2-2 閉ざされた村

「私……〝姫依祭ひよりさい〟に協力的な帆乃花ほのかちゃんを、初めて見た」

 森に沿って御山おやまを下りながら、ぽつりと美月が口にした。凛汰が「そうなのか?」と相槌を打つと、「うん。村の誰かが〝憑坐よりましさま〟の話をするときだって、いつもすごく嫌そうで、よく逃げ出してたから……」と言って、朝霧あさぎり揺蕩たゆた参道さんどうを歩いていく。そして、下界に到着したところで、急にぴたりと足を止めた。

 原因を目視もくしした凛汰も、美月にならって立ち止まる。海棠かいどう神社の鳥居とりいのそばにいた人物は、足音でこちらに気づいていたのか、頭を深々と下げてきた。

「おはよう、美月……」

 頭を上げた海棠楚羅かいどうそらは、昨夜と同じ巫女装束みこしょうぞく姿だった。結い上げた黒髪は、びんのほつれが目立っている。日差しに照らされた瓜実顔うりざねがおは、惨劇さんげきの一夜を乗り越えた疲労の所為か、あつく塗りこめた白粉おしろいの所為か、ぞっとするほど青白い。ぎこちない薄ら笑いが、口の皮膚ひふを引っ張って、表情にひびを入れている。出会うたびに顔が違って見える女だと、凛汰は腕に鳥肌とりはだを立てながら思った。

「楚羅さん……」

 美月が、つらそうにうめく。帆乃花と対面したときは、気丈きじょうに振る舞っているようだったが、さすがに養母ようぼを前にすると、昨夜のショックを思い出すのだろう。楚羅は、静々と美月の前まで歩いてくると、白衣はくえたもとから一枚の写真を取り出した。

貴女あなたの大切な物でしょう? 荷造りを急いだから、廊下に落としたのね」

「あ……」

 目をみはった美月は、楚羅の左手から写真を手繰たくった。そして、乱暴な受け取り方をやんだのか、自己嫌悪で傷ついた表情で、写真に視線を落としている。

 凛汰も横からのぞいた写真は、中学校の入学式で撮られたものだろうか。ブレザーとスカート姿の少女と、三十代後半あたりの歳の男が、校門の前で笑顔を作っている。名字が『不知火しらぬい』だった頃の美月と、一年前に死別した父親で間違いないだろう。父親の笑みは快活かいかつで、どこか仔犬こいぬのような人懐こさがあり、美月とはあまり似ていない。写真から視線をがした凛汰は、美月に助け舟を出してやった。

「美月、少し離れてろ。俺の視界から消えない範囲で」

「う、うん……」

 罪悪感にさいなまれている様子の美月は、表情に安堵あんどり交ぜて、海棠家のガレージの方角へ歩いていく。長い黒髪を垂らした背中を、楚羅が切なげに目で追ったが、養女を呼び止めようとはしなかった。代わりに、凛汰に再び頭を下げた。

「凛汰くん。美月のことを、頼みました」

「美月を供犠くぎささげる流れになったとき、あんたは異を唱えなかった。美月が人間不信におちいってもおかしくない仕打ちをしておいて、虫が良すぎるんじゃないか?」

 声量を落とした凛汰は、不機嫌を隠さずに言い返した。

「自分の家の養女が、初対面の野郎と外泊がいはくしても、あんたは何も言わないんだな。俺が嘉嶋礼司かしまれいじの息子だからか? それとも、実の子じゃないからどうでもいいのか? 美月のことは、巫女って肩書かたがき生贄いけにえとして、海棠家に『仕入れた』だけなのか?」

「……この家よりは、どこだって、あの子にとって心安らげる場所だと思うから」

 力なく微笑んだ楚羅は、覚束おぼつかない足取りで海棠家に向かった。左手で引き戸を開けた女の背中が、家の中に消えていく。

 楚羅の台詞せりふは、事実だろう。この村は、倫理観りんりかん壊死えししている。溜息を吐いた凛汰は、美月の元へ早足で向かった。

「待たせたな。何を見てたんだ?」

浅葱あさぎさんの車は、タイヤが無事みたいだから、キーが刺さったままになってないかな、と思って……勝手に使うのは悪いことだけど、非常事態だから……」

「刺さってたとしても、俺らじゃ運転できないだろ。……ああ、そうか。三隅みすみさんなら、できるかもな。あいつを信用することが前提ぜんていだけど」

「私は、信用するよ。三隅さん、優しい人だもん」

「優しい、ねえ……まあ、昨夜は世話になったけどな」

 凛汰は、自動車の隣を見下ろした。那岬町なみさきちょうで借りた自転車は、タイヤに五寸釘ごすんくぎが打たれている。

 被害に気づいたのは、海棠家をした昨夜だ。電話線の切断を知ったときから、移動の足をふうじられる覚悟はしていたので、特に驚きはしなかった。徒歩で教員寮きょういんりょうに行こうとした凛汰と美月を、教師の大柴誠護おおしばせいごが『僕も寮に帰るから、送るよ』としきりに誘ってきたが、そのとき大柴の肩に腕を回して『僕も交ぜてよ?』と言ったのが、オカルト雑誌記者の三隅真比人みすみまひとだった。腰が引けていた大柴は、演技の疑いはあるものの、三隅と共謀きょうぼうしている可能性は低いだろう。結果として、大人数で夜道を進めたことは、有難ありがたかったが――結論を出した凛汰は、美月の腕を引いて歩き出した。

