の
口ぶりは自信なさげだが、ジュニの知識は正しい。
城壁「王の額」が完成したのは今から十年前。時を同じくして、王宮暮らしの
ザヒード王綬法典 第6章6条諸項————通称「女官禁足令」。
一つ、城門より踏み出づるを禁ず。
二つ、みだりに客人と
三つ、門外界の一切と文を交わすを禁ず。
…………という具合で、とにかく「王宮の
サフィの知っている範囲でも、たとえば酒宴の客と良い仲になって駆け落ちを決行し、マーハの市街地で捕まって連れ戻された踊り子がいる。
そして、禁忌を犯した
「…………職位の、永久剥奪」
サフィは覚えている。
あの連れ戻された踊り子は優秀で、人気序列でも上位にいた。しかし審問官の裁きには酌量など一切なく、一年の謹慎処分を受けたうえで職位は剥奪、見習いの
サフィにとって職位剥奪は―——―――ある意味、死よりも重い。
「もう、踊り子じゃいられないってこと……?」
冬の井戸水より冷たい汗が額から噴きだす。
鉄砲水のように思考が押し寄せ、サフィは溺れていく。
(どうしよう、どうしようどうしよう⁉ い、今からでも王宮の門に出向けば……!)
(無理っ! なんで外にいたのか説明できないと脱走犯にされる!)
(そうだ、あの
(無理無理っ! そんなので審問官は許してくれない……! 事情を聞いたって「衛兵をたぶらかして脱走の機会を待ってた」って思うに決まってる……! そもそも言い訳を聞いてくれる相手じゃないし……!)
(ってことは、つまり、つまり…………?)
ぐるぐる渦巻く思考から、ある結論を拾いだす。正面から王宮に帰るのが不可能なら、方法は一つ。
(………………ばれる前に、こっそり帰るっきゃない)
しかし、それを阻むのは難攻不落の「王の額」。
城壁としての堅牢さは言わずもがな。四つある城門は常に閉ざされ、国賓クラスですら二重三重の検問にかけられる常時厳戒態勢。完成してからの十年間、一人の侵入者も許していない。
(え…………あれ……? もしかして、これってもう……)
理解が進むごとに、じわじわと絶望感が
ひざを握りしめた手の甲が魚影のように揺らいだ。
「……………なあ、それ」
「あっ、さ、サフィ姉さんっ!」
サフィは呼ばれて顔を上げた。シドルクが何か言いかけたようだが、ジュニはお構いなしに
「王宮に帰りたいんでしょ⁉ 俺たちも手伝うっすよ! ほら、この小屋とか、しばらく隠れ家にどうっすか⁉」
「…………へ?」
ジュニの申し出の意味を、サフィは理解できなかった。
もちろん、サフィより外の世界に詳しいだろう二人が協力してくれるなら願ったり叶ったりだ。しかし、今のサフィは「王宮脱走」の現行犯。それを
「だ、大丈夫……! 二人には、関係ないし…………ていうか、ここも早く出なきゃ」
「遠慮は要らねえっすよ! そもそも俺ら、姉さんに願われたら絶対やるつもりだったんすから!」
ジュニが折れる気配はなかった。その押しの強さには少し違和感を覚えた。かといって、願ってもない提案を強く断れるほど今のサフィに余裕はない。
ちら……と、シドルクの方に視線をやった。さっきの言葉を引っ込めたきり、武神の石像よろしく腕を組んでいる。
「………………『お願い』……」
ふと、一つの考えが浮かんだ。
「じゃあさ、約束にしない?」
「約束……っすか?」
「わたし、二人の『お願い』を叶える。一人に一つ、何でも。そのかわり、王宮に帰るまで味方になって欲しいの。…………どう、かな」
「………………!」
シドルクの眉が動いた気がした。一方、ジュニは美少年らしさのある両目をまんまるに剥いていた。
「な、なんッ……でも…………⁉」
ジュニ少年の視線が、向かい合ったサフィの肢体を余すところなく走査していく。
ぷるんとした珊瑚色のくちびる、はだけた胸もと、くびれた腰、太もも、鎖骨、それから――――
「姉さんが言うなら仕方ねえっす! 兄貴、それで良いっすね⁉ ね⁉」
ジュニは鼻息が荒いのを語勢でごまかした。
「………………わかった、それでいい」
「…………! ありがとう……!」
そこにサフィが現れなければ「脱走」は確実に明るみになり、兵士を動員しての大捜索が始まるだろう。そうなれば、右も左も分からない砂の都に逃げ場などない。
味方となるのは二人の奴隷、ジュニとシドルク。
かくして、この日。
踊り子人生を賭けた、サフィの王宮帰還作戦が始まった。
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