星が墜ちた日 ③
カァァー……ン
カァァー……ン
カァァー……ン
日没が近づくと、王宮の北端にそびえる大鐘塔が「夕刻の鐘」を鳴らし始める。
のびやかな金属音がマーハの街並みに響き渡り、市街各地に建てられた鐘塔は、輪唱するように次々と続く。
昼は悪魔の時間、夜は女神の時間。古くから砂漠の民はそう言い習わした。夕刻の鐘は、炎天下を生き抜いた命に一夜の安らぎを与えてくれる
もっとも、昼の仕事を残すような怠け者は、その限りではない。
「違うよサフィ! そっちのは石鹸水だよっ!」
「うえぇ⁉ ごめん、浸けちゃった!」
「ああもう、こっちで
あの修羅場から戻ってきたサフィは、マルシャとネフリムに急かされて洗濯を再開した。
洗い鉢に一つかみの
他にいた
「ちょ、ちょっと!? 今ごろ何してんだい⁉」
その時。
通りかかった
「アンタたち、もう
「ご、ごめんなさいトルマーラさん! 終わらなくて……」
「いいから行きな! ほら、これも!」
ぽぉーんと投げ渡された貝殻には、新鮮なアロエベラを練りこんだ
洗い場は、目的地である
夕空に輝いている金色のドームをめがけ、三人娘は地を蹴った。
「ネフリム、まだ間に合う⁉」
息を弾ませながら、サフィは左後ろを走るネフリムに尋ねた。
「ちゃんと影は見てたわよ。大丈夫。昼のうちに全部運んでおいて正解だったわね」
「いよしっ!」
「ふへぇぇぇぇ……! よかったよぉ……!」
香ばしい煙をもうもうと吐く煮炊き場。
だが。
そこでは、腕組みをした年配の
「…………ネフライエ=ウル=ナスィーム」
「はい」
「マルシャ=サルサラーン」
「はひぃっ!」
「サファルケリア=ウル=アシタファ」
「は、はァい……」
「こォの遅刻魔どもッ! さっさと『化粧部屋』行ってきなァ!」
「すみません」 「「すいませんっっ!」」
平謝りをして、三人は中央正殿の中に駆けこんだ。
北側の奥まった廊下を走り抜けて、「化粧部屋」へと到着する。なんの変哲もない大部屋に、化粧道具やら何やらを抱えた
今ここは、王宮でも数少ない、男子禁制の聖域。
ぱさ…………と。
その部屋に入った三人は、見すぼらしい亜麻の服を脱ぎ去った。
夕刻の鐘から、すでに一時間が過ぎていた。
斜陽はすっかり砂漠に沈み、待ち望んだ夜が訪れる。
金纏宮の大ドームの下————迎賓広間では、すでに百人以上の客が酒盛りに興じていた。
居並ぶのは、マーハの経済圏を支える大商人や大地主。香草をきかせた七面鳥の
しかし、客の男たちは気もそぞろに何かを待ちわびていた。目をやる先は、迎賓広間の中央に
「ええ、御一同。長らくお待たせしました」
宴の司会役が手を伸べる。歓談していた客が、吸い寄せられるように耳を傾けた。
「今宵お目にかけますは、当代きっての名手『
どよめきが起こった。
その名を知っているらしい観客は耳を疑い、目を丸くする。
「演目は『
その瞬間。
幕が引かれ――――——ぱっと燭台の光を浴びる。
純白のサテンシルクに身を包み、薄紫色のヴェールを携え。
黄金のチャームが揺れるたび、ラピスラズリも
すぅ……と、跪いた姿勢から立ち上がる。伏せられていた顔が見え、絨毯席にいる客たちが目を奪われる。
「おおおお…………あれが本物の……!」
踊り子隊「
マーハ王宮にある十五の踊り子隊。それらの最高峰として知られた砂漠の至宝。
雨あられと殺到する視線。舞台の下には
ベンッ…………と第一音。
一輪の花のように手を差しのべ、
(さあ、ご覧あれっ!)
