2-7 カニバリズム

「カニバリズム……?」

 復唱ふくしょうした美月は、不安そうに首をひねっていたが、初めて知る言葉でも、ろくでもない意味を持つということは察したらしい。吐息をついた凛汰は、端的たんてきに言った。

「人間が、人間をうことだよ。または、その習慣を指す言葉だ」

「ひっ……じゃあ、まさか、食べてたかもしれない、ってことなの……? 櫛湊村くしみなとむらの人たちは……ひ、人を……?」

「あはっ、食べるわけないじゃん。美月ねえは、怖がりだなぁ」

 梗介きょうすけは、小さく笑った。気が抜けたようなあきれ笑いは、今までに見たどんな表情よりもあどけなく、年相応の顔に見える。以前に美月が、梗介のことを『基本的には素直な子』だと言った意味が、なんとなく凛汰にも分かった気がした。

「記者さん、さっきから美月ねえを怖がらせすぎだよ。キモい話しかできないの?」

「ごめんねぇ。でもさ、自分をおびやかすモノについて、知っておいて損はないでしょ? なぜなら、カニバリズムには、対象を『食べる』ことで、特別な力や効果が得られると信じられているケースもあるんだから。実際に、日本のいくつかの地域では、火葬後に故人こじん遺骨いこつを食べる『骨噛ほねがみ』という風習があったんだよ。天寿てんじゅまっとうした人や、尊敬すべき人の英知えいちを、遺骨を喰らうことで受け継ごうとしていたのさ。これってさ、人魚の肉を喰らって不老長寿を得る八尾比丘尼やおびくにの伝説に、通じるものがあると思わない? しかも、『死者を喰らう』イコール『黄泉よみに渡った者を喰らう』というふうに見方を変えれば、黄泉戸喫ヨモツヘグイの危険も出てくるわけだ。こうなってくると、禁忌きんきの見本市だよねぇ」

「よ、ヨモツヘグイ……」

 美月は、すっかり尻込しりごみしている。今度はカニバリズムのときとは異なり、意味を知っていたらしく「黄泉よみかまど煮炊にたきしたものを食べると、黄泉の世界の住人になる……って意味の言葉ですよね」と言ったから、三隅みすみが満足そうに頷いた。

「そうだよ。黄泉のものを食べると、現世うつしよには戻れなくなるのさ。黄泉戸喫については『古事記こじき』に記された日本神話で学べるよ。火の神様・カグツチを産んだことで亡くなった女神・伊邪那美いざなみを、夫の伊邪那岐いざなぎが黄泉の国まで迎えに行ったけど、時すでに遅し。もう伊邪那美は、黄泉の食べ物を口にしていた……おや、凛汰くんは『知ってましたけど?』って顔をしてるねぇ?」

「神話の知識はありますし、三隅さんがオカルト雑誌『ナタデナタ』に載せていた記事にも、ヨモツヘグイについて詳述しょうじゅつした回がありましたから」

 しれっと答えた凛汰は、今までに二〇一号室で交わされた会話を振り返る。

 三隅の情報は、どれも有益ゆうえきだ。ただし、三隅自身の推論や、他人が好き勝手に吹聴ふいちょうしている与太話よたばなしを含んでいるので、真偽しんぎの見極めが難しい。おそらく三隅は、他にも何かを掴んでいる。にもかかわらず、いくつかの手札てふだせているのは、この場に梗介がいる所為だろうか。あるいは、まだ凛汰を仲間だとは認めていない所為だろうか。前者が理由の大部分を占めているはずだが、後者も含めて口を割らなかった可能性も否定できない。静かに考え込んでいると、三隅はローテーブルに両肘りょうひじをついてニヤニヤした。

「凛汰くん。不老長寿の八尾比丘尼は、実在すると思うかい?」

「思いません。非科学的だから。――行方をくらました親父を、東京でさがしていた頃の俺なら、そう判断していたと思います」

「つまり、今は『実在する』と思っている……と。君の判断が変わったのは、やっぱりオカルトを受け入れると決めたからかな?」

「そうですね。それに、三隅さんが昨日の〝姫依祭ひよりさい〟の最中に言っていたように、櫛湊村には漁村の名残があるし、何らかの怪奇現象が実在すると考えたほうが、村人たちの異様な怖がり方にも納得できます。俺らに猟銃りょうじゅうを突きつけてまで〝姫依祭〟の進行にこだわるのは、神様からの天罰てんばつを本気で恐れているように見えるしな」

