2-5 羊と狼
「今朝、凛汰くんと美月ちゃんを、村の出入り口まで連れていったんだよ。僕らを外に出さないための対策が、
「どっちでもいいんじゃない? 個人的には、記者さんを撃ち殺すほうが、村が静かで居心地のいい場所になると思うけど?」
「へえ? たかが僕が死ぬだけで、村が居心地のいい場所になると思ってるんだぁ? まあ、中学生の梗介くんにとっては、櫛湊村が世界の全てか。井の中の
「見せしめで死ぬ〝まれびと〟は、やっぱり記者さん
「そう怒らないでよ。そんなに失礼なことを言ったかな? それとも、嫌な話題を振っちゃった? あ、分かった。君さぁ、大人の猟銃を使ったことがあるんでしょ」
「なんでそうなるのさ」
梗介は、
「昨年に、僕が櫛湊村を訪ねたときだったかな。村のお
「
「あははっ、未成年って言葉は、僕にとっては
「梗介。この村の大人は、みんな猟銃を扱えるのか?」
「凛汰まで、なんでそんなことを気にするかな。男性は、ほぼ全員が
「意外だな。あの人はガタイがいいから、狩猟もやってるのかと思ってたぜ」
「浅葱さんが身体を
「う、うん」
凛汰の隣を歩く美月は、先ほどの〝神がかり〟の一件が気になるのか、浮かない表情をしていたが、それでも進むべき道を
視線を感じて振り向くと、教員寮の入り口に立った梗介が、凛汰をじっと
一階の短い廊下を、三隅、美月、凛汰、梗介の順に進み、階段を上がった三隅と美月に続いて、凛汰も一段目に足を掛けたタイミングで、視界の
「なあ、梗介。昨日から気になってたけど、ここは空き部屋か?」
「そうだけど、何年も前から扉が壊れてるから、今はただの物置きだよ」
「へえ?」
階段から引き返した凛汰が、試しに扉のレバーハンドルに手を掛けると、
「この教員寮って、改築前は〝まれびと〟の宿泊施設だったんだろ? 村の連中は、壊れた扉を直さないのか?」
「
「……いや、今はいい」
もし、梗介に何らかの企みがあって、凛汰が一〇二号室に入ったとたんに、扉を外から無理やり閉められたら――凛汰は、美月と引き離される。
「どうした?」
「そこの砂道で、靴に小石が入っちゃったっぽい。先に行っててー」
「凛汰くん、遅くない? どうしたのかな?」
頭上から、三隅の声が響いてくる。美月も、階段の途中で凛汰を待っていたようだ。凛汰は「いま行きます」と応じて階段を上がり、二階の突き当りに向かった。
「僕の二〇一号室へ、ようこそ。散らかってるけど、許してねぇ」
三隅が二〇一号室の扉を開けると、バニラの甘みを
「この扉は、開けっ放しにしてもいい? 凛汰が、僕を警戒してるみたいだからさ」
先ほどの凛汰の
「〝まれびと〟と〝
「……へーえ? 僕は、狼じゃなくて
「他人の証明なんか、要らないよ? 僕が
「記者さんってさ、生きるのが楽そうで羨ましいな。そういう、自分さえよければ他人なんかどうでもいいって精神、
「おや、君は嘉嶋先生が嫌いなのかな? ということは、嘉嶋
「……。さあ? 僕だって知りたいよ? 誰が嘉嶋先生を殺したのかな?」
梗介は、笑顔のまま
「三隅さん、借りてる部屋をヤニ臭くして大丈夫なんですか」
「全く大丈夫じゃないけど、実質ここは、僕が買い取ったようなものだから、大目に見てもらうよ。ああ、煙草臭くてごめんねぇ? 君たちの前では吸わないから、許してほしいな。扉を開けっぱなしにすることで、
ローテーブルのそばで
「美月から聞きましたけど、三隅さんは取材で櫛湊村に通ってたんですよね。教員寮に部屋を借りて、短期滞在を繰り返してたってことですか?」
「その通りだよ。海棠家のお二人は、村の暮らしについては取材させてくれたけど、肝心の〝
ぺらぺらと喋る三隅の言葉を、梗介が「そんなことよりもさぁ」と
「凛汰は、さっき美術室の前で、面白いことを言ってたよね。油彩画『楽園の
「梗介くん、私たちの話を聞いてたの?」
美月は戸惑っているようだが、凛汰は特に驚きはしなかった。知られて困ることでもないので、軽い口調で「いいぜ」と応じて、場の全員を見回した。
「油彩画『楽園の系譜』は、ここにいる四人に、海棠
