第１章 巡り合わせ
星が墜ちた日 ①
……………………フィ、サフィ」
…………？
なんだろ…………顔が熱いのに、手が冷たい。
あれ？
こんなに眩しかったっけ、月明かりって。
真っ暗で、あんなに怖かったはずなのに、こんなの――――
「サフィ。はい、五回は呼んだわよ」
突然、うなじに冷たいものが触れた。
「ひゃうあっっ!?」
雷鳴で飛び起きたネコよろしく辺りを見回す。奇襲の犯人は、探すまでもなく悠然と後ろに立ち、細い指から水を滴らせていた。
「ご機嫌うるわしゅう。サフィお嬢様？」
「くっ…………首すじはやめてったら、もうっ！」
なぞられた急所をさすり、サフィは恨み言をもらした。
肩をなぜる程度に切り整えられた髪、くすみのない小麦色の素肌、バネの効いた活発らしい体つき。着ているのは、亜麻の一枚布を縫っただけの粗末なチュニック。
頭が冴えると、周りが見えてくる。そこは屋外の「洗い場」だった。
街一つほども広い王宮敷地のうち、東西に横たわる
近くの煮炊き場から
日陰になった洗い場の一角で、腰をおろした少女が十人ほど、めいめいの器で洗濯物を揉んでいた。
サフィの指からも石鹸水が垂れている。どうにも洗濯仕事の最中、物思いにふけるあまり
「で、あっちの世界は楽しかった？」
「…………もう一回行ってきても？」
反省のない小娘の脳天めがめ、ずどむッ！と重めの手刀が落ちる。
「痛ったい！ 縮むっ！ 縮んじゃうからっ！」
気つけを兼ねた一撃で悶絶するサフィ。同年代に比べると少し低めな身長を気にしていた。
「サフィ、また王妃様のこと思い出してたの？」
今度は、サフィの右から声がした。
あどけない声と顔立ちの、サフィより二つほど歳下の
「あんた今、失礼なこと考えてない？」
「ひょッ……⁉ そ、そんなことないですけど？ ネフリム姉さま♡」
ネフリムと呼ばれた長身の
「ごめんねマルシャ。思いっきりサボっちゃった」
「んーん、大丈夫。ぼわぁ～って考えちゃうの、すごく分かるもん」
栗毛の少女はマルシャ。サフィが白昼夢を見ている間も、せっせと小さな手で仕事に励んでいた。
王宮は、王族以外にも
「わたしもね、たまに…………あれ？ あ、あっ……ねぇ、ねぇこれ！」
マルシャが汚れ物から何かを発見した。
薄いピンクに染められた、胴巻きのような布。
胴巻きそのものは珍しくもない。兵士が革鎧の下につけるほか、女性が腰まわりを細くする目的で使うこともある。
ありふれた衣類をつかんだまま、マルシャの瞳は、まるで異邦から流れついた宝物を見つけたように輝き出した。
「「あぁー…………」」
サフィとネフリムが顔を見合わせるが、もう遅い。
マルシャの心は跳ね馬になり、夢の荒野へと走り出す。
「こういう胴巻きってさ、たぶん兵士さん用だけど普通こんなカワイイ色じゃないよね？ じゃあきっと若い衛兵さんがさ、ちょっと気になる子…………あ、
このままでは本気で仕事が終わらない、と年長者の二人は判断した。
サフィがマルシャの手から「胴巻き」をかすめ取り、ネフリムにパス。ネフリムがそれをガボッ！と被せると、マルシャの頭頂部は、胴巻きには存在しない「底」を押し上げた。
「…………袋ね。たぶん汚れ物を入れてたやつ」
「……………………………うん…………」
夢の荒野から連れ戻され、マルシャは口を尖らせる。さっきまで無限のロマンが詰まっていた汚れ物袋を、しぶしぶと頭から脱ぐ。
しょぼくれた顔を見かねて、サフィは慰めた。
「でっ………でもほら、それだって贈り物かもよ？ 今あるの、ぜんぶ
「違うもん。着せなきゃ『俺の女』にならないもん」
解釈が違ったらしい。
マルシャの脳内に生み出された恋人たちは、もう何らかの物語を始めていた。
その時、ネフリムの耳が何かを聞きつけた。
「あら、帰ってきたみたいね」
「えっ、誰が？」
ぼさぼさに爆発したマルシャの栗毛頭をつくろいつつ、サフィは聞き返した。
「決まってるじゃない、皇子様よ」
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