1-8 双子と奇祭

 帰りは参道さんどうを通って山を下りると、海棠かいどう神社の鳥居とりいの前で、神主かんぬしの男と鉢合はちあわせた。昼下がりには作務衣さむえ姿だった偉丈夫いじょうぶは、油彩画『楽園の系譜けいふ』で目にした紫色のはかま白衣はくえに、赤いほうを重ねた装束しょうぞくに着替えていて、頭にはかんむりをかぶっている。正服せいふくまとった海棠家の当主とうしゅは、差し迫った祭りの準備で忙しいのか、凛汰と美月に気づいていない。どこかへ出掛けようとする横顔に、美月が「浅葱あさぎさん、ただいま戻りました」と声を掛けると、海棠浅葱あさぎはじかれたように振り向いて、温厚おんこうな笑みを返してきた。

「おかえり、美月。凛汰くんも、村じゅうを歩いて疲れただろう」

「いえ。海棠さん、美月を道案内につけてくださり、ありがとうございました」

「いいんだよ。美月も、祭りが初めてで緊張していたから、いい気分転換になったはずだ。美月、私は木船きぶねを迎えに行くから、そろそろ支度をお願いしたい。何かあれば、拝殿はいでんにいる楚羅そらを頼ってくれ」

「はい。分かりました」

 美月が頭を下げると、浅葱は精悍せいかんな顔に寂しさをのせてから、そこかしこでハナカイドウが咲く村を、海の方角に向かって歩き出す。養父ようふの背中と、沈みゆく夕日を眺めた美月は、鳥居のそばに停めていた凛汰の自転車に視線を転じた。

「凛汰の自転車、場所を移すって話だったよね。凛汰は、あとで教員寮きょういんりょうまで乗っていくだろうけど……とりあえず今は、浅葱さんの車の隣に停めよっか」

 美月に促された凛汰が、自転車を押して海棠家の隣に回ると、古びたカーポートの下に、白い自動車が停まっていた。櫛湊村くしみなとむらに到着してから、車を見たのは初めてだ。平屋につどっていた村人たちは、別の場所に移ったのか、辺りは静まり返っている。自転車を停め直した凛汰を、美月が玄関から手招きした。

「浅葱さんが帰ってきたら〝姫依祭ひよりさい〟が始まるから、それまで居間で休んでて」

「ああ、そうさせてもらえると助かる」

 引き戸をガラガラと開けた美月と共に、夕陽が射し込む海棠家に入ると、木材の温もりと輻射ふくしゃの匂いが、鼻孔を余所余所しく抜けていく。廊下の中ほどに置かれたキャビネットには、固定電話が鎮座ちんざしていた。突き当りは台所なのか、出汁だしの匂いも漂ってくる。左側の廊下に進んだ美月は、縁側えんがわに面したふすまを開けた。海老茶えびちゃ色のテーブルを中央にえた和室は、八畳ほどの広さだが、隣室に続くふすまを外して、さらに奥の部屋も襖を取り払っているのだろう。一続ひとつづきの大広間おおひろまと化した宴会場えんかいじょうに、座卓ざたくと座布団がずらりと二列に並んでいる。頭上をつらぬく太いはりは、相当の年季ねんきうかがえた。

「座ってて。お茶を淹れてくるね」

「飲み物は大丈夫だ。持ってきてるから」

 和室のすみに置いたボストンバッグから、凛汰は緑茶のペットボトルを取り出した。小首を傾げた美月は、何か言いたそうにしていたが、そのとき玄関の引き戸がガラガラと音を立てた。ほどなくして居間に顔を出したのは、巫女装束の女だった。

「ただいま、美月。凛汰くん、いらっしゃい」

楚羅そらさん、お帰りなさい」

「お邪魔してます。楚羅さんも、巫女として〝姫依祭〟に参加するんですね」

「ええ。今の私は、まだ〝憑坐よりましさま〟の巫女ですもの」

 おっとりと目を細めた海棠楚羅は、結い上げた黒髪に花簪はなかんざししていた。ひたいあらわにした瓜実顔うりざねがおは、やはり笑うときつねに見える。美月が、楚羅に近寄った。

「私も、支度したくをしてきます」

「はい。まだ時間には余裕がありますから、慌てなくても大丈夫よ」

 養母ようぼにお辞儀をした美月は、急ぎ足で廊下に出ていく。足音が遠ざかると、楚羅はペットボトルに視線を落として「あら、うちでもお出ししたのに」と言ったから、凛汰は「俺から美月に、らないって伝えたんで」と一応言い返すことにした。