「知ってるよ。裏切り者の名前は、ユダでしょ?」
「そうだ。十二使徒たちは、三人ずつのグループに固まっていて、親父が
「そんなの、死んじゃった嘉嶋先生に決まってるよ。誰かに殺されたのは明らかな死に方だったし、ユダ役の誰かにやられたってことでしょ?」
「ああ。でもな、その場合、妙な疑問が生まれるんだよ。油彩画『楽園の系譜』と『最後の晩餐』に関連性を持たせるなら、ユダを
「クソ教師の大柴じゃん。こいつがキリストの可能性は、万に一つもないよ?」
「安心しろ。俺も、こいつがキリストの可能性は、百パーセントないと思ってるぜ」
「君らって、大柴先生の悪口を言うときだけ、親友のように意気投合するんだねぇ」
三隅が茶々を入れると、梗介は無言で薄く笑った。背筋が寒くなるような
「じゃあ、嘉嶋先生はキリストじゃないってことなの……?」
「いや、〝姫依祭〟で死んだ親父の
「その理由を、凛汰くんはどう推理したのかな?」
三隅が、興味深そうに
「生前の親父は、〝姫依祭〟で死ぬキリスト役が、誰になるか分からなかった。――つまり、自分以外の人間が〝姫依祭〟で死ぬ場合もあると踏んでいたから、油彩画『楽園の系譜』に描かれた九人の立ち位置を、『最後の晩餐』と合わせなかった」
美月は、よほど驚いたのだろう。「ど、どういうこと?」と訊いてくる。三隅は、
「実際に死亡したのは嘉嶋先生だけど、〝
「――〝まれびと〟です。すなわち、親父と、三隅さんと、俺だ」
美月が、
「意味が分からないよ? 〝姫依祭〟で〝まれびと〟が死んだら、村人から
「さあな。でも、実際に〝姫依祭〟で〝まれびと〟が死んだ以上、この状況を望んだ奴らが、櫛湊村の中にいる」
言葉を切った凛汰は、声を低くして言い切った。
「殺された親父自身も、そのうちの一人だ」
「それは……私も、そんな気がする」
「
「じゃあさ、なんで嘉嶋先生は、せめて〝まれびと〟グループを真ん中に
「梗介が言うように、そのほうが絵としての
「えっと……それのどこが駄目なの?」
小首を
「嘉嶋先生は、昨日の〝姫依祭〟で殺される
「俺は、そう考えてるぜ。親父は、ユダの存在は察知していても、正体が誰なのか分かっていない。あるいは、ユダの見当はついているけど、確証がない。または、裏切り者の正体を
「それは、どんなことかな?」
三隅が、ローテーブルの向こうから身を乗り出してくる。インタビューを受けている気分になった凛汰は、少しげんなりしてから言葉を続けた。
「〝
「ますます意味が分からないよ? 嘉嶋先生は、一体何がしたかったのさ?」
梗介が、唇を尖らせた。凛汰は、
「まあ、この仮説が正しいなら、海棠家の電話線を切った犯人について、考察の
「電話線? そういえば、あれは誰が切ったのかな……」
美月が、不安そうに考え込んでいる。凛汰は、念のため「美月。海棠家の電話が、最後にいつ使われたのか、覚えてるか?」と確認した。
「えっと……うん。凛汰が来た日の朝に、浅葱さんも楚羅さんも使ってたよ。〝姫依祭〟の準備で、村の人たちとやり取りをしてたから……」
「つまり、電話線は四月一日……〝姫依祭〟の当日に切られたわけだ。
凛汰が視線で問うと、梗介は
「電話線の切断は、〝まれびと〟を村から出したくない連中が、
三隅は、話の落としどころが読めたのだろう。くつくつと満足げに笑い出した。
「電話線を切った犯人は、誰なのか。この謎の答えが、特別な意味を持つ場合があるとすれば、それは『村人ではない人物が犯人』の場合じゃないかなぁ?」
「村人ではない……えっ、ひょっとして」
美月も、すぐに察したらしい。凛汰は、力強く頷いた。
「〝まれびと〟を逃がしたくない村人か、村人に二回目の〝姫依祭〟を開催させたい親父か。昨日の海棠家は、人の出入りが
語り終えた凛汰は、正面の三隅をひたと見つめた。
「俺の考えは、伝えました。次は、三隅さんの番です。櫛湊村で
三隅は、梗介をちらと見た。神事を支える蛇ノ目家の人間なら、神の
「
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