2-6 食べてはいけない

 三隅みすみ台詞せりふが、部屋に沈黙をもたらした。意表いひょうかれた凛汰に代わって、口火くちびを切ったのは美月だった。

八尾比丘尼やおびくに……本で読んだことがあります。人魚にんぎょの肉を食べて、不老長寿ふろうちょうじゅになった女の人……ですよね?」

「大体その通りだよ。八尾比丘尼とは、人魚の肉をらったことで長命ちょうめいとなり、八百年を生きたという伝説上の存在さ。比丘尼びくには、出家しゅっけしたあまのことだよ。日本各地に、八尾比丘尼にまつわる逸話いつわが残っていて、おまつりしている神社もあるんだよ」

「記者さんって、突飛とっぴな発想をするんだね。帆乃花ほのかが聞いたら、笑い転げると思うよ?」

 梗介きょうすけが、ニマニマと笑って三隅を揶揄やゆした。だが、凛汰が「黙れよ、梗介」と伝えると、真顔をこちらに向けてくる。凛汰も、負けじと視線をぶつけた。

「笑うかどうかを決めるのは、帆乃花ほのかじゃない。お前でもない。この俺だ。三隅さん、話を続けてください」

「凛汰くんは、男前だねぇ。梗介くん、モテる男はこういうタイプじゃないかな?」

「モテるとかモテないとか言っちゃって、気色悪きしょくわるいおじさんだなぁ。でも、今は〝まれびと〟の命令にしたがって、大人しく記者さんのトンチキな推理を聞いてあげるよ」

「監視者殿どののお許しが出たところで、八尾比丘尼やおびくにの話に戻ろうか。櫛湊村くしみなとむら崇拝すうはいされている〝憑坐よりましさま〟は、どんな存在なのか。まずは、海棠家かいどうけのお二人に聞き取り調査を行ったところ、海上安全と夫婦和合ふうふわごうつかさどる神様、という回答を得たけどさ、これでは神様の姿かたちをイメージしづらいよねぇ。そう感じる理由は、やはり名前が秘匿ひとくされている所為だよ。名は体を表すという言葉通り、真名まなとは、その人物の全てであり、魂そのものだという考え方も、日本には古くから存在するんだから」

 話を聞いていた美月が、こくりと頷いた。「言霊ことだま信仰ですよね。自分の真名まな言挙ことあげすることは、魂をさらけ出す行為こういで、自分の全てを相手にゆだねてしまうことだから、古代日本ではタブーとされてきたっていう……」と言ったので、凛汰は内心ないしん驚きつつも納得した。櫛湊村に馴染なじもうと努力していた美月は、ハナカイドウのことも調べていた。もし、美月の名字が不知火しらぬいのままで、今も東京で暮らしていたら、民俗学みんぞくがくとの接し方は、現在とは違った形になっただろう。三隅は「さすが〝憑坐よりましさま〟の巫女殿、詳しいねぇ」と美月をたたえてから、口調をわずかに改めた。

「美月ちゃんに訊いておきたいんだけど、そもそも憑坐よりましとは『その身に神様を降ろす者』を示しているということを、君は知っていたのかな?」

「は、はい。浅葱さんにせがんで、教えてもらいましたから。でも……言葉通りの役目を担うことになるなんて、思いもしませんでした」

 うつむいた美月は、今まで押し殺していたおびえを引き出されたのか、カーディガンに袖を通した両腕を抱きしめた。三隅は「なるほどねぇ」と相槌を打っている。

「古代日本の言霊信仰では、真名の言挙げは禁忌きんきとされていたし、憑坐は〝現人神あらひとがみ〟ととらえることはできるけど、それにしたって、いまだに名を明かさないのは、いくらシャイな神様でも、度が過ぎると思うんだよねぇ。つまり、おいそれと名乗れないほどの禁忌が、この神様――ひいては櫛湊村の根底に、隠されていると思うのさ」

