人語を解する道具 ①

 奴隷小屋で、初めての晩餐・・を開いた次の日の午前。


 サフィは一人、市場バザールの雑踏を歩いていた。

 紺青色の頭巾タルハで顔を隠しつつ、店頭に並べられた果物やらを目利きしていく。見た目はすっかり砂漠の町娘だ。


 あんな逃走劇を繰り広げてしまった翌日なので心配したが、ちらほら立っている巡邏兵がサフィを怪しむ様子はない。市場バザールでは窃盗や盗品さばきが日常茶飯事。よほどの凶悪犯でなければ指名手配してまで追ったりはしないらしい。


「…………美味しいわけないじゃない、あんなの」


 サフィの舌に、あの不快感が――――砂粒を噛んだ感触がよみがえる。

 奴隷たちは、あの食物もどきに不満を言うどころか、まるで極上の美味かのように涙を流していた。砂まじりの食事自体、何の抵抗もなかったのだ。

 生地を捏ねている時、確かに手触りには違和感があった。しかしまさか大量の砂が入っているなど想像もせず、結果として、あんな残飯以下のものを自らの手で食べさせてしまった。同時に焼いていた朝食の分も当然ながら砂入りで、どうにか砂粒を取り除けないか考えて窯に隠しておいたが、目覚めた奴隷たちが見つけ、サフィが寝坊して起きた頃には食べ尽くされた後だった。

 ふと、目に浮かぶ。

 口の端にザクロの粒をつけた、あの寡黙な顔が。


「あああぁぁもうっ! なんなの⁉ 『美味い』って!」


 端的すぎる感想。

 そこに何の裏もないであろうことが、サフィの胸をなおさらモヤモヤさせる。


 しばらく市場バザールを歩いて、目当てのものを置いている露店を見つけた。 

「岩塩と、黒胡椒と、この袋いっぱいに麦粉ください。あと、お肉があったらそれも」

「羊肉の燻製ならあるよ。しかし随分と買うね? お代は大丈夫かい」

「えーと、花金貨三枚…………で、どうですか?」

「気前のいい嬢ちゃんだねぇ! ほれ、おまけの干し豆だ」

「わっ、やった! ありがとうございますっ!」

 もう何度目かの買い物を済ませて、サフィは市場バザールを後にする。


 道を歩きながら、サフィは帰還方法に考えを巡らせた。

(あ、そうだ。門番さんを金貨で丸めこむっていう手は……⁉)

 ぱちん!と指を鳴らした。金貨の扱いを覚えたばかりのサフィにとって、「買収」は目新しい名案に思えた。もちろん、それを防ぐために城門には番兵が複数人いて、正面の門に至っては何重もの検問がある。名案は試される前にお蔵入りになった。


 買った品々をかごに詰めて、重さでよろめきながら奴隷小屋へ帰った。シドルクやジュニを含め、奴隷たちは全員で朝から仕事に出ている。昨夜あれだけ歌えや踊れと騒がしかった小屋が、今は空っぽだ。

 さっそく、サフィは昼食の準備にかかる。

 混じりっ気なしの大麦粉、水、パン種を、陶器のボウルで力いっぱいに混ぜて固める。岩塩を加え、日陰で寝かせる。ふくらんだ生地を切り分けて、平べったい楕円形にし、潰した黒胡椒をまぶして焼き窯へ。

 焼けたのは辛味と香ばしさが売りのフブスで、王宮ではバルバリと言う。若い衛兵たちに好まれる味だ。少し冷ましてから二つ折りにし、炙った羊肉の燻製をはさむ。どうにか人数分を完成させると、かごに入れて届けに向かった。

 こんなにも気合を入れているのは無論、ゆうべの雪辱を期してのことだ。


 やがて、「街はずれの麦畑」が見えてきた。


 市場バザールでにぎわう市街地からは遠い、テブリス河から灌漑かんがい水路を引きこんだ広大な麦畑。

 しかし、サフィの思い描いた農園風景とは違っていた。

 麦穂どころか草の一本も生えていない。だだっ広い土地の大部分が、なぜか白っぽく粉をふいている。よく見ると、奴隷たちが木製のシャベルを握り、粉をふいた表面を削っている。大きな麻編みの袋いっぱいに土を詰めると、一人一袋ずつ担いで運び、畑のはずれに停まっている荷車に積んでいく。

「もしかして、これが『塩掻き』?」

 麦畑を初めて見るサフィだが、知識は持っていた。

 雨の降らない砂漠でも灌漑かんがい農業はできるが、問題が一つ。地下から湧いてきて植物を枯らしてしまう「塩」だ。塩をふいた畑の表層を削って、よそから運んだよくな土を敷いていく。この終わりのない「塩掻き」は、男の奴隷に与えられる典型的な仕事だ。


 突如、パシィィンッ! という快音が耳をいた。

「いつ休んでいいと言ったッ! さっき水は飲ませたろうがッ!」

 神経質そうな顔をしたせぎす男が、身の丈よりも長い革鞭かわむちを振るった。背中を打たれた奴隷は、土を集めるふりをしてサボっていたらしい。

「あでで…………す、すんませんねぇ。あんまり働いたもんで、そろそろ昼時かと」

「働いただと⁉ お前はまだ十袋だ! あいつを見ろ、もう五十は運んどる!」

 へへぇと媚びて、サボリ魔は仕事場へと戻っていく。サフィは鞭の男が指さした方を何気なく見た。

「あ…………!」

 見るからに重い袋を両肩あわせて四つ。飼い慣らされた荷駄馬のような足取りで、のしのしと荷車に向かっていく大きな背中。黒い短髪の青年、シドルクだった。


 ちょっとした空白の時間があった。サフィは自分が棒立ちしているのに気づく。

 よく見ると、シドルクの後ろにはジュニが付いていた。――――と、にわかにジュニの体が傾く。肩に乗せている土袋の重みでよろめき、ついには崩れ落ちた。どしゃっ!と袋の中身がこぼれ、ジュニは動けないまま尻餅をつく。

「ハァ…………ハァ………くっそ……!」

 痙攣する足は、未熟な体に大きすぎる負荷をかけた証拠。しかし、鞭の男はジュニを見逃さない。畑の土を蹴散らし、倒れたジュニに近寄っていく。

 シドルクは鞭の男とすれ違い、振り向きもしなかった。


(え…………ちょっと⁉)


 サフィが固まった瞬間――――パァン!と音が炸裂した。

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