「……君って、本当に面白い人だねぇ。伝説や心霊現象について語っていながら、実に理性的な答えだ。いや、感情的な答えとも受け取れるかな」

「感情的? どこがですか」

「そういうところだよ。非科学的だ、なんて言葉が出てくるのは、君なりの納得感を欲しがっているように見えるよ。すなわち、どんなに非科学的な事象であれ、君なりに納得さえできるなら、信じてもいいと思っているわけだ。――君は、理性を重んじるように見せかけて、感情を優先するタイプだよ。そして、そんな己を認めることに、実は恐怖を感じている……違うかな?」

「三隅さんは、オカルト雑誌記者から占い師に転向したらどうですか」

 凛汰が、素っ気なく言い返したときだった。開けっ放しの扉から、アルトの大音声だいおんじょうが聞こえてきた。

「――梗介、どこにいるの? 梗介ぇ」

 尖った呼び声のみなもとは、階段か、一階の廊下だろうか。度肝どぎもを抜くほど大きな声が、二〇一号室までエコーする。びくりと肩をはずませた美月が「えっ、帆乃花ちゃん?」と声を上げた。梗介が身軽に立ち上がり、笑顔で「帆乃花ほのか!」と応じている。

「僕は、こっちだよ。三隅さんの部屋」

「油を売ってないで、早く戻って来なさいよ。こっちは忙しいんだから」

「すぐ行くよ。その前に、帆乃花もたまには、僕たちの会話に交ざって、櫛湊村の人間らしく〝まれびと〟をもてなしたら? ここには美月ねえもいるから、緊張しなくても大丈夫だよ?」

 沈黙が、流れた。ややあって、あざけり笑いを含んだ声で「じゃあ、行かなーい!」と聞こえた直後に、ザッと砂をる足音が響き渡る。美月が、傷ついた顔をした。梗介は「おむかえが来ちゃったから、僕はここで退散するね」とのんきに言って、床の紙束を飛び越えると、玄関で靴をつっかけ始めた。

「記者さん、凛汰。美月ねえを巻き込んだ悪だくみは、ほどほどにねー」

「待て、梗介。帆乃花と合流するなら、俺と美月も同行させてもらう」

「え、なんで?」

 無邪気に言い返した梗介は、凛汰を振り返りもしなかった。さっさと廊下へ出ていこうとする後ろ姿を、凛汰は冷静にめつける。

「帆乃花は、昨日の〝姫依祭ひよりさい〟に参加しなかっただろ。その時間帯の行動を、詳しく訊いておきたいからな」

「へーえ。凛汰は、帆乃花を疑ってるんだ?」

「疑われたくないなら、自分で潔白けっぱくを示せばいいだけだ。そんなに双子の姉が心配なら、梗介が同席しても構わないぜ」

「ふうん。調査したいなら、好きにすれば? 僕は、先に行くからね」

 ようやく振り向いた梗介は、双眸そうぼうを猫のように細めて笑うと、身をひるがえして駆け出した。カツン、とタイルを蹴る硬質の音が反響してから、砂を擦る音に変わっていく。凛汰もすぐさま立ち上がり、ボストンバッグを肩に提げた。

「美月。あいつを追うぞ。急げ」

「えっ? う、うん! 三隅さん、お話をありがとうございました!」

「うん。じゃあねぇ」

 三隅が、ひらひらと手を振った。リュックを背負った美月を連れて、凛汰は廊下に飛び出したが、すでに梗介の姿はなく、足音の残響ざんきょうも消えている。「まだ近くにいるはずだ」と言って、急いで階段を駆け下りたが――階下に降り立った瞬間に、不審な物音を耳が拾い、立ち止まった。前を行く美月の肩を、強く掴む。

「ど、どうしたの?」

「……追うのは、いったんストップだ」

 低くささやいた瞬間に、教員寮の入り口付近で、物音が一段と大きくなる。一〇一号室の扉が開き、中から大柴誠護おおしばせいごが現れた。右手はキャリーケースを引いていて、凛汰と美月に気づくや否や、驚いた様子で静止してから、気まずそうに微笑んだ。

「やあ、美月ちゃん。それに、凛汰くん……」

「大柴先生……」

 美月が、目をそむけた。当然の反応だろう。眼前の教師は、美月にとって裏切り者の一味だ。そういえば大柴は、美術室にいたときに、三隅と何やら話していた。まさか本当に追い出すとは、三隅の行動力には恐れ入った。大柴が扉の前から動かないので、道をふさがれる形になった凛汰は、苛立いらだちながら口を開いた。