「その禁忌から、どうして八尾比丘尼やおびくにを連想したんですか?」

 問いかけた凛汰は、梗介の様子をうかがった。とたんに、しっかりと目が合った。薄笑いのポーカーフェイスから、真意をかすめ取るのは難しそうだ。水面下のやり取りは筒抜けなのか、三隅は愉悦ゆえつを隠さずに笑ってから、推理の続きを語り始めた。

「櫛湊村では『若い娘に不幸が相次あいついだ時期があった』って話を思い出してごらんよ。そんな悲劇の理由を、美月ちゃんは『流行はややまい』だと嘘を吹き込まれていたようだけど、凛汰くんは『〝憑坐さま〟の巫女に選ばれた者は、心身に負荷ふかが掛かる』と推測していたね。この考えには根拠がないことを、君自身も分かっているね? それでも、歴代の巫女たちが薄幸はっこうだったことは事実だし、楚羅そらさんにしか巫女が務まらなかったわけだから、僕も君の意見に賛成だ。ただし、ここで思い出してほしいのは、櫛湊村では『十九年前の〝姫依祭〟が終わってからしばらくは、多数の死者・行方不明者が出て、〝憑坐さま〟のたたりだなんて噂された』歴史もあることだ」

 三隅は、右手を目線の高さに持ち上げると、長い指を二本立てた。

「この村には、死者にまつわる情報が二つあったわけだけど、後者こうしゃの『死者・行方不明者』には、若い娘たち――凛汰くんが指摘した『歴代の〝憑坐さま〟の巫女たち』がふくまれると思っているよ。ただ、情報が二つあるということに、理由を見出したくなるのが、僕という記者のさがでねぇ。櫛湊村では『歴代の巫女たち』以外の村人たちも、相当な人数が死んできたんじゃないかと思うのさ」

「それは、もしかして……昨夜の〝姫依祭ひよりさい〟のあとで、海棠家に集まったときに、ここの連中が言ってた供犠くぎのことですか?」

 海棠家の大広間で、村人たちに啖呵たんかを切ったときのことを振り返る。凛汰に反論してきた老人たちの台詞せりふには、思い返せば気になるものが一つあった。

「……『供犠くぎを選ばなければ、〝憑坐さま〟がじきじきに、我々の中から選ぶ。そうなれば、何人連れていかれることになるか』ってわめいてたな」

「そうそう、それそれ。まあ、それだけじゃあなさそうだけど、ともあれ――供犠くぎは供犠でも、村人に選ばれる供犠と、〝憑坐さま〟に選ばれる供犠なら、前者ぜんしゃのほうがはるかにマシって言いたげな気迫きはくだったよねぇ。〝憑坐さま〟がお選びになる供犠は、一体どんな死に方をするのかな?」

「三隅さんは、その死に方を知ってるんじゃないですか」

「いいや、そればかりは神のみぞ知るって奴だよ? ただ、凛汰くんと美月ちゃんには『隣町の那岬町なみさきちょうに向かう林道りんどうで、死体が見つかったことがある』って話もしたでしょ? その件をくわしく知りたかった僕は、不審ふしんな死体の目撃情報を、根気強く収集したんだけどさ……その結果、身体がグズグズにふやけている水死体みたいな肉塊にくかいや、足にびっしりとうろこやした上に、都市伝説のテケテケみたいに、腕だけでいずってくる化け物を見た、なんて眉唾物まゆつばものの話を、いくつか耳にしたんだよねぇ……」

 美月が、目に見えて顔色を青くした。梗介は、相変わらず顔色一つ変えていない。凛汰は、しばらく考え込んでから、三隅に淡々たんたんと問いかけた。

「三隅さんは、眉唾物だとは思っていないみたいですね。そのうわさ話に出てくる不審な死体や、死にかけっぽい人間が、〝憑坐さま〟のたたりを受けた人間の末路まつろですか?」