「凛汰くん、歩き回ってお腹がすいたでしょう。〝姫依祭〟のあとで開く宴会用に、お食事の準備を済ませているから、軽くつまめるものをお出ししましょうか」

「いえ、お構いなく。代わりに、買ったものをここで食べても構いませんか」

 厚意こうい固辞こじしておきながら、不躾ぶしつけな言い分だと承知している。それでも楚羅は「もちろんよ。足りなければ言ってね」とこころよく答えたので、凛汰も遠慮なく「ありがとうございます」と返事をしてから、荷物からカツサンドと卵サンドを取り出した。腹ごしらえを始めると、テーブルを挟んだ対面に、楚羅が静々しずしずと腰を下ろす。

「凛汰くん、今日はうちにまったらどうかしら。日が落ちた山道は見通しが悪いから、〝姫依祭〟のあとで那岬町なみさきちょうまで戻るのは危険ですもの」

「那岬町には戻らずに、親父が住んでる教員寮に押しかけます。あ、よそ者が勝手に泊まったら駄目とか、村としてまずい理由があれば教えてください」

「そんなことはないわ。でも、教員寮では狭いでしょう」

三隅真比人みすみまひとってオカルト雑誌記者は、その狭い教員寮に泊まっていますよね? 同じ〝まれびと〟なのに、俺だけ海棠さんのお世話になるわけにはいきません」

 凛汰は、さらりとかまをかけた。そんなねらいを気取けどられたか否かは不明だが、楚羅は気まずそうに目を逸らした。やはり三隅真比人みすみまひとは、凛汰の父同様に、〝まれびと〟という恵まれた立場にありながら、村の嫌われ者らしい。あの言動では無理もないと納得しながら、まずは卵サンドを平らげた凛汰は、出し抜けに言った。

「美月と帆乃花ほのか上手うまくいってないことを知ってたのに、俺の道案内を美月にさせたんですね。浅葱あさぎさんはしぶっていましたが、楚羅さんは違いましたよね」

「美月は、優しくて清らかな心を持った女の子でしょう。他者の感情を、我がことのように受容じゅようして、共感できる……自他じたの境界が、融和ゆうわするほどに。巫女として申し分ない資質ししつを持ったむすめよ」

 楚羅が、薄く笑った。縁側から燦々さんさんと射す茜色を浴びたびんが、白粉おしろいをたっぷりと塗り込んだ頬に、濃い紫紺しこんの影を落としている。

「そんな美月なら、帆乃花ちゃんの心を開けるんじゃないかって、期待を掛けていたのよ。でも、大人にできないことを子どもにさせるなんて、いけないことよね」

「そうですね」

「あら、否定してくださらないのね」

「そういう駆け引きは嫌いなんで」

「そういう豪胆ごうたんなところが、貴方のお父様にそっくりね」

 観念かんねんしたように微笑んだ楚羅は、不甲斐ふがいなさそうに睫毛まつげを伏せた。

「お恥ずかしい話だけど、あの子には私たちも手を焼いているのよ。二言目には、早く村を出る、東京に行く、と言って聞かないもの。跡取あととりは梗介きょうすけくんでも、あの子も蛇ノ目じゃのめ家の者なのだから、つとめを果たしてもらわないといけないのだけど、時代かしらね。無理強むりじいはできないわ。かといって、東京に進学させてあげるのは、大黒柱だいこくばしらうしなった蛇ノ目家では、なかなか厳しいものがあるけれど」

「……務め?」

 最も気になった言葉を復唱すると、楚羅は一拍の間を開けてから教えてくれた。

「本当は、帆乃花ちゃんも海棠かいどう家の養子に迎えて、巫女として美月と一緒に〝姫依祭ひよりさい〟に参加してもらう話も出ていたのよ」

 ――〝憑坐よりましさま〟は家にくという、美月の話と繋がった。次期じき〝憑坐さま〟の巫女候補を立てるには、海棠家と縁を結ぶことが、必要不可欠なのだろう。

「でも、帆乃花を養女にはしなかったんですね」

「ええ。帆乃花ちゃんのお母様は賛成してくださったけれど、梗介くんが大反対したもの。まだ十四歳でも、蛇ノ目家の当主様ですし、うちには美月もいますから、帆乃花ちゃんを無理に引き取ることもない、と最終的には主人が判断したのよ」

「帆乃花の意思は、何か訊いていますか」

「もちろん、養子にはならないの一点張りよ。それに、なんだかんだ言っても、一緒に育ってきた弟が大切で、離れたくないんじゃないかしら」

 なんだかんだ言っても――引っ掛かりを覚えた凛汰は、率直に訊いた。

「蛇ノ目家の双子は、村八分むらはちぶにされてるんですか?」

「まあ、びっくりした。どうして貴方あなたはそう思うの?」

「梗介は村人に認められているみたいでしたけど、帆乃花は冷遇れいぐうされてる感じがしたんで。それに、多胎児たたいじの誕生を凶兆きょうちょうだと見做みなす思想が、かつて一部の地域では存在したって話を、本で読んだことがありましたから、興味が湧きました」

