悪食竜の吐息
金纏宮、右翼殿の三階。
その廊下では、ちょっとした騒動が起きていた。
「く、臭っさい……! 何のニオイなの……⁉」
漂ってくる悪臭に、住人である
三階には、専門職である
「ああ、だめ……! サフィ、負けないでぇ……!」
踊り子隊「
異臭の発生源は、マルシャが飛び出してきた
二人とも、まるで大掃除のように鼻と口に布を巻いていた。
「こ、このニオイは何なの⁉ あんたたち、その部屋で何して――――」
部屋をのぞきこもうと近づく
「近づいちゃ駄目です! 中で倒れたら誰も助けられませんっ!」
「ちょ…………何なの⁉ どきなさいって!」
涙ながらに訴えるマルシャ。無理に振りほどくわけにもいかず、その
「その子の言うことを聞きなさい。じゃないと死ぬわ」
ネフリムが凄みを利かす。舞台さながらの女帝ぶりに、集まった面々は思わず一歩下がった。
「今日のお昼は、フブス一個と玉ねぎのアーシュでした」
「は、はぁ……?」
「でも…………そんなのじゃ、サフィには全然足りなかったんです。大饗宴が近くて、最近ずっと朝も夜も稽古してたから、きっと何も考えられないくらいお腹をすかせて…………そんなとき厨房で、たくさんのヤムが
「ヤム? ヤムって、あの芋のヤム?」
「そう言えばトルマーラさん、ヤムがごっそり無くなったって言ってなかった?」
「わたしたちが部屋に帰ると、サフィはもう、無我夢中でヤムをほおばってました。一個や二個じゃないのは明白でした。だって、そのお腹はもう…………カエルと同じでしたから」
「な、なんで………?」
「食べ過ぎて胃袋が…………って最初は思ったんです。そうだったらまだマシでした。サフィは言うんです…………『なんだか体が軽くなってきた』って」
気づけば、廊下に集まった全員がマルシャの語りに聞き入っていた。
「ヤムを食べ過ぎると、ほら、その…………。あれはもう手遅れでした。お腹は膨らんで、膨らみきって…………そして限界を迎えた瞬間、炸裂したんです」
「さ、炸裂って……!」
「はい、それはもう途方もない、まるで
マルシャが咳こんでみせる。部屋から漂ってくる悪臭は、なおも濃さを増しているように感じた。
「」
「まだ終わりじゃありません。いつまた『次』がくるか予測不能……! 部屋をのぞいた瞬間、顔面直撃、ぽっくり失神! そうなったらもう、誰にも……!」
ひっ……!と悲鳴をあげ、
「そういうコトだから、しばらく部屋に近づくのはお勧めしないわ。それと、わたしとマルシャの分の仕事を数日やってくれると助かるわ。このニオイ、食材とか洗濯物につくと嫌でしょ?」
「いッ……! わ、わかったわよ……!」
集まっていた野次馬が
十秒もしないうちに、廊下には二人だけが残された。
「ネフリムぅ………本当にこれで良かったの?」
「落ち着いて考えれば分かるはずよ。ヤムを食べたくらいであり得ない、って」
ネフリムは肩をすくめる。後ろ手に、液体の入ったガラスの小瓶が二つ握られていた。
「あとでコレを見せて種明かししましょ。『ぜーんぶズル休みのための嘘でした』ってね」
一本は火山地帯でとれる硫黄から、もう一本は動物の死骸から精製されたもの。どちらも「錬金術」と呼ばれる研究の副産物だ。
「これをくださった『
ネフリムには人脈があった。類まれな知性に、序列一位「
ここにある小瓶は、「美女にモテる香水」を精製しようとした術師に協力し、おまけで譲られたもの。香水は完成し、今では宮廷人たちに結構な値段で売れている。売り値の一割はネフリムのへそくりに納まっていた。
しばらく待っても、異臭のする部屋に近づく者は現れなかった。
あとは大饗宴の日まで、部屋をのぞく者、寝台の毛布をめくる者を追い立て続ければいい。完全無欠ではなくとも、ここにサフィの
「…………ところでさ、ネフリム」
マルシャは、部屋のすみに置かれたかごを見た。
「あのヤム、いっぱい盗んできちゃったけど…………どうするの?」
「当分おやつには困らないわね」
「うへぇぇ、ここで食べるのぉ……⁉」
部屋にはまだ、限りなく「本物」に似た香りが充満していた。
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