「確かなことは言えないけど、祟りと無関係ではないだろうね。噂話の人体は、いずれも水辺ではなく陸地で目撃されているそうだし、引き上げられた土座衛門どざえもんとして処理するには、見た目も奇抜きばつだからねぇ。……ま、噂話はこれくらいにしておこうか。〝憑坐さま〟の正体は、海に所縁ゆかりがあるものだと思った理由は、他にもあるよ」

 三隅は、床に散らかった紙束の山を、おもむろに腕で示した。

「これらは、那岬町なみさきちょうの図書館に保存された郷土資料きょうどしりょうのコピーだよ。古い地方新聞の複製ふくせいもあるね。さまざまな文献を精査した結果、なんと遙か昔の櫛湊村では、船霊ふなだまを信仰していたことがわかったのさ。船霊については、凛汰くんには昨日の〝姫依祭ひよりさい〟で話したよねぇ。美月ちゃんと梗介くんは、知っているかな?」

「知ってるよ。蛇ノ目じゃのめ家の人間だからね」

「私も……楚羅そらさんと浅葱あさぎさんから、村の成り立ちを聞いたときに、元々はオフナサマを信仰していた歴史があるって……でも、八尾比丘尼の話は、初めて聞きました」

「了解、話を戻そうか。といっても、悲しいかな、語れることには限度があるんだよねぇ。何しろ、那岬町なみさきちょうに関する郷土資料は、そこそこの量を容易たやすく入手できたけど、櫛湊村に関する郷土資料は、雀の涙ほどの数しかなくってさ。漁船の守護神をあがたてまつ船霊ふなだま信仰が、いつ、どのような経緯で、現在の〝憑坐さま〟信仰にすり替わったのか……ずっと調べてきた僕でも、いまだに割り出せないのさ。まあ、いのりをささげる対象が、長い年月を経て変化するという現象自体は、古今東西ここんとうざいで起こっているから、さほど珍しいことじゃないけどねぇ」

「それ以上の調査は、難しそうですね。絶対に何かを知ってる村人たちも、三隅さんの取材には非協力的だろうしな」

「凛汰は、僕に文句を言ってるの? 悪かったね、非協力的な村人で」

 梗介が、話の腰をってきた。美月が、困り顔で「梗介くんのことじゃないよ」とささやいてなだめている。嘆息たんそくした凛汰は、梗介を無視して三隅に言った。

文献ぶんけん口伝くでんをたどることに限界があっても、かつて村人たちが船霊ふなだまを信仰していた歴史は、確かな真実ですよね。三隅さんは昨日の〝姫依祭ひよりさい〟で、俺に船霊信仰を説明したときに、御神体ごしんたいは『将棋しょうぎこまみたいな形をした木製の器に入れて、船の柱のくぼみにめて、魔除まよけの御守りにしていた』って話してましたよね。櫛湊村の土台に船霊信仰があるなら、木船きぶね帆柱ほばしらくぼみがあるって話が、昨日よりもに落ちました」

「凛汰も、知ってたんだ。木船に、窪みがあること……」

 美月は、驚いている様子だった。〝姫依祭〟でまい披露ひろうしていた美月は、凛汰と三隅が話し込んでいたことを、この場で初めて知ったのだろう。「ああ」と頷いた凛汰は、一つ思い出したことがあり、三隅に追加で質問した。

「十九年前の〝姫依祭〟で火事があって、御神体は焼失しょうしつしたんですよね。もう正解は確かめられませんけど、〝憑坐さま〟の正体が八尾比丘尼やおびくになら、十九年前まで木船きぶねに収められていた御神体が何だったのか、三隅さんには分かりますか?」

「そりゃあ、遺骨いこつ遺髪いはつだと思うよ? ――八尾比丘尼の、ね」

 張り詰めた静寂せいじゃくが、しんと室内を支配した。美月の小さな息遣いが、しじまかすかなひびを入れる。やがて続いた梗介の哄笑こうしょうが、ささやかな亀裂きれつを大きくした。