博識はくしきなのね。それに、おのれの好奇心に素直だわ。でもね、私たちは蛇ノ目家を大切に扱っています。海棠神社の神事を支える蛇ノ目家は、いわば神につかえる一族。邪険じゃけんに扱えるわけがありません。ただ、貴方が感じ取ったように、村人たちの間で、帆乃花ちゃんと梗介くんの評価に差がついたことは、残念ながら事実でしょう」

「それは、大柴おおしばって先生に帆乃花がれてることも、何か関係がありますか」

「そんなことにまで気づいたの。……確かに大柴おおしば先生も、大学を出てしばらくは、都会で教鞭きょうべんを取っていたそうだから、帆乃花ちゃんが東京にあこがれるきっかけを作ったわね。東京から来た美月をライバル視する原因にもなったでしょう。でも、大柴先生は二十八歳の教師だもの。教え子の想いにはこたえられない。梗介くんが、帆乃花ちゃんと話し合っているそうだけど、自分の恋路こいじに口出しされて、黙っているような子ではないから……嗚呼ああ、いけないわね。しゃべり過ぎてしまったみたい」

 苦笑した楚羅が、語りに終止符しゅうしふを打ったとき、廊下から足音が聞こえてきた。美月が支度を終えたのだろう。カツサンドも完食した凛汰は、ふすまを振り向き、目をみはった。

 居間に戻った美月は、紅白の巫女装束を纏っていた。出会いのときと異なるのは、長い黒髪を一つに結って、楚羅と同じ花簪はなかんざししたことと、化粧をしていることだろう。唇に引いた赤いべにが、十五歳の少女をぐっと大人びて見せている。目が合った美月も、凛汰に見られて巫女舞みこまいをやめたときのように、頬を淡紅色たんこうしょくに染めていた。

「えっと……変かな」

「……別に。化粧ひとつで、変わるもんなんだな。まあ、綺麗きれいじゃん」

「やめてよ。言わせてるみたい」

 ねた顔をした美月を、楚羅も「素敵よ、美月」とめそやしたところで、家の外がさわがしくなった。いで引き戸が再び開く音と、廊下を進む足音がして、海棠浅葱あさぎも居間に入ってくる。美月の巫女装束を見た浅葱は、どこか切なげな笑みをのぞかせたが、すぐに表情をおごそかなものに切り替えた。

木船きぶねが到着した。凛汰くん、今から我々は〝姫依祭〟に参加する皆さんと共に、御山おやまの頂上に向かうから、君も後をついてきてくれるかな」

「はい」

 ペットボトルを片付けた凛汰は、ボストンバッグを肩にげた。美月は、無言で凛汰を見つめてから、家を出る浅葱と楚羅についていく。凛汰も、三人に続いて玄関を出ると、暮れなずむ村の風景の中に、明らかな異分子を見つけて、息をんだ。

 ――海棠神社の鳥居の前に、木製の船が運び込まれていた。小ぶりながらも二メートル以上の高さをほこ帆柱ほばしらは、帆の上から黒い布をかぶせられていて、全貌ぜんぼう一望いちぼうが叶わない。五人も乗れば定員を満たしそうな甲板かんぱんに、すそを重く垂らした様を、まるで緞帳どんちょうのようだと感じたのは、眼前がんぜんの乗り物が一種の舞台ぶたいに見える所為だろう。たいらな造りの船底と、船体に固定された二本のかつぼうが、この木船では決して海をわたれないことを、何よりも雄弁ゆうべんに示している。

 そんな船をした神輿みこしの周りを――仮面をつけた村人たちが、ぐるりと取り囲んでいた。般若はんにゃ、おかめ、おきなうば、ひょっとこ、きつねおに……顔を隠した集団は、統一性をいちじるしくいているにもかかわらず、人知を超えた存在に精神を統制とうせいされているような、鬼気迫ききせまる一体感を伝えてくる。凛汰の隣に来た美月が、震え声で耳打ちした。

「浅葱さんは、ついてきてって言ったけど……凛汰は、無理しないで」

 もし、今から凛汰が、美月を連れて櫛湊村から逃げ出したなら、どんな未来にたどり着くだろう。興味はあるが、再会を果たした父の台詞せりふが、凛汰に逃亡を許さない。嘉嶋礼司かしまれいじの真意を知るためにも、凛汰は奇祭きさいのぞむべく、仮面の群れと対峙たいじした。

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