「逃げるぞ、美月。車と三隅さんは諦めろ。今から徒歩で山を越える」

「えっ?」

 美月は、かなり驚いたようだ。おろおろと声をおさえて「犯人捜しは、いいの?」と訊いてきたので、凛汰も小声で「もちろん、絶対に見つけるぜ」と返事をした。

「そのためにも、まずは逃げられるか試すべきだ。この村は殺人鬼の巣窟そうくつだってことを、俺も美月も知ったからな。表沙汰おもてざたにできない村の暗部あんぶを知った俺たちを、あの連中が生かしておくと思うか?」

「でも、私は〝憑坐よりましさま〟の巫女で、凛汰は〝まれびと〟なのに……昨日の私は、自分の立場が分かってなかったから、供犠にされそうになったけど、凛汰は〝まれびと〟だから殺されないよ。〝姫依祭ひよりさい〟で〝まれびと〟が死んだら、村人を供犠くぎに捧げないといけないのに……あっ」

 美月が、ハッと黙り込んだ。凛汰は「気づいたか?」と言いながら、村の風景を見回した。うっすらと残った朝霧が、其処此処そこここで咲くハナカイドウの淡紅色たんこうしょくに、白いベールを掛けている。今なら、逃げやすいかもしれない。

「仕切り直しの〝姫依祭〟が終わるまでは、しきたりで〝まれびと〟の俺は殺されない。言い換えれば、〝姫依祭〟が終わったら、相手がたとえ〝まれびと〟だろうが、連中が俺を生かす理由はない。……美月が〝憑坐さま〟の巫女をいだことを承知の上で、供犠にしようとした連中だ。村を出ていこうとしてる美月も、俺と一緒に始末すれば、〝憑坐さま〟の巫女は楚羅さんに戻るから、一石二鳥いっせきにちょうって考えても不思議じゃない。……分かっただろ。三隅さんが信用できるのか、見極めてるひまはない。警察に通報できたら、ヤバい村人の中に一般人が紛れてることは伝えてやる。こんなクソ因習村に長居したところで、百害ひゃくがいあって一利いちりなしだ」

「なるほどねぇ、僕もその通りだと思うけど、見捨てないでほしいなぁ?」

「きゃあ!」

 美月が悲鳴を上げると、背後から愉快げな笑い声が聞こえた。ぎょっとした凛汰が振り向くと、丸眼鏡まるめがね越しにニヤニヤと笑う三隅真比人がいた。今日も長髪を無造作むぞうさにくくっていて、シャツとサスペンダー付きのズボン姿だ。「どこからいてきたんですか」と訊ねると「そこの森だけど?」と返ってきたので、凛汰は舌打ちしたくなる。尾行びこうは警戒していたが、三隅が一枚上手いちまいうわてだったようだ。

「二人とも、やっぱり山を越えるつもりだったんだねぇ。危ないよ? この辺り、くまが出るって知ってる?」

「そんなハッタリが効くと思ってるんですか?」

「君は〝まれびと〟の待遇に胡坐あぐらをかきすぎているようだけどねぇ、凛汰くんが暴言を吐きながらも生きていられるのは、村人たちが〝憑坐さま〟のたたりを恐れているからだよ? 恐怖心という命綱いのちづなだけが頼りの綱渡つなわたりは、あまりお勧めできないねぇ」

「熊よりも、祟りよりも、人間のほうがよっぽど怖いと思います」

奇遇きぐうだねぇ。同感だよ」

 三隅は、意外にも同意した。おもむろに歩き出して、歌うような口調で言う。

櫛湊村くしみなとむらから隣町の那岬町なみさきちょうに向かう林道りんどうでは、死体が見つかったことがあるらしいから、ね」

 ――死体。凛汰は、声にすごみを効かせた。

「死体遺棄いき事件があった、ということですか?」

「さあねぇ、殺人事件を疑いたくなる気持ちは分かるけど、真相はやぶの中だよ? あくまでうわさに過ぎなくて、事件の記録はないんだよ。遺体の顔はえぐられていたらしくてね、不憫ふびんにも損壊そんかいが激しかったそうだから、それこそ熊にやられたのかもしれないよねぇ。死体は山に持ち去られて食べられたってことで、一応はすじが通るしさ」