「大きく出たね、記者さん。人魚が実在していて、しかも人魚を食べたあまも実在していて、さらに〝憑坐さま〟の御神体として、八尾比丘尼の遺骨いこつ遺髪いはつが、十九年前まで木船に収められていたなんて、とんだ誇大妄想こだいもうそうだよね。大体さ、さっき美月ねえが、八尾比丘尼のことを『不老長寿』って言ったけど、僕は『不老不死』だと思ってたなぁ。死なないはずの八尾比丘尼が、遺髪はともかく、遺骨なんてのこせるかな?」

「不老長寿か、不老不死か。表現の違いは、伝説が残された地域差も関わってくることだから、目くじらを立てるようなことではないよ? それにさ、八百年も生きていれば、不老不死として語りがれても無理はないでしょ」

「そういえば、私……八尾比丘尼が長生きってことは知ってたけど、どんな最期さいごむかえるのかは、知らないかも」

 美月が、唇に右手を沿えてひとちる。凛汰が「俺も」と同調すると、得意げに頷いた三隅は、いつぞやの梗介のように、立て板に水のごとく話し始めた。

「八尾比丘尼が迎える最期の例としては、八百年を生きてから、入定にゅうじょう――断食だんじきめといった苦行くぎょうおのれすことでミイラ化する、という絶命ぜつめいが伝わっているよ。他には、数百年の歳月さいげつを生きた末に、残りの寿命じゅみょうを別の人間にたくして、長きにわたる人生にまくを下ろした、という伝承でんしょうもあるね。不老不死という言葉とは対立するけど、我々より身体の造りが頑丈がんじょうな彼女らにも、天に定められた寿命があり、永劫えいごうのような時の果てに、自らの終焉しゅうえんを作ることが可能、というわけさ」

「三隅さんは、つまり……『自らの命に始末しまつをつけた八尾比丘尼』が、現在の櫛湊村で『〝憑坐よりましさま〟と呼ばれている神様』だとにらんでいるんですね」

「おっ、まさにその通りだよ。やっぱり凛汰くんは、頭の回転が速いねぇ」

 拍手はくしゅをした三隅は、不意に――笑みの質を、陰湿いんしつなものに変えた。

「〝憑坐さま〟の巫女として、八尾比丘尼の御霊みたまを身体に降ろしている美月ちゃんの血肉は、人魚の肉に匹敵ひってきするご馳走ちそうかもしれないよねぇ? もしそうなら、村人たちが神様から『八尾比丘尼』という名前を剥奪はくだつして、憑坐そのものに敬称をつけて崇め奉ってきた理由の一つとして、恐ろしい予想を立てられるとは思わないかい? ――君が〝神がかり〟で降臨こうりんさせるはずの存在は、本来『食べた』側なんだけど、逆に君を『食べたい』という禁断きんだんの願いを持つ者が、実は、村人の中にいたりして……?」

 美月が、顔を引きらせる。見兼みかねた凛汰が「その最悪な言い方、どうにかならないんですか」と投げやりに抗議こうぎしてやると、「的確な言い方だよ? これ以上ないくらいに、ね。君だって分かってるくせに、ぶるのはよしなよ……?」と下世話げせわな含み笑いで返してきた。品性の欠片かけらもない言い方を、先ほどよりも強めにとがめようとしたところで、梗介が心底不愉快ふゆかいそうに「大人なんて、気持ち悪い奴ばっかりだ」と語気ごきあらげて吐き捨てた。きょとんとした美月は、凛汰と三隅、梗介の顔を見回している。三隅は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

「まあ、真面目な話、美月ちゃんを食べたところで、不老長寿の効果は得られないと思うよ? うつわの中身は神様でも、器そのものは人間の肉体だもんねぇ。怪我けがや病気の治癒ちゆといった、何らかの薬効やっこうくらいは期待できると信じて、君を食べようとするやからが現れないとは限らないけど、カニバリズムの禁忌きんきおかすことは、僕としてはお勧めできないな。――『食べてはいけない』ものを食べたところで、現世うつしよに人でなしが生まれるだけさ。人として生きて、人として死にたいなら、手を出さないほうが無難ぶなんだろうねぇ」

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