負けん気たっぷりの笑顔を浮かべて、サフィが躍動する。
つま先を浮かせ、氷上を滑るような左ターン。
しゅるらっ!と切り替え、風を抱きながら三連スピン。
指輪に結ばれたヴェールが、雲を、嵐を、舞いとぶ花吹雪までも変幻自在に
「おお、これは…………なんと………………!」
しなやかに波を打つ「蛇の手」。くびれたウエストを露わに、骨盤のうねりで強調されるボディライン。あでやかに優美に、刻一刻と変わるシルエットで客の目を魅了する。
野太い歓声は止んでいる。
タダ酒に夢中だった商人までもが、サフィたちの舞台に魅入られていた。
しかし、これはまだ演目前の
演目名「
古い寓話をベースにした、
ある砂漠の町に、オアシスの泉へ祈りを捧げる乙女がいた。ある日、町は
このモチーフを。
一片の言葉もなく表現してのける力が、「
(ここから、こうで、こうっ!)
乙女を演じるのはマルシャ。ふわっ……と身をかがめ、その落差でヴェールを宙に置きざりにし、翼のようなシルエットを描く。年齢らしからぬ演技力には、観る者を劇中世界に
(初めてのお客が多いわね。ちょっと大袈裟な方がいいかしら?)
マルシャもネフリムも、もし他の踊り子隊にいたなら間違いなく看板をはれる逸材。
そんな二人が紡ぎ出した世界で、鳴りを潜めていた主役が動きだす。
(すごい……! 二人とも最高に仕上がってる……! でもっ!)
そして来たる、「
沈みゆく乙女の身に―――——―妖しく美しい
(こっから先は…………わたしの時間っ!)
ひゅあんッ! 太刀風をおびるようにシャープな円転。それが一秒も絶えることなく連鎖していく。体の軸は一切ぶれない。ヴェールの余韻を残しながら急反転、さらに勢いを増しながらターンを繰り出す。
ヴェールを漂わせる姿は、さながら紫煙をくゆらす魔の化身。
自由闊達を地でいくように、サフィの
(ううぅ~っ! 楽しい! 楽しいぃぃ〜っ!)
踊れる。それがただ嬉しい。心は弾み、玉になった汗が輝きながら散っていく。
「………………おお、おぉ……!」
百人はいるだろう観客が全員、感嘆のあまり声を詰まらせた。
たんッ……と踏みきり、サフィが背面跳びで宙を舞う。
ひゅるららららららららららんッ! 滞空中に体をひねりながらの跳び乱舞。残像のヴェールを狂い咲かせ、すとん……と着地。
「「「お、おおおおおおおおおおぉおおぉぉぉッ!」」」
鮮烈なパフォーマンスに、ついに沈黙が破られた。
稽古を重ねたとはいえ、この大技を本番でやってのける肝っ玉に、仲間の二人も舌を巻いた。
(…………流石に、これは真似できないわ)
(はあああぁ……! サフィ、やっぱり凄いよぉぉ……!)
(……………………あっ)
ふとした瞬間。サフィの視野に、迎賓広間の奥のほうが映りこんだ。
並び敷かれた紅色の絨毯に座るのは、三人の王族。
貫禄たっぷりな中央の男性——―—ドゥラーン=セム=ザヒード国王。
その右で爽やかに笑う美青年――――ジャムゥル=セム=ザヒード皇子。
そして、
現在唯一の正妃、ルベリエラ=ウル=ジルヴァ王妃。
(ほあああぁ……! お、王妃様が……みみみて、見て……っ!)
アイシャドウに彩られた、深海に誘うような瑠璃色の瞳。
ほんの一瞬、ひと目だけで十分だった。憧れの人に見られている高揚感が、サフィの理性をアメ細工よろしく
それでも、サフィの足さばきに狂いはない。幼い頃から
やがて、「
笑顔をふりまきながら舞台で一礼する。抜けるように高い大ドームを震わせる万雷の歓声。
「次、いつ踊れるかなぁ」
舞台の後ろに続く花道を歩きながら――――サフィは、彼女にしては珍しく独り言をもらした。
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