「教員寮を〝まれびと〟にゆずってくれたんですよね。行く当てはあるんですか」

「はは……まあ、どうにかするよ」

 大柴は、ぎこちない笑みで答えてから、唇を結んだ。真面目な表情で「美月ちゃん」と呼び掛けて、ゆるゆると頭を下げてくる。

「昨日は、ごめん。どうか、僕を許してほしい。先生は、美月ちゃんを供犠くぎにしたいなんて思ってないんだ。そんなこと、僕が思うわけがない。本当だよ。絶対だよ」

「言い訳はどうでもいいんで、傷つけた自覚があるなら、さっさと消えてください」

 耳障みみざわりな台詞せりふを、凛汰は一刀両断した。大柴の肩が、ぴくりと動く。

「美月は、海棠かいどう家から教員寮まで歩いた昨夜も、騒ぎを聞きつけて美術室に行った今朝も、あんたと口をかなかった。……追い出された意味を、考えろよ」

「……きもめいじておくよ」

 頭を上げた大柴は、逆光が先ほどよりも明るい所為で、表情が全くうかがえない。やがて教員寮を出ていく背中が、視界から完全に消え去るまで、凛汰は大柴を睨み続けた。キャリーケースのこまを転がす音が遠ざかると、美月が「ありがとう」と囁いた。

「私のことだから、私が言わないといけないのに。凛汰に言わせちゃったね」

「廊下を塞がれて邪魔だったから、追い払っただけだ」

 ぶっきらぼうに言った凛汰は、教員寮の外に出るなり、眉をひそめた。地肌じはだしになった短い一本道の向こうには、寂れた田園風景が拡がるだけで、人っ子一人見当たらない。美月が、きょろきょろと辺りを見回した。

「梗介くん、もういない……」

 凛汰は、背後を振り返る。梗介の行き先は分からないが、自宅がある禁足地きんそくちに帰った可能性もあるだろう。鬱蒼うっそうしげる小山の向こうへ、行くべきか行かざるべきか逡巡しゅんじゅんしていると、教員寮のエントランスから三隅が悠々ゆうゆうと歩いてきた。意味深な笑みでアイコンタクトを送ってきたので、凛汰は「美月はここにいろ。すぐに戻る」と言ってから、不思議そうな顔の美月を残して、一人で教員寮に引き返す。

「どうしたんですか?」

「戻ってきてくれてありがとう。大したことじゃないんだけどさ、凛汰くんに言い忘れたことがあったから、一人で来てくれて助かったよ。あの子が聞けば、たぶん寂しがってくれる話を、君にしなくちゃいけないからねぇ……」

 ハナカイドウの花びらを乗せた春風が、三隅の長髪を揺らしていく。丸眼鏡の奥で目を細めた記者の男は、腹の内が読めない笑顔で、凛汰に平然と言ってのけた。

「凛汰くん。僕と君は、やっぱり仲間にはなれないようだ」

「……。どうしてですか」

「そのままの意味さ。僕と君は、住む世界が違うんだよ。殺伐さつばつとした櫛湊村から、美月ちゃんと一緒に脱出するために、知識を懸命に集めていく君は、おじさんには少しばかりまぶし過ぎたのさ。それに、僕には、一人で行きたい場所があるしね」

「一人で……どこに、ですか?」

「その答えは、次に僕らが出会うときに、きっと分かるよ。まあ、頑張って生きびてよ。あの子を、ちゃんと村から出してあげなよ? この櫛湊村で、本心から僕に優しく接してくれた人間は、貴重だからさ。個人的にも、助かってほしいと願っているんだよ。ああ、じょういちゃったのは、僕も同じかもしれないねぇ」

「三隅さん……?」

「凛汰くん。二度目の〝姫依祭ひよりさい〟をひかえた櫛湊村で、生き残りたいと願うなら、美月ちゃんに〝神がかり〟をさせることでしか、道は開けないよ」

 唐突な言葉が、凛汰から声を奪い去った。いつの間にか笑みを消していた三隅は、厳粛な声音で話し続けた。

「ただし、〝神がかり〟は巫女の命をけずる行為だ。良からぬモノを身体に降ろし続ければ、活路かつろを開けないまま、美月ちゃんは死ぬ。実際に、何人もの巫女が死んでいったんだから。誰かがやらなければならないことを、成し遂げるために、ね」

 台詞に、既視感きしかんを覚えたときには――三隅はきびすを返していて、教員寮に入っていった。一階の廊下の暗がりで、一度だけ凛汰を振り向くと、悪辣あくらつな笑みを見せてくる。

「梗介くんを、早く捜しに行きなよ。さっき、部屋のベランダから外を見たときに、田畑の方角に向かうのが見えたよ。――じゃあねぇ、凛汰くん。君と話す時間は、なかなか悪くなかったよ」

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