 美月の顔色が、蒼白そうはくになる。「私……そんな話、知らない」と呟く声を拾ったのか、三隅はいっそう愉快げに笑い出した。

「そりゃあ、こんなにも酸鼻さんびきわめる話を、貴重な生贄いけにえサマに教えるわけないよねぇ。今の凛汰くんみたいに、逃げようとするに決まってるからさ」

 事実を指摘されただけだが、条件反射でムッとした。可笑おかしそうに肩を震わせた三隅は、凛汰と美月を手招てまねきした。

「ついて来なよ。なぜ逃げないほうが身のためなのか、教えてあげるからさ」


     *


 三隅に従う形で向かった先は、村の出口付近だった。昨日の昼下がりに、那岬町なみさきちょうから自転車を走らせてきた凛汰が、ちょうど自転車を押して歩き始めた地点に当たる細道は、からびた田畑が並んでいて、改めてながめてもが目立つ。

「さて。ここを道なりに進んで山に向かえば、車道に沿って那岬町に行けるわけだけど……二人とも、後ろを振り返ってごらん?」

 山を見ていた凛汰と美月は、指示通りに村を振り返る。三隅が何を見せたいのか、先に気づいたのは美月だった。「ひっ」と息をんで後ずさり、一点をじっと凝視ぎょうししている。美月の視線をたどらなくとも、凛汰も自力で〝それ〟に気づいた。

 村に点在する廃墟はいきょの中で、最も凛汰たちに近い地点の空き家は、窓の一つが開いていて――暗がりから突き出された猟銃りょうじゅうが、こちらに狙いを定めていた。

「……どういうことですか」

 銃口じゅうこうに視線を固定したまま、凛汰は三隅に質問した。

「今〝まれびと〟を殺すことは、村人側の死人を増やす行為で、自分たちの首をめるだけですよね。あいつらは馬鹿なのか?」

「馬鹿じゃなきゃ、あんな真似まねはしないでしょ。まあ、君だって馬鹿の所為で犬死いぬじにするのは嫌でしょ? それとも、早く死んで楽になりたい?」

「まさか」

「彼らの思考を推測すいそくするなら、〝憑坐さま〟の巫女殿が村から逃げたり、僕ら〝まれびと〟が外部の人間を呼びに行ったりすることを、何としてでも阻止そししたいんだろうねぇ。〝姫依祭〟を邪魔されるくらいなら、ここで〝まれびと〟を一人撃ち殺して見せしめにするほうが、最終的な被害をマシにできると思ってるんでしょ」

徹頭徹尾てっとうてつびクソですね」

「もう一つ考えられる理由としては、今の櫛湊村に、新たな〝まれびと〟が外から入ってこないように、あそこで警戒してるんじゃない? まあ、櫛湊村の人たちは、隣町の那岬町の人間を〝まれびと〟とは見做みなさないようだから、新たな〝まれびと〟が迷い込んでくる可能性は、ほぼゼロだと断言できるけどねぇ。ともあれ、隣町の人たちって、村には滅多に来ないからさ。櫛湊村から逃亡者さえ出さなければ、外部の介入は阻止そしできるとんでいるんだよ」

「もし、外部の介入があったら?」

「死人に口なしって言葉、凛汰くんは知ってる?」

「……やっぱり、熊よりも、祟りよりも、人間のほうが怖いじゃないですか」

 ――那岬町の人間は、〝まれびと〟とは見做さない。初めて耳にした情報を、凛汰は脳に叩き込む。美月は、先ほどよりも青い顔で「私たち、逃げられないんだ……」と呟いていたが、おのれ叱咤しったするようにかぶりを振ると、凛汰と三隅に宣言した。

「私、あの空き家の人に、やめてくださいって話してきます」

「は? 何を言ってるんだ? そんなことをしたって、やめるわけが……」

「〝憑坐さま〟の巫女の言葉なら、今だけは猟銃りょうじゅうを下ろすくらいのお願いは、聞いてくれると思う。それに、巫女として昨日『供犠を選ばないで』って命じた私を、独断では殺せないでしょ? だから――私たちは逃げないから、そんなことをする必要はありません、って……ちゃんと話してくるね」

 美月は、空元気からげんきだと一目ひとめで分かる微笑を顔にのせて、田畑の細道をけていった。目を細めた三隅は「芯が強い女の子だねぇ」と言って、美月の背中を見送っている。凛汰は「わざわざ狂信者きょうしんしゃに話し掛けにいく必要なんかないだろ」と吐き捨てて、すぐに美月の後を追おうとしたが――大きな手が、凛汰の肩をグッと掴んだ。そのまま振り向かされて、顔を至近距離でのぞき込まれる。

「凛汰くん。君さぁ」

 三隅の双眸そうぼうが、さらに細められた。丸眼鏡のレンズの向こう側で、糸のように細い三日月が、二つ並ぶ。

「年齢、詐称さしょうしてるでしょ?」

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